toyotaboxyのblog

せんちゃんのグルメ&秘境の湯旅行記

2014年07月

BS朝日 『古地図片手に、路線バスの旅 中山道編』放映

BS朝日 『古地図片手に、路線バスの旅 中山道編

2014.6.2放映された が、中山道を取り上げるのはいいが路線バスでの移動はいただけないね

是非己の足で歩いて欲しかった


先日は・土曜スペシャル 『街道歩き旅(13)中山道110キロ 諏訪~木曽馬籠 ふれあい珍道中』 2014年5月17日(土)18:30~20:54 テレビ東京が放映された


でもね こうしてこれから歩こうとしている中山道の話題で盛り上がっていくのはいい気分だね

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

2014.7.28

再放送があった

前回 この番組があるのに気付いたのが遅かった

残り時間30分のところ奈良井宿からだったが、今回は最初から全て見ることが出来たし録画にも成功

軽井沢宿から始まったが、如何せん路線バスでの移動は、超高速早送りを見ているだけで頂けない

でもね 小田井宿 本陣の内部や茂田井宿大澤酒造さんでの話など一般人にはなかなか聞けない話

を見ることが出来てそれは良かった

路線バスでの旅 交通機関のない笠取峠、和田峠はどうするかと言えば 強引に宿の送迎バスをチャ

ーターしてしまった

紀行番組を取るのなら 松並木は入れて欲しいし 和田峠も少しは歩いて欲しかった

番組名が『古地図・・路線バス・・』と銘打ってあるからしょうが無いがそれでも歩くシーンが欲しかった

7/21までに洗馬宿まで歩いている拙者 これからの木曽路は大いに楽しみな区間だ

次回は秋風が吹く頃になるかな



この不定期な番組を見るのにメールを活用できない物か

登録者に 0月0日 夜7時から放映があります  と

これはTV局にとっても確実に視聴率を稼げるし ファンにとっても見たい番組

双方の思惑が叶う方法と思うのだが

歩いていこう旧中山道五十六次 芦田宿→長久保宿

2014.7.19

『歩いていこう旧中山道五十六次』の続編で長野県へやって来た

中山道五拾六次で二大難所と言われる碓氷峠越えは、6/14に攻略済み、残すは最大の難所和田峠だけ

だった。(本当かな他にも難所が沢山あるのでは)

いままでに日本橋→深谷宿、横川駅→岩村田宿と御嶽宿→草津宿と虫食い状態だが攻略済み。

これらは戦略的で合ってやむを得ないところだ

そして今回3連休を使い 岩村田宿から長久保宿(宿泊)翌日、難所和田峠越えを果たし下諏訪宿(泊)

21日に贄川宿を目指す予定

ただし和田峠に関しては公共交通機関が全く存在しない。いつものようにその日歩き終えたら電車で車

まで戻る行動パターンが出来ない。

そんなことからイレギュラープランとなった

19日 岩村田駅近くに車を駐める→和田宿→唐沢地区まで歩く⇒町内循環バス⇒長久保宿に戻り宿泊

20日 長久保宿⇒町内循環バス⇒唐沢地区→和田峠→下諏訪宿→下諏訪駅⇒小淵沢駅⇒岩村田駅

    ⇒自家用車⇒下諏訪宿(泊)

21日 下諏訪宿→贄川宿→贄川駅⇒下諏訪駅⇒帰路

上記の日程を是非遂行したい

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芦田宿本陣も無事通過でき歩を進めた

ここは2軒ある脇本陣のうちの一つ  中山道五拾六次宿場錦絵が掲げてあった




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 1892(明治25)年創業の酢屋茂(すやも)は、長野県立科町にある老舗の醸造元です。良質な国産大豆・国産小麦を使用し、天然醸造という伝統的な製法で、味噌、醤油をつくり続けています

9:31


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商品を拝見したが、意外と高い価格帯に吃驚。

味噌は700gで700円 醤油は1.8Lで1140円 こんなに高くて売れるのかな

皆さん 美味しい味噌と言われる味噌とは、どんな味噌か知ってますか?

