toyotaboxyのblog

せんちゃんのグルメ&秘境の湯旅行記

旧中山道五拾六次

歩いていこう旧中山道五十六次 関ヶ原宿→今須宿

2014.06.07

『歩いていこう旧中山道五十六次』の旅
をどんどん歩を進めよう。関ヶ原と言え
ば以前こんな記事が新聞に載りupしてい
た。『甲冑武者体験サービスがスタート
 関ヶ原町
』、ここでもう少し詳しく調
べてみると『笹尾山で甲冑体験2014』関
ヶ原歳時記2014には面白い記事が沢山載
っていた。そういえば関ヶ原の戦いの地
寄ってなかった。『歩いていこう旧中山
道五十六次道草リスト』でいつの日か寄
り道しよう。


DSCF6298街道はここで左
に逸れる。7:53
地図 旧街道に
は消雪パイプが
埋められていた


DSCF6299と言うことは、
ここら周辺は豪
雪地帯なのか。
確かに降雪期に
なると“関ヶ原付

近雪のため新幹線に遅れが出ています”と
ニュースで度々アナウンスされるのを思
い出す。


DSCF6300不破関の跡に着
いた。7:58地図

不破関(ふわの
せき)は、古代
東山道の関所で


ある。
東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発関
とともに、畿内を防御するために特に重
視され、これを
三関という。三関から東
は東国または関東
と呼ばれた。


BlogPaint資料館があった
が開館前だった
為、先を急ぐこ
とにした。中山
道は左側の道を



降りていく。そこには藤古川があるが、
672年、大友皇子(弘文天皇)と大海人
皇子(天武天皇)が関ヶ原で戦った壬申


DSCF6302の乱では、藤古
川をはさんで両
軍が対峙したと
言われている。
間の宿「山中」


DSCF6303に入っていく。
黒血川ほとりに
ある上を東海道
線が走る隧道。
壬申の乱では、


この地で両軍初の戦さが行われ、両軍兵
士の流血がこの川に流れ込み、川を赤黒
く染めてしまったからの由来から黒血川
と名乗られていたと言う。



DSCF6304懐かしいもの見
付けた。瓶(甕)
だと言っても使
ったことは無い
、幼い時分家で


確か見かけたことがある程度でしか無い
。多分液体の貯蔵に使っていたと思う。
それがこんなに大量に放置されているな
んて1つ土産に欲しいが今は歩いている
からそんな重いものを持ってまで歩ける
余裕など無い。今度車でお伺い交渉して
みよう。地図  調べると藤野本家と言う
会社で、自家酵母を使用し、時間と手間
暇をかけ 昔ながらの手造りで、日本のお
酢では珍しく長期間熟成させた酢を作る
醸造会社であった。特長は、蔵の中でゆ
っくりと醸造させる為、長く眠った酢は
円やかなお酢になっていき、お酢独特の
鼻にツーンとくるような刺激は無く、滑
らかな香りで優しい円やか酢らしいです。
そうか、酢を作っている会社だったのか
、それで甕があったんだね。

 
DSCF6305これから小さな峠
越えがあり山深く
なっていく。途中
には農作物を守る
ネットを見付けた。


ここらでは猪や猿、鹿などが作物を荒ら
すんだな!これは鈴鹿峠付近を通ったと
きに教わっていた。



DSCF6306民家や人影が無い
今須峠に差し掛か
った。標高160m
ほどの急勾配のあ
る坂道であった。


かつては、頂上辺りに茶店があり往来する
旅人の疲れを癒す場所として賑わっていた
と言うが、全くの面影は残っていなかった。
積雪期の冬場は雪深く、旅人泣かせの難所
であったという。頂上付近には、今須村と
関ケ原村の境界石標柱が建っています。

