toyotaboxyのblog

せんちゃんのグルメ&秘境の湯旅行記

旧東海道53次

歩いていこう旧東海道五十三次 大津宿→三条大橋

2013.11.16



ついについにこの日が訪れたが、今は
この文句を書くときが来てしまった、
東海道五十三次最後の宿大津宿を過ぎ、
とうとう最後の区間三条大橋までとな
ってしまった。順調にいけば、いやこ
のままでは順調にいってしまい今日の
この日をもって『歩いていこう旧東海
道五十三次』は完結してしまうのだ。
日本橋を発つときは月ほどの距離に思
えた三条大橋が、今は目と鼻の先まで
の位置まで来ていた、嬉しいような寂
しいような複雑な思いが時々よぎりな
がらの区間となった。




DSCF4685そんな感傷旅
に埋没されぬ
よう触覚を四
方八方に張り
楽しみを見い



出しながらの道程になった。



DSCF4774早速見付けた
「小町湯」さ
ん。町の銭湯
だが、でも開
店は15時半と



言うことならもしかしたら夕刻入浴可
能かも、楽しみにしておこう 。地図 



DSCF4775上を京阪電鉄、
下をJRが交差
している地点。
地図





DSCF4777国道1号線486
kmポストを見
てマジ凄いと
思う。486km
って人間が歩




く距離じゃないよね。信じられないよ
ね。




DSCF4778ここは最後の
難所である「
逢坂(おうさ
か)」山城の
国と近江国を




DSCF4781分ける国境の
坂でもあった。
当時はもっと
急坂だったた
め荷車を引く




DSCF4780牛でさえ大変
苦労したそう
だ。







DSCF4779
東海道と東山
道(後の中山
道)の2本が逢
坂関を越える
ため、交通の




DSCF4782
要となる重要
な関であった。
その重要性は、
平安時代中期
(810年)以後



には、三関の一つとなっていた事から
も見てとれる。なお、残り二関は
不破
関と鈴鹿関であった




DSCF4783歩いていると
【日本一のう
なぎ かねよ
と看板が出て
いてとても気



になった。大津宿でうなぎを食べ損な
っていたから尚更だった。時刻もちょ
うど正午を過ぎたばかりで、ここでう
なぎを食べていこう。




DSCF4791ショウケース
のサンプル見
てピンと来た、
この店以前秘
密のケンミン



SHOWで取り上げられた滋賀県のお店
だ。内容は『うなぎの蒲焼きに厚焼き
玉子が載っている・・・』内容で何時
か行ってみたいと思っていたお店でも
あった。明治5年に創業されたうなぎ料
理の銘店「逢坂山かねよ」。大正時代
に童謡詩人の野口雨情氏から「鰻料理
は 逢坂山の ひびくかねよか 日本一」
と詠われたことから、「日本一のうな
ぎ」が逢坂山かねよの代名詞となって
います。


店名:逢坂山かねよ

全国タマゴ祭り BEST10の発表。第6位
は大津市に住む滋賀県民が大好きな、
うな丼に巨大卵焼きがのったきんし丼。
きんし丼は逢坂山かねよなどで食べる
事ができる。 地図

秘密のケンミンSHOW 2013年9月12日

滋賀県・大津市にある、明治5年創業の
うなぎ料理店。局地的トレンド「きん
し丼」が大津市で大ブレイクしている
ということで紹介されていた。
<紹介されていたメニュー>
・上きんし丼(1940円)
秘密のケンミンSHOW 2010年2月4日




DSCF4784ここで食事す
ることに決定
し、注文は特
上きんし丼 
3300円





DSCF4786DSCF4787DSCF4785










DSCF4788出た~これが
TVで見たもの
か、でもうな
ぎの方は艶が
ないな、大丈



夫かな。昨今うなぎの稚魚しらすうな
ぎが全然捕れなくてうなぎが絶滅危惧
種に指定されたばかりだった。それを
食べるのだからひどいもんだね。うな
ぎを一口 ・・・普通のうなぎかな。
サラサラのうなぎのたれはうなぎにか
けても流れ落ちていくだけで、絶段旨
いって程じゃない。厚焼き玉子も味付
けはもちろん関西風のだし巻き仕上げ
で、関東人の拙者とすればちょいと物
足りない味付けとなっているの排他し
かないところだ。



DSCF4789確かに玉子3個
は異様だが、
もう少し白醤
油と砂糖を加
えた甘いタイ



プが好きだ。うなぎにはやっぱり錦糸
玉子の方が合うと思うのは拙者だけで
は無いはずだ。



DSCF4790でもきっちり
完食。ご馳走
様でした。







BlogPaintこんな看板あるのを
後で知った。迂闊だ
った残念無念。







DSCF4792食った食った
腹が一杯にな
って更に元気
になったゾ。
足も痛くない



このまま一気に三条大橋へまっしぐら。
実は真っ直ぐではなくこの陸橋を降り
てきたところだった。京阪電車がこの




DSCF4793逢坂を登って
いく。もっと
苦労して登っ
ていくと思っ
たら案外楽そ




うにス~と登って行ってしまった。低
速ギアでゆっくりと思っていたから吃
驚した。



DSCF4794旧東海道はこ
こで国1から離
れ本来の静か
な東海道へ戻
っていった。

地図



DSCF4795旧東海道はこ
こで再び国1に
分断されてい
た為歩道橋を
渡り対岸へ移



動する。地図



DSCF4796DSCF4797









とうとう京都市に入ってしまった。





DSCF4798DSCF4799








今日はここ(旧東海道)三条街道でイ
ベントが開かれていて、その名は三条
街道福巡りスタンプラリーだって。



DSCF4800イベントでは、
誰だろう漫才
らしきものが
演じられてい
たが全くと言



って面白くない。



DSCF4801ちんどん屋も
出ていたが可
愛いお嬢さん
達が演じるち
んどん屋さん



は、妙に可愛かったな。




DSCF4802この絵は通っ
てきた大津宿
の絵で、大津
絵と言い、大
津絵とは、今




からおよそ340年昔(江戸初期)、東
海道五十三次の大津の宿場(大津の追
分、大谷)で軒を並べ、街道を行き交
う旅人等に縁起物として神仏画を描き
売ったのがその始まりです。




