toyotaboxyのblog

せんちゃんのグルメ&秘境の湯旅行記

2014年10月

海鮮市場・蒸し釜や 繁盛店 雲仙市小浜温泉

2014.10.20日経MJ新聞

img-X20144318-DocuCentre-IV C4470(919796)-2944-141020144323
繁盛店紹介

海鮮市場・蒸し釜や  長崎県雲仙市

紹介された


開業は2014年3月とまた新しいが連日多くのお客さんで賑わっている

新鮮な海産物を温泉だけで蒸し上げる量に皆美味しいと舌鼓を打つ


歩いていこう旧中山道五十六次 薮原宿→宮ノ越宿

2014.10.11

またまた3連休を使い『歩いていこう旧
中山道五十六次』の続きを歩くことにし
たが、台風19号がこの連休中に直撃予報
で果たしてどうなることか。とりあえず
行けるとこまで行くことにした。
道を曲がり忘れたため本陣跡を見過ごし
てしまった薮原宿だが、気を取り直して
徘徊を再開した。


DSCF8039湧き水を利用した
水車があった。12:05 
地図 よくよく見
るとちょっとした
仕掛けに心和ませ


られた。







DSCF8043絶滅危惧種のサ
トコちゃんがい
たのも奇跡かな。
でもサトちゃん
はいないの?


なんか疲れているみたいだね、顔色が青
白いよ!どこか具合悪いの?ユンケル一
本もらって飲んだ方がいいよ。


DSCF8044街道沿いにお六櫛
問屋 萬寿(ます)
屋本店 地図 
六櫛
(おろくぐし)
とは、木祖村薮原


で生産される長野県知事指定の伝統
工芸品
その名は、大きさが六寸だったからという
説など諸説あるが、最も有名なものはお六
説であった。






DSCF8045JR藪原駅到着 
12:20 年代を
感じさせる駅舎
は、開業当時か
らの物で104年


DSCF8046も昔の物であっ
た。






DSCF8048R19の大壁画 12:42 
地図 鳥居峠越え
をする旅人を描い
た壁画。このよう
な壁画は長久保宿


手前雲取峠にもあったね。


BlogPaint矢吹トンネル手前
の廃道が旧中山道。
13:12 地図
ここは右折して旧
道を進む。


DSCF8050この道は完全に車
の通行が禁止され
ているため不気味
だ。路面に何か落
ちていると近寄れ


ば骨であった、この大きさから推測すれば
猿だろう。こんなの見てから余計気味悪く
なってきた。


DSCF8051途中にはトンネル
内の不要品置き場
にもなっていたが
薄気味悪くてしょ
うが無かった。急


に鳴く鳥の鳴き声、枝や草が急にざわめく
音に走り出したくもなった。キャー助けて
幸いR19に合流するとコンビニがあり助け
を求めでは無く水分補給をした。助かった



DSCF805213:34 巴淵 地図
水深は浅そうだけ
ど綺麗なシーグリ
ーン色の淵。山吹
山のふもと、木曽


川が巴状に渦を巻く淵。木曽義仲に尽くし
たといわれる「巴御前」にちなんで名付け
られており、ここに住む竜神が化身して巴
御前になったという伝承もあります。秋に
は静かな水面に色づいた木々が映り込み、
美しい紅葉を楽しむことができます。



DSCF8053天然うなぎでもい
そうだね、ゴクン
何でも巴御前が水
浴びした?そうい
えば夏休み京丹後


市へ行った際に静御前生誕の地とあったな。
でも日本各地に縁の地があるが、皆伝説に
近い話、どれを信じるかはその人次第だね。


DSCF8054マンホール蓋考察
旧日義村製作、朝
日将軍木曾義仲が
平家討伐の旗挙を
行った地から「日



DSCF8055義村」と付けされ
た村名。木曽義仲
の紋章がササリン
ドウが縁で、村章
にも採用されてい



DSCF8056た。民家では収穫
した黒豆を天日干
ししている。天然
の色って綺麗だね。
こっちは小豆だね。


お正月のお汁粉になるんだろうな。美味そ
う、最近店で売っているあんこは中国もの
が多いからこの小豆を使い突きたて餅で食
べてみたいね。天然小豆色は本当に綺麗、
自然は素晴らしいね。