(1kg100円で売っている味噌と1kg500円の差ってなあに)

答えは、味噌に含まれる米の含有量の差なんですよ

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酢屋茂はす向かいにあるのは江戸時代から続く旅籠 金丸土屋旅館。

ここにも木鼻彫刻の施された出梁造りの建物は200余年前の建築。

現在も旅館として営業続ける同旅館、江戸時代から続く旅館に泊まる客は

中山道を歩かれる人ばかりだが、ここで宿を取ったらこの先の和田峠越えが距離的に難しくなる

この先長久保宿に2軒宿があるが、その先下諏訪周辺まで宿がない

芦田宿から下諏訪宿まで35㌔に加え笠取峠と和田峠越えが2ヶ所もあり拙者でもほとんど不可能な

日程になってしまう。更に長久保宿まで6粁と僅かな距離というのも問題だ

と、書いているが営業妨害しているわけではない。あくまでも拙者の行動パターンであって営業妨害で

は決して無い

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ひまわり見付けた

やっぱり好きだねこの花、いつも心に太陽を・・・って感じがいいね




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これから通る道は、おそらく往時と現代も中山道を歩く人に人気がある道

笠取峠の松並木  9:45  地図

笠取峠(かさどりとうげ)とは、長野県北佐久郡立科町と長野県小県郡長和町と

DSCF6974の境にある、旧中山道および国道142号線の峠。標高は900m。芦田宿と長久

保宿の間にあり、旅人が上り坂で暑さと疲れのあまり、皆いつの間にか笠
を取

っていることから笠取峠と呼ばれるようになったと言われる。松並木が残り往時

の面影を留めている。

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標識の傍らに 道中なのか菅笠を持った母娘の道祖神があるが、何とも微笑

ましい!お伊勢参りに行くのかな。

おっと蜂の巣発見!退散


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9:50  約1.6粁にも及ぶ松並木は見事だが、よくよく木立を見ると何やら

赤く枯れているように感じるのは拙者だけだろうか?東海道を歩いていた際

も松食い虫の被害があちらこちらで見られた。


忘れていた 樹齢30年を超える赤松の幹周りには あの高価な松茸が必ず生えている?

恐らくここも 秋には絶対生えているはず それもこれだけの量の松林

私有地じゃないよね

ってことは 次回は秋に決定だな

何が決定??  土瓶蒸しもいいけどご飯も美味しいよね


DSCF6978DSCF6977確かにここの松は赤松だと解っていてもこの木いや

に茶褐色になっていないかと何度も何度も疑問視し

ながらの徘徊でもあった。



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途中国道を横断するも再び松並木が続くが再度国道

に合流すれば峠までは国道を延々と歩く




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10:17 笠取峠に到着したようだ

結局松並木はあそこだけだったが、今からでも遅くない旧中山道に往時の

面影をと戻すために松などの木を植樹しようではないか


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10:19 峠の茶屋があったがどうも入店する気になれなかった  地図

やはり峠の茶屋らしい佇まいが必要と思われるのもあるが 定番の力餅食べ

るにはまだまだ大量を温存状態だった  通過


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道路脇壁面の絵は、この峠を描いた物らしい  地図

さあここから一気に長久保宿までは、下り坂だ

ギアをTOPに入れて・・・と思ったらこんな看板があった


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10:22  地図  『中山道源道←』でもこの看板の意味がわからなかった

だって 道らしいが奥に目をやれば 草が行く手を遮っているようにしか見えず

そのまま国道を歩いてしまった


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10:24  売り別荘を展示してあった  地図

880万円  ご自由に見学ください と書いてあったが鍵が開いてなかった

いい土地があれば考えてみるか


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先ほどの『源道』が気になっていたところ再び現れた。

あ 思い出した 往時の中山道が今もあり確か草道として紹介されていた記

事を読んだことがある。それがこのことだったのか


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10:26 地図  入り口から覗き込んだところ。

しっかりとは言えないが獣道(人道)らしき跡が確認できる

これなら行けるで足を踏み入れた


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昼でも薄暗い源道、女性の一人歩きは注意しましょう

草むらと言えばトラウマになりつつある 碓氷峠越えの際にヒルに食われたこと

だからこの源道を下っている際にも数秒おきに踝あたりをチェックしていた


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確かに痛くもかゆくもないが あの血の出ようは尋常ではないし、足から体に