DSCF4803再び旧東海道
は細い路地へ
入っていった。
地図 先方に
目をやれば急




坂がこの先待ち構えているが、もしか
してあそこ通るのかな。




DSCF4804その不安は的
中してしまっ
た。てっきり
逢坂が最後の
難所とばかり



と気が緩んでいたところに現れた坂は
予想以上に手強かった。坂を登るとこ
のような旧東海道の面影漂うと言って
も当時は唯々雑木林か藪の中の道で現
在の開発から逃れた道ですら昔に比べ
たら立派な道になっているのだろう。




DSCF4805ここでまた峠
道らしい上り
坂に出くわし
た。地図 モ
ニュメントと



して当時の荷車が展示されていた。そ
してその車輪の轍は車石と言われ皆が
同じ轍を通過し深く削られていた。



DSCF4806舗装道路のな
い当時の大変
さが大いに感
じられる。こ
れで雨でも降



ったならば滑って危険なこと極まりな
い。当時を忍ぶ貴重な資料だと思いま
した。



DSCF4808一切経谷町の
難所を過ぎる
と町は一気に
京都の町並み
に変わってい



った。街道の街路樹も真っ赤に色付き
秋真っ盛りだと言わんばかりに感じら
れ、特に地下鉄東西線蹴上駅周辺から
これぞ京都と思わせるほどの観光客で
賑わっていて皆動物公園を目指してい
るようであった。



DSCF4810ここから三条
大橋までの道
には沢山の観
光客に混ざっ
て歩きとなっ



た。久しぶりだな雑踏の中を歩くのは、
今回の東海道五十三次は皆が眠りから
目覚めるころより歩き始め午後3時頃
には歩くのを終えていたため人混みの
中を歩いた記憶がない。まして旧東海
道は開発に免れているとことは鄙びた
道となり開発された道は交通量の多い
幹線道路に変貌し、共に人が好んで歩
くような道ではなく常にひとり寂しく
歩を進める道すがらでもあった。




DSCF4811さすが秋の京
都は人気が高
いことを実証
出来るほどの
人混みでもあ



った。



    
DSCF481214:39 三条大
橋に到着 江
戸から512粁。
18日間掛かっ
てようやく成




し遂げた快挙でもあった。今こうして
思えばTV東京の『YOUは何しに日本へ
』を見て外人が大阪から東京まで歩い
ている姿に拙者でも出来るのだろうか
で始まった『歩いていこう旧東海道五
十三次』6/22江戸日本橋を早朝に旅立
ってから週末だけを使い半年の歳月で
やっと三条大橋にたどり着いた。たま
たま歩いた日は曇りが多かったがそれ
でも大量の汗に皮膚に炎症(汗疹)が
起きたほどだ。また休養日に献血しに
出掛けるとヘモグロビンは規定値以下
で献血が出来なかったこともあり、係
の方から“何か大汗をかきましたか?” 
“思い当たる節があります”と答えていた。
◆歩いたことない人から東海道五十三
次歩いて何か楽しいことある?と聞か
れたら『歩いていて楽しいことは何も
ない、でも歩けて(歩いて)ほんと良
かったと思っている。これは歩いてみ
れば解ることなのだ、歩かなければ解
らないことでもある』上手く表現出来
ないが自分の中でまた一つ『やれば出
来る。 困難でさえ1歩1歩の積み重ね
があれば克服出来ることを教わった』
ような気になった。ひとりでカナダへ
行ったり台湾へ行ったりもした。これ
でまた一つ視野が広がったような気が
する。将来はニューヨークへ行き現地
で3ヶ月くらいアパートで暮らしてみた
い。何をするという訳ではないが郷に
は入れば郷に従う生活を送ってみたい。




DSCF4813三条大橋を渡
り対岸へ来て
みれば弥次喜
多の像があっ
たがいくら探




せど東海道五十三次の終点の碑は見つ
けることが出来なかったと言うよりそ
んなもの無いのかも知れない。現代人
にとってそんなの関係ないのだろう。




DSCF4814この三種の神
器もこれが最
後の写真とな
るだろう。長
いことありが




とう助かったよ。これで歩いていこう
旧東海道五十三次は終えるが道草編は
もう少し続きます。お楽しみに。
最後に東海道五十三次を歩いてほんと
良かった、歩ける体をくれた母に感謝
ありがとう。

歩いていこう旧東海道五十三次 椿大神社で道草

2013.11.29

三重県伊勢市にある赤福本店にて毎月1日に月替わ
りの銘菓『朔日餅』が販売されるのでそれを目当て
に出掛けてみた。今回は2回目。初回はやっぱり1
日が日曜日だった9/1でそのときは『おはぎ』だっ
た。その為ある程度の要領は得ていたためその時刻
まで『歩いていこう旧東海道五十三次 道草編』を
することにした。確かに東海道五十三次の発展は、
大名の参勤交代という大きな役割もあったが別に
「伊勢参り」をする人出も宿場は栄えたほどだ。
伊勢参りをするため日永追分で伊勢街道と東海道
に分岐していた。11/14と11/2に桑名から四日市周
辺を通過したがそのときは伊勢国一之宮 椿大神
社(つばきおおかみやしろ)に寄り損ねていた。
その為今回是非立ち寄っていこうと計画していた。