DSCF805713:59 宮ノ越宿 
本陣に到着 地図
日本橋から数えて
36番目の宿場であ
った。この宿は記 


DSCF8058憶が薄い、巴淵か
ら木曽川沿いを進
むが宿場内という
雰囲気は無かった。
明治16年の大火で


宿場は全焼し、その後復興もままならなか
ったのだろう。こんなに寂しい宿場は初め
てであった。





歩いていこう旧中山道五十六次 奈良井宿→薮原宿

2014.10.11

またまた3連休を使い『歩いていこう旧中山道五十六次』の続きを歩くことにしたが、

台風19号がこの連休中に直撃予報 果たしてどうなることか

重要伝統的建造物群保存地区にされている街並みはまるで江戸時代にタイムスリップしたかのよう

な気分にご満悦

DSCF8018だがだが この先難所の鳥居峠が待ち構えていることを知っている拙者は、

無事通過できどれほど体力が消耗しているか?一抹の不安を抱いていた

民家の壁に 草履が飾り付けてあったが、草履底にはゴム加工がしてあり

往時の姿ではない。往時のものは藁100%しかない


DSCF8019それにしても昔の人はどれくらい足の皮が厚かったのかね

拙者なら100mで足が痛くなってしまうだろうね

鍵手と呼ばれる枡形道。車の通行を考慮して丸くなっていたのがちょっと残念



DSCF8020
NHK朝ドラ「おひさま」ロケ地にもなっていた奈良井宿

おひさま』は、2011年4月4日から同年10月1日まで、NHKで放送された『連続テレビ小説』第84シリーズの作品。『連続テレビ小説』が『娘と私』放送開始から数えて50周年となるのを記念する作品として位置付けられた。


DSCF8021
峠道に入る寸前に神社があった

鎮(しずめ)神社  地図 

奈良井宿 江戸方面から入って一番高いところにあるのがこの神社

まさに奈良井宿を高いところから見守っている

それなら神社名の如く 御嶽山の怒りを静めて欲しいものだね

そして拙者は、本日初の祈願に参拝し、道中の安全、家内安泰。

BlogPaint
10:28  ここから鳥居峠越えが始まる  地図

心身共に準備OK

出発じゃ

DSCF8023
階段上がって僅かな区間だが旧中山道源道を歩くがすぐに舗装路に合流

まだまだ気力も体力も充分がんがん登っていく




DSCF8024
舗装路を暫し歩くのかと思っていたら『自然探勝園』の看板が現れた後

右手に石畳道が出現 これが旧中山道だった




DSCF8025
10:32  いよいよここからが本番。鳥居峠越え開始。

毎度毎度思うが石畳は歩きにくい。それはアスファルト道に慣れたものが

言う台詞出会って先人達に取ってみたら意外や意外歩きやすいというのかな


DSCF8026
峠道をどんどん上っていく すると 中の茶屋跡が現れた 10:45

画像には納められなかったがリスを発見。可愛かったな




DSCF8027
その後も九十九折りの道、いくつかの沢を越えながら歩を進める

鳥居峠一里塚跡  10:57




DSCF8028
11:04  急に砂利道が現れたここは旧国道だった道

するとその先に避難小屋か休憩施設かと思えば 峰の茶屋跡  地図

現在は 無人小屋で休憩施設になっていた


DSCF8029
旧中山道は再び山道へ入っていく

暫くすると分岐点。ここでは本当に右か左か迷った

当初 左に進むも道が無くなりここまで引き返してきたほどだ

                木祖村の職員さん 簡単に解るだろでは無く 道標を細かく設置して欲しいと

                切に願う

BlogPaint
明治天皇駐蹕所跡碑を通過後再び林道に出た

ここで再び道が解らなくなり 左上に登る山道があり登ると鉄塔管理道で

鉄塔地で行き止まってしまった(青点線)