這い上がってくるとも言われる・・・やだ!!やっぱり駄目

だから草道はもう結構 舗装道路の方がよっぽどいい


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とは言っても 汗が完全に引いていた。国道を歩いていたときより気温が4℃

くらいは低いのだろう。日差しも遮りヒルもいなさそうなので善としよう

熊除けの鈴付けてないが大丈夫かな 新たな心配事が生まれた


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源道を完全に抜けたみたいだ

地図  10:48




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いよいよ長久保宿だ

拙者の生きた証 マーキングだ




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ところでこの施設は何だっけ

全然覚えていない




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マンホール蓋考察

旧長門町時代の物(現長和町)  

中心に旧町章を配し町の木カラマツ、町の花ミツバツツジ、町の鳥チョウゲン

                ボウを図案化した。

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10:55  一福処濱屋

明治初期に建てられた総二階出梁造りの建物は旅籠として造られたのだが、

急激な旅人の減少で開業には至らなかった経緯がある。


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10:58  長久保宿本陣跡に到着

日本橋から数えて27番目の宿場




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本陣屋敷は江戸時代初期に建てられ現在も存在しているが、今も生活の場

としているため非公開、だから覗きは駄目よ。

















歩いていこう旧中山道五十六次 望月宿→芦田宿

2014.7.19

『歩いていこう旧中山道五十六次』の続編で長野県へやって来た

中山道五拾六次で二大難所と言われる碓氷峠越えは、6/14に攻略済み、残すは最大の難所和田峠だけ

だった。(本当かな他にも難所が沢山あるのでは)

いままでに日本橋→深谷宿、横川駅→岩村田宿と御嶽宿→草津宿と虫食い状態だが攻略済み。

これらは戦略的で合ってやむを得ないところだ

そして今回3連休を使い 岩村田宿から長久保宿(宿泊)翌日、難所和田峠越えを果たし下諏訪宿(泊)

21日に贄川宿を目指す予定

ただし和田峠に関しては公共交通機関が全く存在しない。いつものようにその日歩き終えたら電車で車

まで戻る行動パターンが出来ない。

そんなことからイレギュラープランとなった

19日 岩村田駅近くに車を駐める→和田宿→唐沢地区まで歩く⇒町内循環バス⇒長久保宿に戻り宿泊

20日 長久保宿⇒町内循環バス⇒唐沢地区→和田峠→下諏訪宿→下諏訪駅⇒小淵沢駅⇒岩村田駅

    ⇒自家用車⇒下諏訪宿(泊)

21日 下諏訪宿→贄川宿→贄川駅⇒下諏訪駅⇒帰路

上記の日程を是非遂行したい

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8:00  無事望月宿本陣跡を通過できた。

本陣の斜めにある鷹野家脇本陣跡は、出梁に木鼻彫刻が印象的だ。




BlogPaint8:01  真山家住宅 ここにも木鼻彫刻が施されていた、ここは望月宿最古の

旅籠でもあった。木鼻とは、赤矢印のところ。 木鼻とは「木の先端」という意

味の「木端(きばな)」が転じて「木鼻」に書き換えられたものです。

頭貫などの水平材(横木)が柱から突き出した部分に施された彫刻などの

装飾をいいます。


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望月宿の玄関には 木製の馬が飾られ背の部分にはプランターが乗せられ

綺麗な花が植えられていた

「望月の駒」を表しているのだろう今にも颯爽と闊歩していきそうだ


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8:09 地図  望月宿も通り過ぎ住宅の脇の道を上がって行くみたいだが

えらく勾配がきつい道だ



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どうやら開発の手から完全に逃れた旧中山道だった。と言うことは

この先・・・難所があるのかな。聞いてないぞ

やっぱり出会した、難所ほどではないが、小難所ぐらいの山越え道が待っていた


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8:15 小山越えが終えたら隧道だ。これはR142号線が上を通っている。