DSCF63078:31 地図 この
先には復元された
「一里塚」を左手
にし、この峠を下
ると中世末頃には


関所が置かれていたという今須宿へと入っ
ていきます。難所で有名な今須峠だが現在
は舗装されてとおりやすくなったが、女性
の一人歩きは注意が必要です。


BlogPaint今須峠を越えると
その先は59番目の
宿場「今須宿」は
もうすぐです。
街道はここから旧
道へ逸れていく。


 地図 8:34 いよいよ宿場内へ入って
いく。


DSCF63098:38 日本橋か
ら数えて59番目
の宿場「今須宿
」本陣跡に到着。




DSCF6310中山道美濃の国
16宿のうちの最
西端に位置する
今須宿は、加納
宿、関ケ原宿に


次ぐ大きさを誇り、琵琶湖から美濃への
物資流通の商業地としても、また妙応寺
の門前町としても大きく栄えた宿です。
人馬の引き継ぎや幕府公用の郵便物引き
継ぎなどの業務を行う問屋場が7軒あっ
たところからも、相当な賑わいであった
ろうと想像されます。中山道宿村大概帳
には宿内家数は464軒。本陣1脇本陣2、
旅籠13軒、宿内人口は1784人と標されて
います。

荒船風穴 絹産業世界遺産施設群

2014.11.24

『歩いていこう旧中山道五十六次』のノ
ルマを熟し帰路に向けてハンドルを握っ
ていたらふと見覚えのある家屋が目に止
まった、あ!これは蚕糸業を営んでいた
家屋だ。




DSCF9180そういえば以前
絹産業遺産で世
界遺産に登録さ
れた富岡製糸場
と高山社跡へ出



掛けたが確かこの近くに荒船風穴なる施
設もあるはずだ。確かに旧中山道を歩い
ている時に、松井田町で案内看板も見か
けていることで、この後予定も無いこと
から道草決定したが、18号線から荒船風
までがこんなにも遠いとは思いもしな
かった。R18からR254に乗り換えてか
らの山道が凄かった。車1台がやっと通
れるくらいの道幅に加えヘアピンカーブ
の連続道。結局R18からは、約35kmも
あったが、あそこにある案内板からすれ
ば僅かな距離感を抱いていたので驚いた




DSCF9181。牧場の中を通
過し指定の無料
駐車場へ着いた
地図 ここか
ら一気の下り坂




DSCF9182800mを徒歩とな
る。このような
事例どこかであ
ったな??夏に
行った、雲上の



竹田城もこんな雰囲気だった。こんな
舗装路があるんだから車で行かせてく~




DSCF9183~れ!冷気が吹
き出している風
穴が連絡路上に
もあったよ。駐
車場から11分。




DSCF9184こんな山奥に集
落があった。何
故人はこんな辺
鄙なところに住
むのかな?




DSCF9185駐車場から14分
で荒船風穴受付
広場にたどり着
く。拝観料は無
料で、現地には



町の解説員が在駐し観光客に解説をして
くれた。2014年に世界遺産として登録さ
れた富岡製糸場と絹産業遺産群。これは、
富岡製糸場を含む4資産で構成されてい
る。富岡製糸場以外の構成資産は、田島
弥平旧宅・高山社跡・荒船風穴の3つ、
いずれも養蚕に関わる資産です。富岡製
糸場が操業を始めた当初、養蚕は年に一
回しか行うことができませんでした。な
ぜなら気温の関係上、蚕が孵化するのが
一年に一度だったからです。この制限を
なくし、年に数回の養蚕を行うことを可
能にしたのが、荒船風穴の存在であった
荒船風穴は、自然の風穴より夏でも冷
たい空気が流れ込み、その温度は年間を
通して一定していました。そのため、天
然の冷蔵庫のような役割を果たすことが
できたのです。現在でも、岩の割れ目か
ら冷気が吹き出し辺り一帯はヒンヤリと
した空気に包まれます。
電気による冷蔵
庫がなかった時代、ここに蚕種(蚕の卵
)を保存することによって孵化を遅らせ
、使うたびに外へ出して利用できたこと
が、蚕の増産につながりました。そのこ
とが、生糸の大量生産にもつながったの
です。


 

DSCF9186荒船風穴は、天
然の冷風を利用
した風穴で最大
規模を誇る貯蔵
施設として蚕種




DSCF9187貯蔵施設。今で
も当時と変わら
ぬ冷風環境が保
たれている珍し
い史跡。今回の



世界遺産は、実は行程ごとに別れている
。蚕種の種を取る田島弥平旧宅とその蚕
種を保存出荷した荒船風穴、そして繭を
作らせる工程を広く普及させた学校の高
山社跡、その後繭から生糸を取り出す工
場富岡製糸場となっていた。