2013.10.30  8:34
DSCF4890燃えるような紅葉最盛期の
椿大神社(つばきおおかみ
やしろ)に着いた。
地図
伊勢神宮を創建された、第

11代垂仁天皇の皇女である倭姫命。皇女の御神託に
よってこの鈴鹿山麓のふもとに猿田彦大神が奉られ
たのは、今から約2,000年前の紀元前3年のこと。伊
勢神宮が今の地に祀られた頃と時を同じくして創建
された椿大神社は、日本最古の神社の一つとされて
います。天孫降臨の際に地上で出迎え、高千穂まで
ご案内したという猿田彦大神を主神としてお祀り、
全国の猿田彦神社の総本社。自らの人生を切り開い
ていく
というパワフルなご利益をいただけるのがこ
の猿田彦本宮。夢や目標をしっかりと祈り、生きと
し生けるものすべてに、平安と幸福を招く
とされる
ありがたいサポートをぜひいただきたいものですね
猿田彦は、どちらかと言うと神話でも謎の神
様で、高天原から葦原の中つ国まで照らし輝く
神であったとされ、鼻長七咫、背長七尺、つま
り、鼻が126㎝、背丈が210㎝で、目が丸で、
口や尻と同じくピカピカと光っていたそうです
天狗の祖とも言われますが、すごいとしか言
いようが無い異形です。

鈴鹿山にあるこの神社は自
動車のお払いDSCF4891でも有名。
実は拙者も今納車待ちなの
だ。契約から早一月経つが
まだ納車されない、早く来
ないかな toyotaaqua。

DSCF4893早速境内へまいろう。境内
は巨木に包まれ、一歩足を
踏み入れると空気が一変し
たのがはっきり感じられる
程霊験高々な神域でもあっ

DSCF4894た。清掃を終えたばかりの
参道はやっぱり格別な思い
が体験出来る。やっぱり早
朝というのはなんて心穏や
かにしてくれるのだろう。

DSCF4895参道右手には椿岸神社があ
り、ここは恋愛運upの神社
、叔父さんには縁遠い神社
かも知れない。


DSCF4896その傍らには御百度石があ
ったが、現在も御百度石に
よる願掛けが行われている
のかな。



DSCF4897本殿に到着。既にお祓いが
始まっていた。そういえば
参道入り口に沢山の車が止
まっていたが皆ピカピカの
新車だった。

DSCF4898気魄 鉄砲柱。拙者も何度
となく突っ張りをしてきま
した。闘魂注入ならいいが
ラブ注入になっていたかな。


DSCF4899へぇ~佐渡ヶ嶽部屋親方の
奉納品だったのか!同じ下
総の国にだね。それにして
も『気魄』は、困難にくじ
けない強い意志・気性だね。

DSCF4900おみくじがあった、8体の
いずれかの縁起物が入った
お神籤も変わっているが『
椿恋みくじ』?何々恋愛成
就のお守り入りのお神籤か

DSCF4902椿岸(つばききし)神社に
移動しよう。猿田彦大神の
妻神・天之鈿女命が主祭神
として祀られており、全国
の天之鈿女命の総本宮でも

あります。 ご事績により芸道の祖神として信仰さ
れ、また鎮魂の神、夫婦円満の神、縁結びの神と
して崇敬されています。


DSCF4901神招福臼。三度突いてから
願いを唱えるらしいので拙
者も実践した、我が人生に
幸あり。


DSCF4903招福の玉。この玉を撫でな
がら「祓へ給へ、清め 給
へ、六根清浄」と3度唱え
てお祈りすると、心の中幸
せを招き念願が叶えられま

す。

DSCF4904これは扇塚で、芸人に関わ
りのある神様でもあった。





100_0072-768x576

本殿と椿岸神社との間あた
りにある、かなえ滝です。
パワーがあるとされます。
また、縁結びによいとも言
われています。最近はネッ

ト上でスマホなどの待ち受け画面にすると、恋や
願いがかなう、かなったと言う話が多数あります。

DSCF4905ここは、鈴松庵。
この茶室は庭園とともに、
松下幸之助氏が、日本の
心をこよなく愛する情か
ら、茶道の発展を祈念し

て椿大神社に寄進されたものです。鈴鹿の“鈴”と
松下幸之助翁の“松”をもって鈴松庵と命名されま
した。

DSCF4906伊勢国一之宮の椿大神社
に初めて参拝に来たが、
とても面白い神社だった。
恋愛運upを目指している
方におすすめ神社ですね。

歩いていこう旧東海道五十三次 草津宿→大津宿

2013.11.16

ついについにこの日が訪れた 順調にいけば今日のこの日をもって 『歩いていこう旧東海道五十三次』は

完結する

京都三条大橋まで30粁圏内は拙者にとって歩き慣れた距離でもあったため完歩確実性と翌日のことを考え

ないためいつもより遅めのスターで始まった
DSCF4685
8時少し前に順調に草津宿到着。

53番宿大津宿に向けて再び歩き始めた



DSCF4715
草津宿中心部は路面に着色を企て「ここは旧東海道の宿場」なんだぞとアピール

している。でもいいね ややもすると日頃の忙しさにかまけて現代人は旧東海道の

ことなんて忘れがちになる。そんな中路面が色付けされインパクトを与えれば否が

DSCF4716応でも気にするし気になる。いつの日にか旧宿場町で町を盛り上げる機運が生ま

れてくることだろう(実はそう願いたいところでもあった)