偶然 「サテライト」に向かうハイカーが居たため教えて頂いたが 赤点線のように林道を下る

DSCF8031
11:26  明治の道と呼ばれる道に着いた  地図

これがTVで見た 熊除けの鐘か  当たり前だが思いっきり鳴らして安

全祈願


DSCF8032
落ちが降り積もった道はとても歩きやすい

明治天皇駐蹕所跡碑を頂上に下り坂の連続

そういえば鳥居峠の標識どこにも無かった



DSCF8033
11:31 御嶽神社に着いたが『鳥居倒壊の恐れあり立ち入り禁止』となっ

ていた。ここでは中山道初の御嶽山が遙拝できるところだが 危険のため

取りやめた


この後一気の下り坂を転げ落ちるように闊歩した

DSCF8034
11:50  人里へ降りてきた

鳥居峠越えに1時間20分要した

マンホール蓋考察


DSCF8035木曽川の源流の村。村の花リンドウ、村の木トチノキがデザインされている。

街道沿いにあった消防小屋シャッターに獅子舞?が描かれていた

調べてみれば 7月に行われる 薮原祭の獅子舞だった
 


BlogPaint
振り返れば山の頂にサテライト(TV中継局)が見えた

あんな処を越えてきたんだ。一歩一歩は確かに小さいが積もり積もれば大きな

仕事になる事を実感できる


DSCF8037
今回よく沿道で見かける花だが名が解らない

今まではちょっとしんなりしている姿が多かったが ここではシャキッとしてい

たから画像に納めた


BlogPaint
木祖村ご当地原付ナンバー

源流の里木曽川に鮎が舞、六櫛が描かれていた




旧中山道はまたしても鉄道建設によって分断されていた

拙者は、鉄道東側道路を歩いてしまい薮原宿本陣跡を空過してしまった

本陣跡地図

申し訳ないがここで薮原宿到着といたそう

12:00 日本橋から数えて35番目の宿場





歩いていこう旧中山道五十六次 贄川宿→奈良井宿

2014.10.11



またまた3連休を使い『歩いていこう
旧中山道五十六次』の続きを歩くこと
にしたが、台風19号がこの連休中に直
撃予報で、この果たしてどうなること
か心配にもなる。今朝は、晩秋の放射
冷却からの冷え込みにも負けず、無事
贄川宿まで辿り着けた。




DSCF7981木曽路はすべ
て山の中と島
崎藤村が言う
ように、やっ
と東雲に別れ



を告げるときが来たようだ、ここは、
やや開けた地で、太陽の柔らかな日差
しが小さな宿場にも差し込んでくる。
ああ暖かい、今朝はよく冷え込んだか
ら尚更太陽が恋しい。暖かさというの
は、この上ないご馳走に等しいね。体
自身もこれを機に目覚めた感もするし
、さあ今日もやるぞとエネルギーが漲
ってくるってもんだ。これなら予定の
宮ノ越宿を越え福島宿までは行ける気
がしてきた。本当に現金なものだ。
まずは次宿の奈良井宿を目指し出発じ




BlogPaintゃと、思った
らここを右折
 地図 する
と吃驚な道に
なっていた。




BlogPaintこんな道を案
内されるとは
正に今で言う
生活道路でよ
そ者がおいそ




れと通ってはいけない住民達の路地で
あった。でもこれこそが旧中山道なん
だ。 時刻は8:00。 ここら一帯は、
JR線と国道の開発で旧中山道が完全に
破壊され、唯一残ったのはこの20m足
らずの道だけだった。