一瞬だがこの中は涼しい キモチイイ  地図



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8:28 間の宿茂田井宿入り口に差し掛かろうとしていた

地図

茂田井宿(もたいしゅく) 長野県佐久市、中山道の望月宿と芦田宿の間にある間の宿である。今でも国道より外れて古い土蔵などがならぶ昔の面影が色濃く残る宿場である。

武重本家酒造と大澤酒造という二つの蔵元がある。大澤酒造は茂田井村の名主を代々勤めた家柄で、1689年(元禄2年)より酒造を始めた。しなの山林美術館(大澤邦雄、神津港人の絵画を展示)、民俗資料館(小諸藩より拝領した甲冑などを展示)を併設している。

武重本家酒造の裏に映画「たそがれ清兵衛」のオープンセットが作られ、撮影が行われた。


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8:36  武重本家酒造  地図

宿場内に入ると白壁の先に杉球が掲げてあった。これ見て解らない人はいない

だろう。そうここは、明治元年(1868)創業の酒造元


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まだ朝早いためか土曜日もお休みなのかは解らないが、誰も居なかったため

僅かの時間だけ邪魔した

館内には以前使われていた小道具、大道具が展示してあった


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H・Pを見れば相当にお酒にこだわった酒蔵のようです

伝統的製法である生もと造りが特徴。同社の建築物数軒は登録有形文化財

となっている。中山道の古い姿を代表する風景として杉玉
(酒林)の飾ってある


DSCF6946門の正面写真や坂の上から門の方向へ屏を撮った写真がよく使われる。

映画「サマーウォーズ」(2009年、細田守監督、武重洋二美術監督)の舞台で

ある陣内家のモデルになった。


映画が村にやって来た

長野県、旧中仙道望月宿と芦田宿の間「茂田井(もたい)」という、昔の街道沿いの佇まいを残しながらも、街並み保存をするわけでもない、ある意味で極めて日本的な集落のはずれ、田畑の真中に、ある日突然?映画のオープンセットが建設されました。松竹映画「たそがれ清兵衛」のオープンセットです。
セットの全景(裏から。右端の建物が武重酒造の建物の一部)2002.2.27撮影
セットの全景(裏から。右端の建物が武重酒造の一部)2002.2.27撮影
大きなロケといえば、30年以上も前に「三匹の侍(長門勇ほか)」、20年も前に「姿三四郎(三浦友和ほか)」があったくらいで、オープンセットができたということは、我々地元の人間にとっては(たぶん)一生に数度しかない大イベントです。せっかくですから、記録に残すべくWebコンテンツを作成する事にしました。茂田井ロケを様々な点から記録に残したいと思っておりますが、更新は遅々として進まないと予想されます。気長にお付き合いください。
オープンセット(清兵衛の家)2002.2.27撮影オープンセット(清兵衛の家)2002.2.27撮影
オープンセット(清兵衛の家)
2002.2.27撮影
オープンセット(清兵衛の家)
2002.2.27撮影

現在は更地になっております


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マンホール蓋考察

茂田井宿中心部に市町村境が通っている。これは立科町の作品

構図上部の山は蓼科山、右側に町の花スズランの花、左側に葉を配置、木は

                町の木シラカバ。

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街道を歩いて気になることがあった。街道脇を流れる小川がやけに白濁した色

に濁っている。それは汚れているが為に濁っている色ではない。硫黄泉によく見

られるあの色なのだ。もしかして、暖かい筈もないが試さずにはいられなく手を差

し入れたが、やっぱり冷たく・・・当たり前か

でもね冷泉って事もあるし・・・しかし残念ながら宿場民は誰ひとりで歩いていなかった

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8:39  もう一軒の酒蔵 大沢酒造さん

ここも中に入ったが誰も居ないためざっくり拝見しただけで去ってしまった




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白壁の土蔵が異次元の世界にタイムスリップしたか

と思わせる街並みにふむふむがまた出てしまった




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茂田井宿を歩いていると玄関軒下にこのような紙が張ってある家が多い

