北海道札幌市内中心部に建つ「札幌市時計台」に
やって来た。 地図 札幌に来たな
らば誰もが一度は訪れる観光名所で
ある。しかし、建設当時は農場の中
にあって、皆に時を知らせる大切な
役割をしていて、それはそれはひと
きわ目立つ存在であったのだろうが
、現在となっては、ビル群に挟まれ
た街のど真ん中にあるためとても肩
身が狭い思いをし、記念写真を撮ろ
うと思ったら一苦労のことから不名
誉にも、日本三大がっか
りスポットの汚名が付い
てしまった。今までもこ
の時計台を訪れてはいる
ものの、外観だけで終え
ていたため今回こそは内
部見学にと出向いたが、
運悪く今日からコロナ蔓
延防止のため北海道は再
び非常事態宣言が発令さ
れ、臨時休館となってい
た。そのため時計台外観
だけでも詳細に見て行こ
うと決め徘徊を開始した。
札幌時計台が何故人気な
のかと言えば、往時の姿
を今に伝えるその外観の
美しさであろう。コロニ
アル建築様式の建築美が
多くの人を惹きつけてい
ます。コロニアル建築様式とは、主に木造で板を
横に貼った壁と、建物正面のポーチ、そして大き
な窓とベランダが特徴的な建築様式であることは
同じである。日本においても、明治期以降に長崎
や神戸などの外国人居留地の住宅に用いられ、の
ちに大きな影響を与えた様式であった。その三角
屋根の元で今も現役で時の鐘を響かせる音は、日
本の音風景100選にも選ばれている。レトロな佇
まいに一瞬でノスタルジックな気分にさせてしま
うのが時計台でもあった。時計台が建設されたの
は、1878年で今から143年も前になり、当時の建
物には時計は設置されて居らず、鐘楼で時を告げ
ていた、札幌農学校の2代目教頭のホイーラー
が米ニューヨーク市のハワード時計商会に振り
子式の塔時計を発注したが、到着した時計が大
きすぎて入らず作り直して、3年後の1881年に
なりようやく現在の形に改築され時計が設置され
無事時計塔ができあがった。札幌の標準時計
に指定され、鐘を鳴らして札幌市民に時を知
らせるランドマーク「時計台」へと姿を変え
ていた。時計台は設置当初の機械構造が今も
動いており、現存する塔時計(機構部)とし
ては国内最古で、2009年には「機械遺産」に
認定されている。今でも人力で週に2回、重り
の巻き上げ作業を行っている。この時計台にも
幾度の試練があったようで、1903年に現在の地に
移設され、近年では市内公園への移設が取り上げ
られたが、市民の反対で中止となった経緯がある、
また、修理されず止まったままの時計の時代が長
く続いが、それを可哀想とボランティアが名乗り
出て無償で修理して再稼働していた。今も鐘が正
確に時を告げているのは、驚くべきことではない
でしょうか。床などの少しの歪みでも時計が狂い
止まってしまう旧式に時計が、止まることなく当
時の機能もそのまま残していると言うのだから凄
いことなんです。時計台は北海道大学の前身「札
幌農学校」の武芸練習場・屋内体育館として1878
年に建てられた国の重要文化財にも指定されてい
る歴史的建造物であり正式名称は「旧札幌農学校
演武場」と言うがあまり
知られていないのが現状
であった。原型のまま今
も時を刻み続ける日本最
古の時計塔であった。
札幌時計台に来て困ってしまう要因の一つに、写
真写りが悪く全景を写すことが難しいことがよく
言われます、写真がどうしても単調な構図になっ
てしまい、やっぱり誰だって映したいのは、左右
対称の建物の正面からの構図ですが、時計台の正
面はスペースがあまりなく全景を収めるのは無理
であったが、向かいのMNビル
の2階には、時計台撮影テラス
があり撮影に適したスポット
に成っている。
当時時計台は、同校の初代教授であったクラーク
博士の構想に基づいて、その後継者であるホイー
ラ教頭によって基本構想図が作られました。この
基本構想図を元に、建築技術者であった安達喜幸
氏の設計と監督に基づいて建設されていた。時計
台は木造2階建てで、1階部分が研究室や講義室、
展示室などが設けられ、2階部分には演武場とし
て大人数を収納できる中央講堂として、入学式や
卒業式の他、兵式訓練や体育の授業などに使われ
たとしています。この後北大のクラーク像を見に
出掛けてみよう。