DSCF7984JR線が行く手
を遮えぎられ
た中山道は、
辛うじて人道
用跨線橋で息




を繋いでいた。再びR19号線に出るが
、旧道を歩くなら元の宿場内の道まで
戻ったほうが国道を歩くよりましだ。




DSCF7985このことは、
恐らく看板を
取り付けた関
係者の方には
意図があった




のだろう、旧中山道からはずれた道(
R19)に大きな栃の木があり、そこを
案内したかったのだろう。そんなこと
についつい騙されて来てしまった。




DSCF7986巨木「贄川の
トチ」樹齢千
年と言われる
大木は、JR中
央本線 贄川駅




から南へ1km、国道19号沿いの山裾斜
面に立ち、巨木と国道間の木々が切り
払われているのでよく見え、長野県の
天然記念物に指定され、幹周, 10.9m.
樹高, 25mの見事な様であった。無駄足
になってもこの木は見ておいた方がい
いよ。1000年?ほんとかどうかは別に
して何かを語りかけてくるのが、木と
いうものだよ。以前行った屋久島で見
た縄文杉も凄かったが、伊勢神宮に巨
木群も素晴らしい、まして神宮では木
に触れることも出来、耳を当てれば木
自身の鼓動を聞くことも出来る。それ
は、悠久の歴史・大自然を肌に感じ取
れる瞬間でもある。巨木はいいよね。 
悠久の時を生きた大木を見ていると拙
者の悩みなんてなんてちっぽけなもの
だと思い知らされる、だから木に見た
り触れたりするのが好きなんだろうね。
時には風の吹くまま流されて、時には
強風に正面から受け止める強靱さがあ
り、しなやかさと強かさがあり、時に
人もそれを持ち合わせねばこの世を生
きていけないことを思い知らされる。
東海道や中山道沿いにも一之宮があっ
てそのたびに参拝を欠かさなかったの
は、神々に報告の意味もあるが、境内
を無になって散策し、木からのエネル
ギーを吸収したい気持ちがあったのだ
ろう。昨今、一之宮巡りする女子が沢
山いるのは、パワースポットとして話
題になっているからだ。皆、自らが望
むパワーの恩恵を少しでもと願ってや
まないのだろう。だが、不思議では無
く、木を見ていたら腹減った。この先
の食堂SSでカレーライス大盛り食べ
たが、大きな野菜がゴロゴロ入った懐
かしの黄色いカレーを食べたが、店内
の壁には凄い数のメニュー表が貼られ
、おおよそ100種類くらいの料理があ
った。 地図




BlogPaint満腹になりま
た徘徊開始し
た、するとい
つの間にか再
び中山道の看
板が目に付い




た。一時は開発の波で姿を消した中山
道がまた現れた。 地図  8:30





DSCF7988旧中山道を歩
く人用に作ら
れた歩道を歩
き終えると中
山道元道と思




われるほどの草道に変わった。往時の
参勤交代の列もここを通ったと思うと
感慨深げとなる。




DSCF7989その傍らには、
中山道碑が残
っており暫し
いにしえの時
を感じられた。






BlogPaint再びR19号線
に合流したと
思ったらまた
旧中山道は左
へと逸れてい



った。8:40  地図
この先にある龍門堂(漆製品販売)さ
んでトイレを拝借。そこで店員さんと
少し話が出来た。 地図
御嶽の噴火には大変びっくりしたそう
で、そしてこの辺では幸いに噴火によ
る降灰の影響は全く無いが、影響があ
るといったら観光客数が減ったことで
、売り上げが激減と嘆いていた。通り
には、災害救助のための自衛隊車が沢
山走っていくのと空には、ヘリの爆音
が、轟き、その音を聞く度に心拍数が
上がるのが解った。でも少しでも早く
身元不明者が発見されまた以前のよう
な御嶽山に戻り、賑わいが人が戻って
きて欲しいと願うばかりだ。





DSCF7991【マンホール
蓋考察】旧楢
川村製作。村
の魚・イワナ
と村の木・ナ




ラと中央は村章を配置した。




DSCF7992楢川地域に入
っていくと秋
祭りのポスタ
ーを発見した。 
第2回秋の木曾




漆器祭
 平成26年10月26日 処:塩尻
市木曽平沢。このブログも水割りを飲
みながら書き綴っており、先ほどの龍
門堂さんで水割りに向きそうな漆器を
見ていたが、あの時はピンと来なかっ




DSCF7993た、でも今回
の旅でいいも
のあったら購
入しちゃおう
かな。




おお!柿がなっていたがどうも収穫し
ているような形跡はない、もしかする
と渋柿なのかな?そしたら干し柿に使
えるのに・・・現代は飽食の時代で、
柿より美味しいものが沢山ありすぎる
為誰も見向きもされないのかな。




DSCF7994往時はこの柿
に沢山の旅人
の空腹を癒や
されたに違い
ない。





DSCF7995木曽平沢地区
に入った 9:16
木曽平沢(き
そひらさわ)
は塩尻市南部






DSCF7996
の山岳地帯に
ある集落。木
曽漆器の産地
として知られ
る。国選定の




重要伝統的建造物群保存地区に指定さ
れている。400有余年の伝統を誇る木
曽漆器の中心産地で、街中には漆器店
やその蔵が立ち並びます。
木曾平沢の
始まりは、慶長3年(1598年)に奈良
井川の左岸にあった道が右側に付け替
えられたことを契機に、周辺の山林付
近に生活していた人々がその道沿い
に居住することで、集落が形成されて
いったと考えられ、
江戸時代初期に漆
塗りを行っていた家があったと伝えら
れており、またこのころには檜を加工
して曲物産業が徐々に盛んになり、檜
物細工や漆器などで生計を立てていく
ようになったそうです。
現在でも漆器
の技術革新などによって成長し、日本
有数の漆器産地としての地位を維持し
近くには、木曽漆器の製作工程や作
品資料を展示した「木曽漆器館」や木
曽の地場産業の魅力を紹介した「木曽
くらしの工芸館」もある。