コオロギの擬人化したような形だ 魔除けなのかな

すると偶然遭遇した宿場民に尋ねることが出来たが 詳しいことは教えてくれない


DSCF6952察するに 明治に起きた大火の教訓から始まった防火の守り神?かな

ちょっと腑に落ちないが歩を進めていると古民家がリフォームしていた

ちょっとお邪魔して見学させてもらう



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民家再生と掲げてあるがこれは古民家再生だ

大きな柱に梁の姿に驚くばかり 拙者にも小さいながら一国一城の主だが、

柱の太さが違う


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近くに家主の方が居られ話を聞けた

この家は築110年。今回のリフォームは2世帯住宅に改装する・・・と

話はここまでで終わってしまった


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きっと息子さんにお嫁さんが来たのかなまたは赤ちゃんが生まれたのかな

どっちにしろお幸せに!通行人にお話を頂きありがとうございました




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今日の天気は 曇り 気温は25℃前後と思われる

日差しを遮る厚い雲に覆われ快調に歩を進めることができ、今のところ

雨の気配も感じられない


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9:09  芦田宿入り口に差し掛かろうとしていた

地図




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その傍らに夫婦道祖神があった

仲睦まじくこちらも微笑んでしまう姿に“一時の休息をしなさい”と暗示してい

る気になった


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休息と思っていたら変な物があった

矛と盾を持った夫人だ 何でここにあるの?????

2012.6月地図にはまだ設置されていなかった


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気を休めたのか気を揉めたのか解らない時を過ごした

街道にはコスモスが沢山植えられていた。秋風が吹く頃には旧街道はコスモス

街道になっていことだろう


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9:18  ふるさと交流館芦田宿に着いた

実は今日は腹が緩い。朝食に乳酸菌飲料ピルクル500mlを飲んだのが効いた

素通りしたがトイレ恋しさに舞い戻ってきた経緯があった


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9:19  地図  芦田宿本陣に到着

日本橋から数えて26番目の宿場

代々本陣を引き継いできたのは土屋家である。


DSCF6964なんでも中山道が整備される前から宿場が出来上がっており、この時から270

余年代々引き継がれてきた。





DSCF6966DSCF6965門を潜った左手に寛政12年に建て替えられた本陣

客殿が今も現存し
、皇女和宮もここで昼食ご休憩を

取られたそうだから凄い。



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この施設は公開しているとは書いてないので非公開らしいのが残念














2014全国高校野球千葉大会決勝 東海大望洋VS専修大松戸

2014.7.26

第96回全国高校野球選手権大会千葉決勝戦を見に出掛けた
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参加169チームの中で勝ち上がってきたのは、春の県大会を制した専大松戸高校

と市原市にある東海大望洋高校。どちらが勝っても甲子園初出場となる。

さあどちらに女神が微笑むかワクワク胸躍ります


ところが入場するに当たって大行列。売り場窓口が一つしか無いのが影響かも知れないが高野連はもう少し

開場を早めるとか対策を練って欲しい

やっとのこと入場できたのは1回を終えた2回の表からだった

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2回表 専松の投手の乱調を見逃さずホームラン2本を絡め打者一巡の猛攻撃

で一気に6点奪取した集中打は見事だった。

我々もそうだがベンチも恐らく呆気なく6点取られたことに対して6点ってこんなに


DSCF7246簡単に入る物なのかを抱かせた集中打だった

だが、高校野球は不思議な物で負けているチーム側に観客が応援に回るのだ

4回には 一塁後方の飛球をセカンドが捕れるところ捕球できず、その頃から

流れは完全に専松ペースで進み、更にレフト飛球をグラブに入れながらの落球

DSCF7247で2点を返した。

流れは一気に専松側に傾いたが、スコアリングポジションにランナーを進めるが

あと1本が出ない。結局最後まで決定打に泣いた専松の負けだった

確かに専松は数人の好投手を要してここまで勝ち上がってきたが、今日は如何せ

ん采配ミスのようでならない

春を制した王者ならもっと横綱相撲をして欲しかった

変えた投手が全て乱丁で、次々と変える猫の目の采配では、応援席にいた拙者でも興ざめしてしまうとき

があった

最後の大一番 こいつと心中の精神が欲しかった

また 勝った東海大望洋高校はここ一番の集中打は見事だったがイージーミスが目に付いた

DSCF7248甲子園の大舞台では恐らくもっともっと緊張するはずだ

どれだけ早くにその緊張感をほぐせるかが先に進む方法かも知れない

本戦まではまだ時間がある。戦術よりもその辺のトレーニングを生かした活動を

見つめ直してみたら如何なものか

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最後は 13-2と大差が付いたが 2年生主力の専松はこれからが楽しみだ