DSCF9188この風穴を利用
することによっ
て年1回の飼育か
ら年内2蚕、年
内3蚕と増え、





DSCF9189
作業効率が著し
く向上した産業
革命に等しい施
設であった。だ
が、ここはもの



凄い山中にあり、富岡製糸場の人出に比
べて数人の人出しか無かった。でもあの




DSCF9192山道では大人数
が訪問すること
は叶わない、こ
れもまた世界自
然遺産といって




DSCF9191
も差し支えない
ものだろう。
だこの跡地を見
ただけではどの
ように活用され




DSCF9193
ていたか解らな
かったが、模型
・写真があり一
目で理解出来た
。また大きな存



在は、解説員のガイド案内があってこそ
理解できた、ありがとうございました。



DSCF9194受付広場にはマ
イクロバスとタ
クシーが駐まっ
ていた。マイク
ロバスは、サン




スポーツセンター間のシャトルバスであ
った。タクシーは、個人客が駐めた駐車
場間を結ぶタクシーだが、拙者は中山道
を歩き終えたばかりで足が痛いが  自力
で車まで戻っていた。確かにここに到達
するのは大変なことだが、やっぱり訪れ
たことにより何故ここが、世界遺産に登
録されたのかを知ることが出来た。今回
の絹産業世界遺産関連施設群も残すは、
田島弥平旧宅だけだ。そのうち寄るとし
今日はここまでにしよう。
※12月~3月末までは冬季閉鎖となりま
す。





DSCF9196
帰り道 下仁田
駅に立ち寄った。
下仁田駅は、
仁田町にある上





DSCF9198
信電鉄上信線の
。山間の終着
駅としての哀愁
漂う駅舎。11:47
発高崎行きの電




DSCF9197車がホームに入
っていたが、も
っとローカル色
の強い車体を希
望するのは他県




DSCF9199
者の身勝手な考
えかな。
下仁田
町と聞くと、下
仁田ネギとコン
ニャクのイメー




ジで旅行先と思わない人も多いのではな
いでしょうか。地質的には、地殻変動に
よって移動してきた地層で出来た不思議
な「根なし山(クリッぺ)」や、九州か
ら関東へ西南日本を分断する「中央構造
線」の断層など、日本列島創成期を見る
ことが出来る貴重な地でもあった。いつ
の日にか、訪れてみようかな。