DSCF7997町内を貫くと
おりは、旧中
山道であり、
通りに面した
家並みは、多




様性に富んだ建物が多く、主屋の裏に
は漆器の作業場である塗蔵があり、漆
器生産で生計を立ててきた木曾平沢を
特徴づける建物となっています。あ!
この造り本山宿で見かけた二重出し梁
の家で、この地域では伝統的な建築方
法なんだね。




DSCF7998そういえばこ
こは、国選定
重要伝統的
建造物群保存
地区に選ばれ




ており、因みに
他の選定地域は、角館
の武家屋敷、会津の大内宿、五箇山の
合掌造り、下総国佐原の街並み、中山
道では奈良井宿と妻籠宿も選定されて
いるが
馬籠宿は選定外であった。




DSCF7999ここは奈良井
宿の枝郷とい
う位置付けの
工人町として
発展を始め、




高地の寒冷気候が漆工に適しているこ
ともあって、江戸時代を通して中山道
随一の漆器
生産地として栄えることに
なった。今日においても漆器生産量は
日本有数である。





DSCF8001だから街道両
側には沢山の
漆器製造販売
の店が並んで
いて、その家




並みが黒色系壁に統一されていてそれ
は見事だ。





DSCF8002天平堂夏目漆
工房さん
脇に立つ石像
は何?






DSCF80036月に行われた
奈良井宿場祭
のポスターが
貼られてあっ
た。何々、時




代絵巻や漆器祭・・・これは興味ある
ね!来年予定入れてみようかな。宿場
祭のメインイベントは「お茶壺道中」
は、江戸時代徳川将軍家御用のお茶を
毎年江戸まで運んだ道中行列を再現し
たものです。当時この行列はいかなる
大名行列もこれと同宿することが許さ
れなかったほど、ご公儀の行列として
は、大変大きな権威とスケールを持っ
ていたと言われています。 正午、往時
をしのぶ道中行列は、奈良井宿中心部
の長泉寺を出発し、宿場内から木曽の
大橋まで一巡します。時代絵巻を思わ
せる見事な行列をぜひご覧ください。

また、奈良井宿の古い町並みは、人々
の生活が営まれながら後世に引き継が
れ、映画やドラマの撮影地となってい
るそうです。





DSCF8004今度は木望祭?
10/12って明日
じゃないか。
内容は、林業
大学校の学生




が日ごろ学んだ成果を披露するのが「
木望祭」であった。林業大学校”名物”
となった間伐材プランターなど木工品
の販売コーナーや木工製品を製作でき
る体験コーナー、また毎年大好評とな
っている焼きそば等の屋台コーナーに
加え、今年の目玉企画としてチェーン
ソーアートの実演や、ネイチャーゲー
ム等を実施するそうです。でもちょっ
と寄れそうもないな。


DSCF8006
9:55 JR奈良
井駅に到着し
た。地図
妻籠や馬籠宿
に引けを取ら




ない街並みだが外人客が少ないのは、
特急列車が1本も停車しないためだろ
う。その為ここに来る観光客はほとん
どが車を使うと言う。南木曽駅も本来
は無人駅(町職員が駅業務を一部兼務
)だが、特急列車が数本止まる。ホー
ム長さは、特急列車に適合しているの
に惜しい話だ。




DSCF8005奈良井宿は、
江戸時代に「
奈良井千軒」
と云われ中山
道随一の繁栄




DSCF8007を誇った奈良
井宿。現在の
町並は天保8年
(1837年)の
大火後に形作




られたもの。江戸、明治、大正、昭和
の町家や旅館、商店などが1キロを超
えて続き、江戸時代の雰囲気を醸し出
しています。奈良井駅前から散策すれ
ば、ゆるやかな上り坂の先で旧奈良井
村の鎮守社、鎮神社に至ります。