きっと今回の悔しさを秋季大会にぶつけてくることだろう

そして松戸市の長年の悲願をきっと達成してくれることだろう


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会場外では、号外が発行されていた。

2枚看板と強力打線を率いて本大会参戦だ

深紅の優勝旗を千葉に持ちかえってきて欲しい


その為にも拙者も応援に駆けつけるぞ 

8/13から数日間滞在予定だ

一緒に頑張って優勝を目指そう


7月 26日

▽決勝(26日・QVCマリンフィールド)123456789
東海大望洋06000106013
専大松戸0002000002
(東)宇津木、原田-峯尾
(専)金子、角谷、薄井、原、中村、津金沢、薄井-河村
(東海大望洋は初出場)

歩いていこう旧中山道五十六次 八幡宿→望月宿

2014.7.19

『歩いていこう旧中山道五十六次』の続編で長野県へやって来た

中山道五拾六次で二大難所と言われる碓氷峠越えは、6/14に攻略済み、残すは最大の難所和田峠だけ

だった。(本当かな他にも難所が沢山あるのでは)

いままでに日本橋→深谷宿、横川駅→岩村田宿と御嶽宿→草津宿と虫食い状態だが攻略済み。

これらは戦略的で合ってやむを得ないところだ

そして今回3連休を使い 岩村田宿から長久保宿(宿泊)翌日、難所和田峠越えを果たし下諏訪宿(泊)

21日に贄川宿を目指す予定

ただし和田峠に関しては公共交通機関が全く存在しない。いつものようにその日歩き終えたら電車で車

まで戻る行動パターンが出来ない。

そんなことからイレギュラープランとなった

19日 岩村田駅近くに車を駐める→和田宿→唐沢地区まで歩く⇒町内循環バス⇒長久保宿に戻り宿泊

20日 長久保宿⇒町内循環バス⇒唐沢地区→和田峠→下諏訪宿→下諏訪駅⇒小淵沢駅⇒岩村田駅

    ⇒自家用車⇒下諏訪宿(泊)

21日 下諏訪宿→贄川宿→贄川駅⇒下諏訪駅⇒帰路

上記の日程を是非遂行したい

DSCF6914
無事八幡宿本陣前を通過した。

残念ながら古民家がほとんど残って居無いにもかかわらず宿場としてはやや

鄙びた感が見受けられるところが残念だ


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主要道路として街が壊されるのも嫌だが、反対に交通の便が悪いために

衰退していくのはもっと辛い。これだけ古民家がないと宿場のイメージも保て

ない。どうすれば人が集まり お金を落として行ってくれるかだが皆目見当も

着かない。何か活性案はないものか  ん~~~駄目だ拙者の頭では考えも及ばないが、こんなのはど

うかな

・中山道五拾六次のスタンプラリー 宿場ごとに凝らしたゴム印を造り名所旧跡に設置し巡ってもらう


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7:03  地図  一度はR142号に飲み込まれたが百沢東交差点で再び本来の

旧道に戻る。横断歩道を渡り車止めの柵を回り込み旧道に足を踏み入れる



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車止めが施された旧中山道は舗装こそされているが 往時の面影漂う

道となっていた




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マンホール蓋考察

旧望月町時代のマンホール。現在は佐久市。

馬の図案化は、この近くに御牧原(みまきがはら)という朝廷直轄の牧場があった

ことに所以。周りの花は、リンゴの花、これはリンゴの産地を表している。

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百沢(ももさわ)集落は小さいながら趣ある佇まいを随所に残し「ふむ、ふむ、