DSCF4718DSCF4717
草津交流館にあった地図

7:54  地図



DSCF4719
太田酒造さん  地図

太田家は江戸の初期、
道灌公の末流太田若狭守正長が越前福井藩から海道の要衝近江の草津に移り、代々関守をつとめてまいりましたが、その後この宿場で酒造りを始め、遠祖の名に因んだ清酒「道灌」は東海道や中山道を往来する人々に、これぞ天下の銘酒と賞味されてまいりDSCF4720ました。


昔の草津宿 浮世絵

ここは矢倉橋袂

 DSCF4721
DSCF4722
矢倉橋  地図

8:07



DSCF4723
矢倉 風景記憶絵  これは当時を知る大変参考になる絵だね 8:12

もちろん東海道は舗装されておらず 雨が降った際には大変だったのだろう

また 両側の商家や田畑 リアルに想像が出来る いいね

DSCF4725DSCF4724
地図

8:19  国1に出た。

ここで旧東海道は分断されていた

DSCF4726
今は住宅が建っているけど本来は旧東海道でもあった地

地図



DSCF4727
この一里塚に東屋が立っていた。中には当時の浮世絵が飾られていた





DSCF4728DSCF4729DSCF4730
湧き水が出ていたが飲水不可

だってでも昔の旅人は大いに

助かったことだろう 地図

DSCF4731DSCF4733
大きな池に出た 弁天池だ

池の中に浄財弁財天があった

地図  8:39

DSCF4734
三条大橋まで五里(約20粁) あと5時間で着くんだ

現在9時だから目標は14時だな 頑張ろう



DSCF4735
ここで小用がしたくなり小学校のトイレを拝借。スポ少軟式野球チームが練習し

ていた。このチーム高学年中学年低学年と三チームもあり、僅かだが練習風景

を観覧していたが、以外と強豪チームと察した  瀬田小 地図

DSCF4736
草津市神領付近 歩道にこれから向かう瀬田の唐橋のイラストが描かれていた

宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋・日本三古橋の一つとされる。また、日本

の道100選
にも選ばれている。

DSCF4739
9:47  瀬田の唐橋に到着

琵琶湖から注ぎ出る川は瀬田川しかなく、東から京都へ向かうには瀬田川か琵琶湖を渡るしかない。瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は京都防衛上の重要地であったことから、古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた。

DSCF4740
唐橋からは湖岸の木々が色付いていてそれはそれは綺麗だった

これはやはり肉眼でなければ見られない光景でもあった



DSCF4741
もしかしたら俵藤秀郷?かな

違ったらご免なさい



DSCF4742
やっぱり当たっていたが大きな勘違いをしていた

橋でムカデを退治したと思い込んでいた

恥ずかしい

DSCF4743
橋袂にあった瀬田川の水位計

実物を見る方が感動がある。この時代にこんなアナログ式な水位計があったのか

地図

DSCF4744
水位計観測所から望む瀬田の唐橋

擬宝珠がある橋としても有名だ



DSCF4745
勢多大橋東西大綱引き』なるイベントが開かれたばかりだった

2013.10.19 あ そうか 大蛇からこの大綱引きが起源だったんだ

でもまだまだ日本に知らないことが沢山あるな  一度見に来たいね

大綱引きと言えば沖縄で行われるイベントにも行ってみたいし 静岡・長野の県境で行われる峠の国盗り綱

引き合戦
も興味がある

DSCF4749
歩いていると面白い店があった

屋根にある瓦そう瓦屋さんだった

なんでもこの瀬田には、瀬田唐橋の私設美術館がいくつもあるらしい。そのうち

DSCF4746の一軒がここ大田瓦店です。オーナーは、こだわりの仕事人でガチガチの男らしい。

ご自分の瓦職人としての思いを表現できればとコツコツ集めたコレクションがこれ

ららしいですです。


DSCF4747
鬼瓦(おにがわら)は和式建築物の棟(大棟、隅棟、降り棟など)の端などに設

置される板状の瓦の総称。略して「鬼」とも呼ばれる。厄除けと
装飾を目的とし

た役瓦の一つ。

DSCF4748
これは意外と面白かった

いいね!




DSCF4751
ローカルな駅が出現  京阪電鉄石山坂本線 唐橋前駅  地図

9:57  最初 京都に近いのになんて素朴な駅なんだろう



DSCF4750
駅のホーム幅も狭くそして短い この駅にどんな電車が入ってくるのか胸がときめ

いた。



DSCF4752
あ パトカーが走ってきたと思ったらパトカーデザインされたラッピング列車だ

このラッピング費用は警察が出しているのかな

そんなことどうでもいいことではないがやっぱり気になる

DSCF4753
615編成(パトロールカー(滋賀県警察本部・JA共済連滋賀県本部)、2012年4

月29日から約1年間。2013年からはAKB48の田名部生来
の写真入りとなっている。)