DSCF8008さあいよいよ
奈良井宿へ歩
んでいこう。
どんな街並みが
拙者を向かい入




DSCF8010れてくれるの
だろうか、楽
しみである。
奈良井駅から
、下町、中町




、上町へと進んで行こう。中山道最大
の宿場、奈良井宿は、江戸時代参勤交
代などで大いに賑わいました。





DSCF8009宿場は、曲げ
物、漆器、櫛
などの木工産
業で有名であ
る。






DSCF8012すると案内板
があり、この
文面どこかで
見た?そうだ
漆器の町とし




て通過した木曽平沢の街並み紹介で見
たものと同じようなものだ。




DSCF8011長野県製薬の
御岳百草丸が
売られていた。
この薬を見る
と木曾に来た




んだと思う。それは親族に御嶽信仰者
がいて、両親の代わりによく借り出さ





DSCF8015れ、御嶽参拝
(登山)には
3度ほど登って
いる。その際
に、叔父叔母




達は中沢山の百草丸を購入する姿を見
てきたものだから、この薬を見ると木
曾に御嶽山に来たんだと記憶が蘇る。
そんな思い出があるから先日の御嶽山
の噴火には心痛めたものだ。




DSCF8016「10/16年内の
捜索打ち切り
を決めた」に
複雑な思いを
したし救助活




動された方には感謝の言葉が自然と出
てきた。百草丸(ひゃくそうがん)は
ミカン科の落葉高木「キハダ」の内
皮から抽出されるオウバクエキスを主
成分とした胃腸薬
である。
ここ数十年、拙者の胃腸薬と言えば、




DSCF8013太田胃散を愛
用していて、
これが二日酔
いにはよく効
くんだ。





DSCF8014
建物は幕末以
後に建てられ
たものが時代
を超えて混在
し、調和よく



保存された町並や色合いから江戸情緒
が色濃く漂う風景となっていて、
何故
か東側の家の庇および出梁が短いのは、
何でだろう。




DSCF8017奈良井宿の中
ほどが「中町
」。昔は、本
陣、脇本陣が
あり、少し路



地を入った所に本陣跡の石標があり、
往時をしのぶことができます。

忘れられたような位置に本陣跡碑があ
った。 地図
10:11 日本橋から数えて34番目の宿場
に到着。ここで何か忘れ物したことに
気がついた、木曾の大橋見るの忘れて
いた。