歩いていこう旧中山道五十六次 御嶽宿みたけ庵で道草

2014.11.23

『歩いていこう旧中山道五十六次』も今最後の区間を歩き終えて完結となってしまった

でももう少しお付き合いお願いしたい

DSCF9160
昼飯を食べてなかったため御嶽宿内で何か探していたら『みたけ庵』という

お店があった。そのガラス越しに『かいもちおはぎ』のチラシ発見。




DSCF9159
即決断 購入を決めたが列車が14:00発があるということで列車の中で頂く

ことにし店を後にした

かいもちおはぎとは、昔から東濃地方の家庭で作られていた、里芋を使った


DSCF9163懐かしいおはぎです。

「かいもち」の言われは、餅の中でことに柔らかいので「カユモチ」が訛って

「かいもち」 となったといわれています。



DSCF9164
電車の中で食べたが、素朴な味にうっとり。疲れたときにはやっぱり甘いも

のは体が喜ぶね




DSCF9165


歩いていこう旧中山道五十六次 細久手宿→御嶽宿

2014.11.23

『歩いていこう旧中山道五十六次』も今日で完結となってしまう

東海道五十三次を歩き終えた瞬間は二度と街道歩きするもんか・・・思ったほど疲れていたが

今はまだまだ余力が有り余っている

本来ならゆっくり歩きたいところだが、夜 式根島で会った青年と久しぶりに会う予定になっているため

急ぐ日程となってしまったが、十三峠には参った

どうしてどうしてこんな過酷な道が一番最後になってしまったか自分を自分で責めると言うより呆れてしまった

ああ とうとう1区間だけになってしまった

早く歩き終えたい気もするが 何か忘れ物している気にもなる今日この頃だ

さあ 残り3里(約12粁)頑張って歩みだそう

DSCF9112BlogPaint
連日の30粁超は体に堪える  11:09  地図

まだ道が平坦だから苦にならずに歩けるがこの先峠

道はないことを願う



DSCF9114
11:18  地図

まもなく平岩の辻という交差点を直進。坂を上り初めて120m地点で

砂利道が現れる。この砂利道こそが旧中山道であった


DSCF9115
11:23  地図

またどうしてこの尾根道のような所を通るんだろう

見下ろせば下方に舗装道路がある。多少迂回するにせよ高低差の無い道

                の方が楽なんだが・・・
DSCF9116
自らの希望で歩き始めた中山道だが 神は拙者にどんな試練を与えようと

考えているんだろか  上り坂の試練は充分耐えてきましたが、まだこの先

も上り坂が続くようだ (誰か助けて・・・)


DSCF9117
11:25  秋葉坂の三尊石窟

祀られているのは馬頭観音や観音坐像など3体。

行き交う人々や牛馬の安全を往時から今も見守っていた。


DSCF9118







DSCF9119
11:32

また出た『熊出没注意』の看板。これを見ると意識しちゃうね

今までどってことなくすいすい歩いていたが、木の葉がざわめく音にたじ

                ろいでしまう

DSCF9120
すると街道脇に捕獲器が設置してあった。

恐らく猪などの小動物用と考えられ 熊用ではないと思われる




DSCF9121
11:40  鴨之巣一里塚

雑木林の中を落ち葉を踏みしめながらの徘徊が続くが、上り坂さえなけ

れば快適な道


DSCF9122
12:00

ふと道路の模様に目が止まった。消石灰で描いた矢印は、旧仲仙道を示

しているではないか


矢印の痕跡状態からして昨日旧中山道を歩く企画があったのかな

検索したがヒットしなかった

DSCF9123
12:04  地図

津橋集落の状況が書いてあった。47世帯とは少ないね



DSCF9124
養老鉄道へ乗って養老公園へ行こう』

思い出した赤坂宿手前にあった駅 東赤坂駅が養老鉄道だ

おお 実施日は今日だったのか


BlogPaint
12:06  地図

旧中山道そのものの道

ここからまた山の中へ入っていく  細久手宿から1時間経過と言うことは


DSCF9126あと2時間だな

それにしても大湫宿でご夫婦に会って以来誰ともすれ違いはもちろん住民

さえもであわない。こんな山の中で独りは嫌だし寂しすぎる



DSCF9127
12:18

街道沿いに農場があったが、そこで目に止まったのが白いとんがり帽子の

小屋?数を数えると沢山あり可愛いのか異様なのははっきりしない光景


もしかしてこれってサイロ? 本来は、とんがりを下にして使うのかな

DSCF9128DSCF9129
12:24

馬の水飲み場




DSCF9130
12:26  突如車が沢山止まっていた  地図

ここは人気レストランらしい

店名:ラ・ブロヴァンス


幾度となく峠を越えてきたため 店内に入ろうとする気力も失せてしまい通過してしまったが

手作りケーキは早々に完売になってしまう山のレストラン

店に向かう道は決して綺麗な道ではないのに人が集まると言うことは凄いことだ

2015年に創業20周年を迎える本格派の人気店だった

DSCF9131
12:30

唄清水




DSCF9132
12:34

坂を下ると今度は『一吞みの清水』があったが飲水禁止となっていた

須原宿みたいに手軽に水が飲める環境って素晴らしんだね


DSCF9133DSCF9134
12:37






DSCF9136DSCF9135
12:40

ったりしていたのだろうか。


 