こんなことやっているが赤字路線で困っているらしい

DSCF4755DSCF4754
今度はレトロな写真館があり店頭にこれまたレトロなカ

メラが展示されていた。やっぱり東海道五十三次は凄い

感動した  地図

DSCF4757
マンホール蓋考察

・市制100年周年の大津の景観をデザインした、琵琶湖、琵琶湖大橋、ミシガン

船、ヨット、観覧車、 市の鳥・ユリカモメ、市の花・エイザンスミレ、市の木・ヤマ

ザクラ、 花火大会、レガッタ、びわ湖花噴水、犬などが描かれているがあまりにも詰め込みすぎて何を表

現したいのか解らなくなっている。欲張らずに瀬田の唐橋をメインに描けたならもっと素敵なものになって

DSCF4758いたと思う

これは波紋だけのシンプルなもの。これでは味気ない。水道局の人はセンス

無いね


DSCF4759
10:27 瓦ヶ浜駅  京阪膳所駅から石山寺駅間は市内電車風に市街地を縫うよ

うに路線が敷設されている。まるで路面電車だね



DSCF4760DSCF4761
かねひら餅

東海道名物の文言に惹かれ入店



DSCF4762
亀屋廣房  

以前にも歩いている途中で購入していた

磐田市で『粟餅』を・・・

DSCF4763歩くと言うことは、平均的な歩く距離ではない想像を超える30粁以上は体力を使う

のが当たり前 そのため甘いものが欲しくなることは必然なことかも知れない

1つください で購入


DSCF4862
かねひら餅は関西人の大好物わらび餅に似た商品です

甘さ控えめなきな粉と相性抜群 美味しかったです



DSCF4764
大津絵をあしらった時計が販売されていたが大津絵?

大津絵(おおつ-え)とは、滋賀県大津市で江戸時代初期から名産としてきた

民俗絵画で、さまざまな画題を扱っており、東海道
を旅する旅人たちの間の土

産物・護符として知られていた。中でも「藤娘」は良縁、「鬼の寒念仏」は子供の夜泣き、「雷公」は雷除け

などのご利益があると話題になっていた。
DSCF4765
これは滋賀県庁。滋賀県の中心地だ。滋賀県と言えば琵琶湖だが拙者に取っ

てみれば ひこにゃんかな会ってみたいな

また琵琶湖湖岸に現れる魚肉ソーセージを使ったホットドッグの移動販売者を

探し態態出掛けたこともあった。他にも長浜の黒塀や鯖そうめんも食べに行った。今となってみれば懐か

しいな。今滋賀県でしたいことは うなぎ料理を食べたい。何でもうなぎ蒲焼きに厚焼き玉子が付いている?

なる料理があるらしい。それを食べてみたいのだ
DSCF4766DSCF4767DSCF4768
料理屋があったがこの店で

は今の時期うなぎは予約制

だった

DSCF4769DSCF4770
道路に線路が埋設されていた。てっきり路面電車と思

っていたら京阪京津(けいしん)線だった



DSCF4771
するとそこに電車が走ってきた。この姿だけ見ればまさに路面電車だ。

それにしても凄い勾配の中を登っていく姿に圧巻された



DSCF4772
電車に見とれていたら凄い看板に出くわした

大津宿本陣跡だった  11:40  

とうとう53番目の宿に着いてしまった

DSCF47736/22日に日本橋を発ってから・・・泪 5ヶ月かけてやってきてしまった

残るは三条大橋だけだ

そう思うと急に寂しさが立ちこめるから不思議だ

残り4里ほどかな 一歩一歩思い出をかみしめながら歩いていこう



歩いていこう旧東海道五十三次 桑名宿→四日市宿

2013.10.13

10月になり待ちに待った3連休 またしても『歩いていこう旧東海道五十三次』に出掛け2日目が始まっていた
DSCF4012
宮宿 七里渡しから熱田神宮に寄り道し自家用車を取りに新安城まで戻る

その後運転してここ桑名の七里渡しまで今着いた

約3時間の休足で足は随分復活することができた

DSCF4293
本日既に7時間くらい歩いていたのでこのまま終えてもいいのだがまだ余力が残っ

ている。もう少し歩けるとこまで行ってみようで再び徘徊再開

桑名の七里渡し 地図

この鳥居 伊勢神宮内宮入り口にある宇治橋外側(俗界)にある鳥居を移築する

内宮に参拝する際は確認しておこう

内側の鳥居は関宿入り口にある東追分にある鳥居です

DSCF4986
これが宇治橋外側にある鳥居

撮影は2013.12.01 6:32

冬至の前後1ヶ月間だけ鳥居の中から日の出が見られる


本望なら旧東海道に皆が関心があって週末ごとに散策等で沢山の人出が出る

宮宿からここ桑名間を週末のみだが船が運航されている・・・のが理想で今回の東海道踏破も船による移動

が出来たなら最高だったが現実は東海道のことなんかほとんどの人が目もくれない有様

温故知新と言う言葉を日本人は忘れてしまったのか

故きを温ねて新しきを知る だ

でもこのことはほぼ人間に限る話だね 東海道を辿っても新しいことを知ることはないね

ipadを使っている拙者には故きを温ねて新しい物を使うかな

冗談はこのくらいにして本業に戻ろう
DSCF4296DSCF4294
きれいに護岸整備されて恐らく当時の面影は残っていない

それもそうだね度かなる水害防止のため護岸整備は仕方ないか


DSCF4295
水門先に見覚えのあるクレーン? あ ここ昨年12月にイルミネーション見に来た

なばなの里だった

あのイルミネーションは凄かったが人出も凄かった

DSCF4297
この鳥居の前を左折。そこが東海道だった

15:37



DSCF4299
歌行燈辺りが元本陣があった場所  地図

約3時間休んだ足は意外にも調子がいい。こんなに単純だったのか拙者の足はと

自分でも感心してしまうほどだった

DSCF4300
人気がない街道。ここの宿場の乗船待ちに人で賑わったのだろう

特に時化の日には足止めされさぞ賑わったのだろう。調べてみればこの通りだった

江戸時代後期の調査では、本陣2軒、脇本陣4軒、旅籠屋120軒を擁し、家数2,544軒、人口8,848人(男4,390人、女4,458人)であったと記録されている。東海道では旅籠屋数DSCF4302で宮宿に次ぐ2番目の規模を誇った。