DSCF8084車を洗馬駅に
取ってきてか
ら訪問したた
め辺りは、真
っ暗となって




いたが、是非見ておきたかったため敢
えて訪問をしていた。17:45  地図

道の駅奈良井木曽の大橋は、国道19号




DSCF8085上にある道の
駅で、木曽の
大橋が併設さ
れているが、
1993年に観光





DSCF8087目的で新設さ
れたものであ
って、旧中山
道の通り道で
は無い。

歩いていこう旧中山道五十六次 本山宿→贄川宿

2014.10.11

またまた3連休を使い『歩いていこう旧中山道五十六次』の続きを歩くことにしたが、

台風19号がこの連休中に直撃予報 果たしてどうなることか

時間の経過とともに明るさが増してきた だが木曽路は、山のなか・・・と言うようになかなか日が

DSCF7960差し込まない。即ち寒いのだ 

早くお日様が顔を出さないかな

この画像は 旧中山道らしいが通過してきてしまった。

分岐点はここ 地図  左画像地点地図

看板が出て居らず通過してしまったが、中山道だけではないが自治体によって凄い温度差がある

丁寧に標識を付けてくれたのは 下諏訪町かな  

自治体の観光課の皆さん 15×20cmくらいの大きさでも構いません

もう少し詳しく道標を付けてくれませんか

うっかり通り過ぎてしまうのが悔しくてなりません

すぐに気がついたとしても100m戻るにも相当な覚悟がいるんです

現実としてなかなか旧中山道を歩かれる人の数が増えないのが現状かも知れませんが

少しでも増えるきっかけが作れれば 食事、宿泊、土産等々地域にお金が落ちるはずです

道標を設置してください

DSCF7961
初期の中山道分岐点に着いた 6:44  地図

初期の中山道地図

何故初期の中山道が廃道となったかは不明ですが


DSCF7962
諏訪からここまでの最短距離だが、峠越えが2つありそれが足かせとなっ

たのだろう

もしそのまま現代まで引き継がれていたとしても 平地の多い現行の道に


DSCF7963DSCF7964いずれ取って代わっていたに違いない

いずれ機会を作り 初期の中山道も歩いてみよう

初期中山道』が随所に設置してあるらしいので迷

わないらしい

DSCF7965
『是より南木曽路』の標識が現れた

山がどんどん迫り僅かな谷間を進んでいく  ああ是が木曽路だ

時は6:48にもなるが一向に日が差し込まない


是は本当の夜明け前かな

藤村の『夜明け前』は黎明期を差すのでは無く 現代日本の夜明けのことだ

幕末から明治に懸けてで、いわゆる明治維新のことを書いていたのであった

決して日出時のことではない

でもね 今こうして木曽路を歩いていると 太陽の陽が恋しい

場所によっては8時近くならないと陽が差さない また夕刻は3時頃には陰ってくる事だろう

恐らく拙者以上に 木曾の人々にとって太陽の恵みは日本中で一番恋しい物なのだろう

そんな中、猫の額ほどの耕作地で作物を作る姿には感銘を受ける

DSCF7966
有名な石碑だ  地図

是を見ずには木曽路には入れない

ここからは松本藩から尾張藩へ入っていく国境越え。


BlogPaint
この石碑真向かいにある側道こそ旧中山道だ

ここも看板の不備で歩くことが出来なかった道

恐らく初期の中山道をほんの少し入ると旧中山道らしき原道があるはずだ


DSCF7968
紅葉にはまだまだ早い木曽路  ここに来ての朝晩の冷え込みがきつくなっ

てきた為 そう遠くない時期には錦秋の艶やかな色合いを見せてくれることだろう

(立ち止まるとやっぱり寒い)


DSCF7969
贄川駅に着いた途端 電車が出発した 7:40

地図




DSCF7970
宿町に配慮された純和風の駅舎






DSCF7971DSCF7972DSCF7973
7:49

JRの跨線橋メロディ橋

地図


DSCF7974
メロディ橋は 金管が作られており木曾節が奏でられる

♬ 木曽のナー 中乗りさん 木曽の御岳(おんたけ)さんは ナンジャラホーイ ♬




DSCF7975
贄川関所(復元) 

復元された番所に関所関連の資料を展示する。階下は考古館で縄文時代の土

器・石器を展示しているらしいが開館前で内部を見学できなかった



DSCF7976
塩尻4宿開宿四百年スタンプはここに置いてあるが、開館前で捺印できず

残念。

早朝から歩く利点は長い距離を歩けること、夏期なら涼しい時間帯を歩ける


DSCF7978欠点は、施設などが開館前になってしまい見学できない

でも総合から見ると拙者は、早朝発の方をこれからも選んでいくだろう





DSCF7977
メロディ橋のこの隧道

何でもJR東海に入社されると新入社員研修で訪れ説明される由緒ある隧道

その内容は、「中央本線開業時に作られたレンガ造りの隧道らしい・・・」


DSCF7979
マンホール蓋考察

贄川関所がメインのデザインだが周りを飾る花は何だろう

贄川は、旧楢川村に属していて当時村の花は萩だがどう見ても形が違う

                解らん


DSCF7980
宿場内に入り急に現れた物がある

それは湧き水を利用した水場だ

飲用はもちろん可能だが、皆野菜を洗ったりにも使うそうだ


DSCF7981
そして誰よりも嬉しいのが旅人だったことだろう

拙者も一口「ごくり」うまい

これは深沢家。 嘉永7年(1854)に建てられ今も現存している。

屋号は加納屋。京阪地方まで販路を伸ばした商人であったそうだ。

ところで ここに江川には本陣が1軒存在していたが 跡地が不明である

恐らくこの深沢家近くにあり 本陣と加納屋周りが宿場中心地であったことでここを贄川宿到着点とする

7:57  贄川宿到着

日本橋から数えて33番目の宿場

古くは温泉があって「熱川」と書かれた。温泉が枯れてからは現在の漢字を当てるようになった。








記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

toyotaboxy

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