 
すると1軒の雨戸が閉ざされた家があった、ここは安藤広重の「木曽海

道六拾九次  御嶽宿」
のモデルとなった場所だと云われている。




DSCF9137
12:51

十本木茶屋跡




DSCF9138DSCF9139
12:46

揺(うとう)坂




DSCF9140
12:53  耳神社  地図

本当は素通りしようかなと思ったが 母が補聴器を付けていたため

拙者も年を取ったらお世話になるのかな・・・と思って体に鞭打って階


DSCF9142DSCF9141段上りお参りしました

お供えしてある錐を借りて耳(患部)にあてる

のだそうだ。



DSCF9143
これが錐です

耳の病気に錐とは、塞がった穴に風穴を開けるのかな。




BlogPaintBlogPaint
12:57  地図  地図

まもなく牛の鼻欠け坂という難所です




DSCF9146
この坂が地形の境界部

江戸へ向かう道は山間の険しい道、京へ向かう道は平坦な道となって

いくのです


DSCF9147
地図  牛の鼻欠け坂を過ぎると一気に田園風景と様変わりした

濃尾平野(のうびへいや)とは、岐阜県(美濃)南西部から愛知県(尾張)

北西部にかけて 広がる平野である。地質学的には木曽三川(木曾川・長

良川・揖斐川)により形成された 沖積平野であり、その土壌は肥沃である。

DSCF9148DSCF9149
田園風景の中に民家が点在しいているなと思っ

たら一気に住宅地に変わっていく。

御嶽宿は近いのかな 13:35


DSCF9150DSCF9151
街道沿いに古民家が現れるようになった

すると こんな看板が『みたけ華ずし』?

調べると海苔巻きを使った色彩豊かな寿し


DSCF9152拙者の住む下総の國、隣国に安房国があるがそこにもこの花寿司に似

た房総巻き?なる御鮨があった。正式名を太巻き祭り寿司です





DSCF9153DSCF9154
13:46  地図

古民家が2棟連なっている、

ここは『商家竹屋』といい、江戸時代からの豪商


DSCF9156DSCF9155
の建物で、江戸時代の建築様式を色よく残して

いる。




DSCF9158
13:52  御嶽宿本陣跡に到着  地図

着いた~。細久手宿から遠かったな

日本橋から数えて中山道49番目の宿場町


 本陣を務めたのは野呂家の本家。先ほどの商家竹家さんが分家であった。

建物は今までに2度改築され往時の面影は残っていないが、立派な門構えは当時の面影を

色濃く残す。

DSCF9157
本陣の隣に『みたけ館という郷土資料館がある

ここは元脇本陣があった地でもある。

ここへは 2014.6.21 に観覧済み


DSCF9162
13:58  名鉄御嵩駅に着いてしまった

中山道五十六次 草津宿から三条大橋間は東海道五十三次の際に歩

いているため割愛させてもらったが、これで中山道五十六次も完歩とな

った。

でもETC割引率変更があったため順送りと行かなかった街道歩きだが、最後の最後にこんなハー

ドなコースが残ったなんて拙者らしく呆れて笑いが出たんだ


今こうして東海道五十三次、中山道五十六次を歩き終えて回顧すれば

両街道に言えることだが 意外と歩かれる人が少なくなかなか観光資源として成り立たない

そして時代の流れ(開発)と言ってこの街道を破壊する行為が悲しかった

いくら観光資源として価値がなくても大切な歴史資料 後世にまで大切に残して欲しいと願うも

古民家は我々が思うよりも冬は寒くて生活するのが大変。今の世帯から次世代に変わっていく

ときに果たしてこの古民家はどうなっていくか心配だね

大切な文化財を残すには、国などの古民家に対する援助、補助が必要になってくるのかな




次はどこ歩くの?