桑名城城壁




DSCF4303
その傍らに『歴史を語る公園』があった

東海道五十三次の江戸から桑名までを表していたが富士山だけしかなかった気もする

地図


DSCF4305DSCF4306






DSCF4308
石取会館(いしどり)  地図

石取祭を紹介している施設です。館内展示の漆仕上げの祭車は、江戸時代末期の作で、当時の技術の粋を集めたものです。

石取祭(いしとりまつり、いしどりまつり)は三重県桑名市で行われる祭で、重要無形民DSCF4307俗文化財。石採祭と表記されることもある。30数台の祭車が、鉦や太鼓を一斉に打ち鳴らして練り歩く勇壮豪快な様から、「日本一やかましい祭り」、「天下の奇祭」と呼ばれる。

いやー知らなかったなそんな祭りがあるなんて・・・

毎年8月の第一土日に開催していたなんてほんと日本には色々な祭りがあるもんだね

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石取祭りではない

ではこの山車はなんの祭りなの



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マンホール蓋考察

可愛いはまぐりが6個  色が付いて本当に可愛い

状態がもっとよければ最高なんだがね

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共に七里渡しが描かれている

黄色単色だがこれだけでも見栄えがこんなにも違ってくるね



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千姫折鶴祭を表し折り鶴が描かれているのだろう

徳川家康の孫娘「千姫」が幼小にして豊臣秀頼と政略結婚させられ、大阪城落城の時助け出された後、桑名藩主本多忠政の子忠刻と結婚、本多家が姫路城へ移るまでのわずかな期間桑名で幸せな日々を送ったという史実と、市の無形文化財「桑名の千羽鶴」にみる優しく美しい文化遺産を結びつけ『千姫と千羽鶴のまち・桑名』をアピールするのDSCF4314が千姫折鶴祭です。

旧東海道は変な曲がり方をしていた

ここを右折、次を左折 その先を左折して路地を迂回して左手方面へ進んでいった

凄い無駄な歩きになっていた 地図
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地図





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いもや本店  地図

わぁ^外観からしてなんか凄そうな店が出現 間口こそ狭いが奥は意外と深い

当初は芋やさんだったことから現在もそのまま名乗っているとのこと

創業70余年らしいが店内が凄い ドンキホーテを超える山積みならぬ壁から天井まで商品で埋め尽くされている。

もし税務署が棚卸ししてますか・問われれば そんなこと出来るような環境ではない

ホームセンターの小さなネジを一個ずつ数えるのに匹敵するくらいの数が店内に陳列されている

でも恐らく陳列されているほとんどの物が買い手は居ないことだろう

なぜなら 古くなってしまったまま陳列されているからだ

でもよくよく調べれば年代物の未使用品が見つかるかも知れない

セルロイドの人形、ブリキのおもちゃ、各種カードなど ここはもしかしたら宝の山かも知れないね

見学してもいいですかに“どうぞ好きなだけ見ていって”でお言葉に甘え見るだけになってしまった

今思えばジュース1本でも買っておけばよかったと後悔している

旧東海道に面した 変わったお店 いついつまでも存続していることを願っています

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半鐘とは珍しいな

これは飾り物かな それとも今でも現役なのかな

地図

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桑名に移動してから1時間歩いたがやっぱり気力が萎えてきた

本日歩き始めて10時間半が経っていた。近くに駅があるため今日はここで終わり

にした  地図  近鉄益生(ますお)駅

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ここから桑名駅まで戻り最後はタクシーで七里渡しまで送ってもらった

ここからは もう一つの目的でもある道草敢行だ

今回のお風呂は木曽岬温泉へ行ってみよう

DSCF4324DSCF4325何でも石砂利の湯があるってことで有名な湯

やっぱり自家用車を駆使して歩く東海道五十三次は

この方法が一番だと思う



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

2013.10.14

10月三連休最終日が始まろうとしていた

今日もいつものように早朝より歩き始め 歩けば歩くほど家から遠くなり帰るのに時間を要するようになる

そんな訳で切りのいいところまで歩き家に帰る予定
DSCF4347
5:06 

徘徊開始

まだまだ眠りの中の桑名市

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暗くてよく解らなかったが昨日通過した地点に到達して

いた

地図

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員弁川に出たが旧東海道に橋は無し。

寂しいね 是非人道橋でいいから作って欲しい

地図

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近鉄伊勢朝日駅

朝日駅って今夏 中三女子が花火帰りに殺害された地かな

あのときはJRの駅だった

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マンホール蓋考察

朝日町の町の木 白梅をあしらったデザイン

白梅なら色を付けてね

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6:16 朝日が出てきた

新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸をいだけ 青空仰げ



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マンホール蓋考察

四日市市に入っていたのか

市の花 サルビアが描かれていた

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歩いていくと加色されたマンホール出現

やっぱり色が付くと殺風景なマンホールが鮮やかに変身した




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時折写真を撮りながら歩いていると 自転車を押したおじさまが話しかけてきた

先ほどの中三女子の話を持ちかけたら“事件は迷宮入りだそうだ どうも警察の

初動捜査に問題があったみたいだ”

DSCF4362
何はともかく一日も早い事件が解決することを願っている





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七里渡しから2里半って10粁歩いたのか更には四日市宿まで1里

頑張ろう



DSCF4365
街道沿いに24時間営業のラーメン屋さんがあった

伝丸 ゼンショー経営のらーめん屋

以前藤枝で食べたかった朝ラーがここで食べられるかで入店

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朝ラーセット380円は安すぎ これでご飯も付いている

原価150円かな

注文はこれに決定

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来た朝ラーセット

らーめん自体は普通としかいいようないが 朝食で今日一日元気もりもり



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客は拙者ひとりだったため朝ラーを食べる人っているの?

