夏期休暇を利用して京都・兵庫に来ていた。日本
のマチュピチュとも称される 竹田城に登ってき
たが本来のお目当ては雲海に浮かび上がる姿には
お目にかかれなかった。
姫路城へ向かって走って
いた拙者の目が止まった
。『銀の馬車道』なる看
板が目に止まった。小さ
な看板や案内標識は東海
道や中山道を歩いている際に身についた特技にな
っていた。ところで銀の馬車道とはなんぞや。
「銀の馬車道」正式名「生野鉱山寮馬車道」は、
明治6年から9年にかけてフランス人技師レオン
・シスレーの指導のもと建設された産業道路で、
生野から飾磨港まで全長49kmあります。生野、
明延、神子畑、中瀬といった鉱山から出る鉱物や
鉱山で必要な物資などを運搬するために整備され
ました。神河町の吉富畑川原には、マカダム式舗
装(石や土を固めて道路を造る当時の技術)によ
って作られた銀の馬車道の一部が現存しています。
現在、馬車のオブジェが置かれ「現存する銀の馬
車道」として整備されています。生野鉱山寮馬車
道(いくの こうざんりょう ばしゃみち)は、明
治時代前半に兵庫県にあった官設の馬車道。別称
は生野鉱山道、近年は銀の馬車道とも言い、経済
産業省の近代化産業遺産に認定されている。生野
鉱山(現・朝来市)と飾磨港(現・姫路市)を結
ぶ道路で、鉱山関連物資の輸送のために旧但馬街
道(生野街道)を工部省鉱山寮が整備したもので
ある。1875年(明治6年)に着工、1878年(明治
9年)に竣工した。全長12里15丁(約49km)、道
路幅は3間3尺(6m)以上が確保され、馬車などの
車両がすれ違える幅員とした。日本初の高速道路
ともいわれる。
銀の馬車道交流館 地図
銀の馬車道に関する資料
のほか、神河町の歴史や
文化に関する資料も展示
されている。
所在地 | 〒679-2413 兵庫県神崎郡神河町中村78 |
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電話番号 | 0790-32-0737 |
営業時間 | 4月~10月 10:00~16:00 11月~ 3月 10:00~15:00 |
定休日 | 月曜日・火曜日・年末年始 |
神河町の街並みです、こ
の通りが銀の馬車道なん
です。銀鉱を積んだ馬車
が姫路に向けて埃を舞上
げながら疾走していたん
だろうな。馬車での移動では途中に旅籠も無いは
ずで、原野みたいな地を駆け抜けていたんだろう。
姫路市に入ると路線バス
後部に銀の馬車道間を走
るバスがあった。神河の
砥峰高原では有名な作品
のロケ地にもなっていた。
備され人気が出ればいいね。そしてゆくゆくは世
界遺産登録を目指したいね。
神河ロケ地情報