次はまず無いネ

今回を持って街道歩きは完了し 来年は、また違った楽しみを見つけ日本中を旅してみたい

年末年始には四国へ行くが 八十八ヶ所巡礼は自宅から遠すぎて無理がある

2015年になってからゆっくり考えることにしよう

長い間ご覧頂いた『歩いていこう旧中山道五十六次』はこれにて終了いたします

ありがとうございました。











歩いていこう旧中山道五十六次 大湫宿→細久手宿

2014.11.23

『歩いていこう旧中山道五十六次』も今日で完結となってしまう

東海道五十三次を歩き終えた瞬間は二度と街道歩きするもんか・・・思ったほど疲れていたが

今はまだまだ余力が有り余っている

本来ならゆっくり歩きたいところだが、夜 式根島で会った青年と久しぶりに会う予定になっているため

急ぐ日程となってしまったが、十三峠には参った

どうしてどうしてこんな過酷な道が一番最後になってしまったか自分を自分で責めると言うより呆れてしまった

DSCF9076
9:23  中山道ぎふ17宿踏破スタンプラリーの幟発見

これって拙者はスタンプこそ押していないが該当するよね・・・で

運営会社に今メールで尋ねてみた


スタンプラリーって面白そう

出来れば日本橋から三条大橋までのスタンプラリーの企画やってくれないかな・・・

でももう一度は歩けないし 歩きたくないか

DSCF9077
なんだ不思議な窓があるぞ 9:24  地図

調べてみれば 虫籠(むしこ)窓といい 主に換気を目的に作られた窓らしい

名前の通り 虫かご窓 だね


DSCF9078
大湫宿脇本陣跡に着いた

今も保々家が住居としているため、内部の見学は出来ない




DSCF9079
祭りの山車が格納されているのだろう

2014.10.5 大湫宿 神明・白山神社例大祭

毎年10月の第1日曜日に行われる祭りでお囃子を奏でつつ山車を引っぱり、神輿を担いで練り歩きます。 明治3(1870)年に老朽化した山車と神輿が替えられ、山車は犬山城主の成瀬家から、神輿は尾張徳川家から譲り受けた…


DSCF9080






DSCF9081DSCF9082
マンホール蓋考察

瑞浪市作成

中央には市の花・キキョウ、その周りに市の木・松。


DSCF9083DSCF9084
中山道を歩いている人がいたが話を聞けば周辺散

策だそうだ。

残念だね 久し振りに同志に出会えたと思ったのに


BlogPaint
9:39  地図  再び峠道入り口に差し掛かった。ここは琵琶峠口

何でも日本一長い江戸時代の石畳なんだって・・・でも石畳って歩きにくくて

好きじゃない

DSCF9086
標高558mほどなのでそれほど厳しい峠道ではなさそう

がんばって行ってみよう。




DSCF9087

9:40 スタート  箱根や金谷と違い平らな石を敷き詰めてありとても歩き

やすい石畳



DSCF9088
9:46  琵琶峠頂上に着いちゃった

呆気なかった。もっと凄いのを想像していたんだが・・・

それだけ体力が付いたと言う事かな


老いては益々盛んになるべしかな・・・

DSCF9089
江戸時代の石畳






DSCF9090
9:48

八瀬沢一里塚




DSCF9091DSCF9092
琵琶峠越えしていたら 白とピンクの木の葉の絨毯路

に思わずうっとり

影武者君も元気そうだ


DSCF9093
9:55  地図

琵琶峠西の入り口  15分で制覇したぞ




DSCF9095
10:03    警察犬育成所

最近は犯罪も巧妙化してきている。益々警察犬の果たす役割の大事な時

代が来る


DSCF9096
国際犬訓練所






DSCF9097
ひたすらひたすら県道歩き 確かに車の往来も少なく快適なんだが物足りない

何かいいアトラクション出現しないかな




DSCF9098
先ほども大規模養鶏場があったが、鳥インフルエンザ等の伝染病の感染防

止のため部外者立ち入り禁止。  地図

ここも同じであった


サンエッグファーム  事業内容を調べてみると

事業内容□ 液卵加工品の製造・販売
□ 鶏卵加工品(ゆで卵・温泉卵・卵殻カルシウム・クレープ)の製造・販売

だった

拙者が思い浮かべたのは 名古屋コーチン養鶏場だった

名古屋コーチンの歴史

  • 名古屋コーチンは、旧尾張藩士の海部兄弟が作出しました。
  • 明治38年(1905)に国産実用鶏第1号として日本家禽協会から公認されました。
  • 大正8年には公式名称が名古屋種に改称されましたが、現在でも名古屋コーチンの通称が一般的に使われています。
  • 昭和30年代まで名古屋コーチンは卵肉兼用種として、その名を全国に馳せました。
  • 昭和30年代後半に種鶏の輸入が自由化されると、肉専用、卵専用と効率を重視した外国鶏が全盛となり名古屋コーチンの飼養は衰退しました。
  • 昭和40年代後半になると昔ながらの「かしわ」の味が求められるようになり、名古屋コーチンが再び脚光を集めるようになりました。
  • これを受け愛知県では、名古屋コーチンの改良を本格化させ、昭和59年に肉質を重視した肉用タイプ、平成4年には新肉用タイプ、平成12年には卵質を重視した卵用タイプの供給体制を整え今日に至っています。