毎日来る人がいるほど意外と人気メニューなんだって



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旧道はこの店から側道へ逸れていきます

地図



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海蔵川を迂回して再び旧道へ出たら看板が掲げてあった





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三滝橋上に描かれていた

この祭り七夕に関係があるのかな



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笹井屋?なが餅?なんだなんだ

調べてみた HP



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マンホール蓋考察

コアラにパンダ、港に船・工業地帯、橋? ようかん・・・色々な物が描かれている



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この交差点付近に本陣があった  8:27

江戸から43番目の宿四日市宿に着いた

後10宿になってしまっい嬉しいような寂しいような複雑な気分  地図



歩いていこう旧東海道五十三次 亀山宿→関宿

2013.11.02

11月になり季節は晩秋にさしかかろうとしていた。
11月の3連休も『歩いていこう旧東海道五十三次』
に出掛け1日目が始まろうとしていた。

DSCF4012今回は、近鉄日永駅関宿
まで行けたら、願わくば
鈴鹿峠入口まで行きたい。
それは箱根峠越えの時も
小田原宿を超え箱根町ま

DSCF4458で行き、翌朝一気に峠越
えを行った経験から今回
もその計画で歩いて行こ
うと決めていた。ここは、
亀山宿本陣があった地点

DSCF4459の東町交差点である。現
在『アート亀山2013』が
開かれている市内だが、
その内容は、亀山市東町
商店街にアートを取り入

れ、 街を元気にという想いからスタートしたの
が「アート亀山」。 第6回目の「アート亀山
2013」は、北海道から広島県ま で、全国の若手
アーティストの皆様、地元作家の皆様方 のご協
力で、商店街という日常の中にアートという非日
常を持ち込 み街歩きを楽しみ人々との交流を図る
という企画であった。

DSCF4460DSCF4461






「アート亀山 2013」の発表内容は、平面、立体、
映像、インスタレーション、パフォーマンス、ダ
ンスなどの他、アーケード・シャッター部門など
もあった。その街頭では、似顔絵を描いている方
が居たりと面白かったが如何せん人通りが少なす
ぎる。もう少し人を呼べるイベントと組み合わせ
ることも必要かな。

DSCF4462江ヶ室(えがむろ)交差
点を左折すると旧道は黄
色にペイントされた道路
となった。これはいいア
イデアだね。全ての旧道

を色付けできるわけ無いが出来るところから始め
ここが旧東海道だと言うことを占めそうではない

DSCF4463か、それによってドライ
バーにも速度抑制の効果
も現れ、交通事故を減ら
すことも出来るはずで、
それによって感心者が増

えれば観光客も増える→町に活気が戻る事になる
はずだ。池之側橋から池をみると決して綺麗な水
では無かったが、水面に花びら?が散り水面を赤
く染めあげ幻想的でとても綺麗だった。 地図


DSCF446411:43
やっぱり黄色くペイント
された道はいいね。地図
(ipad)を見なくて道に
迷わない。この亀山宿は、
東海道46番目の宿場町と

して栄え東の端・露心庵跡から西の端・京口門跡
までの約2.5kmが亀山宿です。歌川広重「保永堂
版東海道五十三次雪晴」は、「亀山に過ぎたるも
の」と謳たわれるほど豪華だった京口門を描いた
ものであった。亀山は宿場町であるとともに、 亀
山城の城下町としての顔も持ち、そのため見通し
のきかない曲がりくねった複雑な道や坂道が多く、
城下町らしい特徴的な町並みとなっています。宿
場は栄えていましたが、藩領内に幕府直轄の宿場
が置かれたので、参勤交代で通 る大名達は亀山宿
に宿泊するのを遠慮したといわれていた。

DSCF4465確かにここの旧道は幹線
道路から外れたところに
あるため車の往来も少な
い、だからこそかえって
このペイントされた道が

生きてくる。どうしてこういった発想が無かった
のかね。

DSCF4466ちょうど昼刻となり食事
でもしようと店を探すが、
裏街道になっているこの
旧東海道沿線には、飲食
店が無い。先ほどの本陣

DSCF4471跡(東町)周辺は土曜日
だからか、それとも不況
の性かシャッターが閉ま
った店ばかりで食事する
ことが出来なかった。諦

め気分で歩いていたところに食事出来るところ出
現、ここは精を付けるために焼き肉定食に決定。

DSCF4467商品が出てきて吃驚。伊
勢うどん付きだった。懐
かしい!伊勢うどんを食
べるのはこれで3回目。初
回は傾いたらーめん屋で

有名な『まる豊』さん、二度目は2013.9.1に行っ
た伊勢神宮のおかげ参道で食べていた。

DSCF4468伊勢うどんは腰が無く決
して美味しいものでは無
かったがまさかここで食
べられるとは思わず得し
た気分になった。肝心の


DSCF4469焼き肉は決して褒められ
たものでは無く、もう少
し上手に調理出来るだろ
うという出来映えであっ
た、でもご馳走様でした。

DSCF4472再び歩き始めるとこの頃
から旧道沿いの旧家に拙
者を楽しめるものが現れ
た、はがきサイズに描か
れた絵手紙である。季節

柄秋の題材のものが多かったが皆上手に描かれ拙
者の心を癒やしてくれた。絵手紙を上手に描くコ
ツは、大きく描くことが一番大事、色付けは少し
はみ出るくらいがちょうどいいかな。

DSCF4473絵心の全く無い拙者でも
感心するばかりであった。
これを見ながら歩いてい
ると鉛のように重たい足
が軽やかになっているの

が感じ取れる。何だかんだで黄色く色付けされた
道路は終わってしまい、やっぱり色付けされた旧
道は予想以上にいいもんだね。

DSCF4474また軒下に菊の花があっ
たりと拙者を飽きさせな
い亀山宿に感心したほど
だが、現実は甘くない暫
くまた詰まらぬ徘徊が続

いていた。

DSCF4475名阪国道ガード下にさし
かかると旧東海道五十三
次の絵が描かれていた。
地図



DSCF4476DSCF4477DSCF4478DSCF4479






DSCF4480DSCF4481DSCF4482






とかく落書きの温床となり得るガード下に廣重の
絵を描くなんて道路公団も粋な計らいをするもん
だ。だが、これも通行料金に上乗せされていると
思うと複雑である。高すぎるぞ日本の高速道路料
金は。

DSCF4483あと少しで関宿にさしか
かろうとしていたら交通
規制の予告看板が・・・
内容を確認すれば 明日
11/3関宿街道祭りが行わ

れると書いてあるが、先を急ぐ身ではないが、折
角の連休を利用してここまで来たのだから距離を
稼ぎたい方が最優先で見物は出来ないだろう。

DSCF4484マンホール蓋考察
関宿専用マンホール蓋で
あった。三度笠の旅人が
関宿を行く姿が描かれて
いた。

DSCF4485町中には、明日の祭りで
活躍するのかな 張り子
の馬が出走待ち状態だっ
た。


DSCF4486関宿入り口の東追分に到
着。地図

関宿(せきしゅく)は、
東海道五十三次の47番目
の宿場である。現在は三

重県亀山市(もとは関町であったが、2005年1月
11日に亀山市と合併した)。
古代からの交通の要
衝で、壬申の乱の頃に古代三関の一つ「伊勢鈴鹿
関」が置かれた。江戸時代も、東の追分からは伊
勢別街道、西の追分からは大和街道が分岐する活

DSCF4487気ある宿場町であった。
古い町並みがよく保存さ
れていて、国の重要伝統
的建造物群保存地区
とし
て選定されている。

関宿は町並みが保存され素晴らしい景観を醸し出
している情報は得ていた。だからこそ楽しみでも
あった宿場でもあった。画像こそ無いが東追分に
立つ鳥居は伊勢神宮内宮入り口にある宇治橋内側
(神域)にある鳥居を移築する。内宮に参拝する
際は確認しておこう。外側の鳥居は桑名宿入り口
にある七里の渡しにある鳥居です。

DSCF4488今まで430粁ほど歩いてき
たがこんなに町並みが保
存された地域は無かった。
名古屋市緑区の有松地区
も素晴らしかったがここ

DSCF4489の景観が群を抜きんでて
いる、ブラボー!こんな
美しい景観を我が物顔の
車を走らせる輩には唖然
とする。ゆっくり走ろう

という気が無いのかね、悲しいね。最近の話題で
は、有名企業の怠慢が目に付くメニュー偽装や輸

DSCF4490送会社の商品管理問題、
鉄道の点検不備による事
故などなんとも情けない
話だ。会社の欲の為に消
費者を裏切った行為は背



DSCF4491信行為そのものだ、許し
がたいね。特にホテルや
デパートの高付加価値を
認め高額を払う消費者を
欺くなんてもってのほか

だ。この代償は必ずやってくる覚悟しておけ。そ
れだからA級グルメは好きじゃない。高い金払っ
て食べるものが不味かったら最悪だ。安い金で美
味しいものを探す、巡り会えたときの喜びは格別
なものがある、だからB級グルメは止められない
ね。

DSCF4494明日の祭り準備?と言っ
ても何も行われていなか
った。明日は完全にここ
には居らず祭りを鑑賞は
出来ない、だからこそ、

せめて少しでも前夜祭とまで行かなくても祭り気
分が味わえたならと思ったが叶わなかった。

DSCF4495百五銀行 関支店。外観
は、宿場町・関宿の町並
みの景観に配慮した建物
で、ATMコーナー
には「
現金自動取扱所」の表示

がされている。

DSCF4497

DSCF4496






13:33  川本本陣跡に到着。江戸から47番
目の宿場であった。これから先は鈴鹿峠に向
かう山道となる為、その前に一度駅に出向き
バスなどの情報を得ておきたかったんだ。
ipadで調べても情報が載ってこないからだ。

DSCF4498関西本線 関駅。
駅で確認すればこの
先坂下宿まではコミ
ュニティーバスがあ
るが峠越えのバス

はない。つまり今日はここで終え明日早朝
より一気に鈴鹿峠越えを果たし鉄路で再び

DSCF4500DSCF4501







ここまで戻るのがいいと決め、峠を越えて最
初の駅水口(水口)まで約30km歩く予定だ。
そうと決めたら今朝の出発地の日永駅まで戻
り車を取りに行こう。

DSCF4499関から日永までは乗り
継ぎが悪く一旦桑名ま
で戻るか途中駅から歩
くしか方法はなかった。
拙者は南四日市駅で下

車2500mを歩き近鉄日永駅まで戻った。まだ
まだ今日は余力があったからいいが、この時
点での2.5kmを歩けて言われたらきつかった。

DSCF4502S0024507
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