名古屋コーチンの外観の特徴

名古屋コーチンの写真

名古屋コーチンの外観の特徴がわかる写真です。

  • 羽色は淡い黄褐色、眼は赤栗色、脚は鉛色です。
  • 雄は、羽色の赤味が強く、尾羽は緑黒色をしています。
  • 雌は、体色のほとんどが淡い黄褐色で、尾羽の先端は黒色をしています。

DSCF9099
10:21  地図

大きな標識が現れた  細久手宿 2.7㌔  と言う事は11時頃に到着か

それにしても現代だから熊や盗賊の心配しなくて済むが往時は 少人数


DSCF9100でこの雑木林の中を歩くのは心細かったろうに

10:21  地図

弁財天の池



DSCF9101
10:41  地図

奥之田一里塚

ここに着く随分前から 妙な音が藪の彼方から聞こえてくる


確かにエンジン音、こんな山奥でエンジン音と言えば木を切るチェンソーしか考えれない

そのうちにまた奇妙な音が混ざってきた

タイヤの擦れるような音、アクセル踏み込むあの甲高いエキゾースト音は、本物とはちょっと違うが

きっとこの右手にサーキット場があるんだ

右手の藪の中を覗き込んでも何も見えない

でもね 何故かこのエキゾースト音が大きくなるに連れて胸の鼓動が高鳴った

実際レースやラリーなどの自動車レースには全くと言って興味がないが 何故か胸が高鳴る

更に歩いていくと益々デカくなるじゃないか

もう胸の鼓動を押さえられないほどだ

DSCF9102
すると『YZ CIRCUIT』の看板が現れたが どのくらい歩くか不明だったため

間違っても進めなかった。いつの日か自家用車で来てみようと街道徘徊を続

けた  地図  10:42


DSCF9103
10:49  地図

まもなく細久手宿の看板が現る




DSCF9104
10:50

霊峰御嶽拝観地と言う事だけあって御嶽が小さいが拝める




DSCF9105
『処刑場跡 150m』の看板があったが 気味悪く立ち寄ることが出来

なかった訳じゃない。150mも寄り道すら出来ないくらい疲れていた

地図


DSCF9106
細久手長寿クラブの皆さんありがとうございます  地図

確かに歩かれる人は少ないと思いますがそれでも手作りの看板が「有る・

無し」では随分細久手宿のイメージが変わってきます。本当にありがとう


DSCF9107
何かの広場に出た 壁面のような処に絵が描かれている

どうも夏祭り風景のようだ

地図


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細久手ちょうちん祭り
細久手ちょうちん祭り 毎年7月第4土曜日におこなわれる津島神社の祭礼です。
 この祭りには、船型に材木を組み、車輪を取り付け、上部に約100個の赤丸提灯が吊された巻藁船を模した山車(長さ6.4m、高さ4.67m、幅2.3m)が、山車の上でお囃子を演奏しながら、宿内を威勢よく曳き回されます。

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10:58  地図

大黒屋」さん  細久手宿24軒の旅籠の一つが今

も健在で営業していたが、その1軒が、『尾州家定

本陣大黒屋』
であった。 細久手宿の本陣・脇本陣が手狭になリ、他領主との合宿を嫌った領主尾洲

家が、問屋役酒井吉右衛門宅を「尾州家本陣」として定めたのが、『尾州家定本陣大黒屋』のはじまり

である。

拙者は、次の御嶽宿まで歩くが 街道歩きされる方にとって街道内にある宿泊施設として人気ある宿

だが、ここで宿泊できないと23㌔先の太田宿(美濃加茂市)まで街道筋には宿はありません

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11:00  地図

細久手宿本陣跡に到着

日本橋から数えて中山道48番目の宿場町



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