ふむ」と首を縦に振りながらの散策となった

すると街外れにこんな道祖神が建っていた

この辺では誠に珍しい「祝言道祖神」があり、解説によるば安曇地方では、よく見受けられる道祖神で、

貴族の男女が酒を酌み交わすという祝言像。きっと旨い酒飲んでいるのかな

酔った勢いで口説いているんじゃないかな。鼻の下が妙に伸びているし・・・

駄目だ だんだん変なこと想像してきた。次行こう 7:07  地図


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国道に路線バスが通じているではないか。それも有名な千曲バス。

ここは百沢バス停 佐久平駅行き

もしかしたらこのバス会社なら下諏訪まで行けるかも知れないという淡い期待

を抱いた。だがここでは反対車線のバス停を確認はしなかった。

訳はそのうちまたバス停はあるはずとここは車速が早く渡るのに危険だった。

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7:14  地図  ここで国道と別れ瓜生坂に入っていく。坂を登り切ればまもなく

望月宿が見えてくるが、何とも薄気味悪い坂だ。鬱蒼とした木立の中を進む




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7:25 ここは坂を抜け民家が見える地点

途中に一里塚があったが、目もくれず歩き去ってきた




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すると街道脇で農作業されているご婦人に思い切って声を掛けてみた。

今まで歩いてきた際何度も見かける見慣れぬ作物?

これなんですか? 


DSCF6924“ああこれね 黄ズッキーニよ”

ズッキーニはよく聞く名前だが畑で見るのは初めてだった

“細かく切ってバターで炒めると美味しいのよ。一つ持って行く?”

いいえお言葉だけで結構です

DSCF6927“それならキュウリあげるね これなら歩きながら食べられるもんね”

“街道を歩いている人に度々差し上げると喜ぶの・・・”

の話だと今まで沢山の方が労をねぎらってもらっていたんだ

感謝だね

それにしてももぎたてキュウリ食べたの初めてだ。

かむとパリッと身が裂けるんだ そしてカリカリ音が煩いくらい口の中で響きわたる

これは何よりのご馳走だね

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旧道歩いているんでしょ それならここまで来たら行きすぎよ

瓜生坂の石碑脇から下へ降りる道が旧道よ

昨日の夕立で滑りやすいから気をつけるのよ


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これこそ中山道源道だ





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7:33 一気に山を下りていく

視界には望月の家並みがしっかり飛び込んできた

もう少しだが下り坂は足が痛い


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7:38 地図  大きな広場に着いたと思ったらバスターミナルだ

先ほどの千曲バスもここに着くんだと思ったらこの先バスの接続がないと

知り肩を落とした。


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本気で下諏訪まで繋がっていれば車まで帰ったんだぞ

『榊祭り』信州の奇祭???

奇祭と言えば御柱祭りだろ

ほんと信州って奇祭が多いな

ところで榊祭りって何信州の奇祭「榊祭り」

日時 8月15日

暑さみなぎる真夏の夜、数百人の若者が松明を手に山から駆け下り、その炎を次々に鹿曲川へと投げ込みます。
 さらに、榊の神輿を激しく地面に叩き付け、 水を掛け合い、深夜にまでわたって執り行われる榊祭り。
 火と榊によって一切の不浄を払い浄め、五穀豊穣や無病息災を祈る、荒々しくも幻想的な火祭りです。
オープニングセレモニー、子ども神輿、横笛、船引き、 望月高校ブラスバンド、松明望月太鼓、花火、民謡流し、榊神輿、獅子舞ほか

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7:54  地図  井出野屋旅館さん

思わずシャッターを押したくなる佇まいに感銘を受けた

なになに この宿は、映画「犬神家の一族」のロケが行われた宿なんだ。

ここの“女中”として登場していたのが坂口良子で、石坂浩二扮する金田一耕介が宿泊滞在した、鄙び

た宿「那須ホテル」として撮影されました。

こうなるとまた別の視点で犬神家の一族見たくなるな

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7:56  民俗資料館





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望月宿本陣跡に到着 7:57  地図

日本橋から数えて25番目の宿場

本陣は現在小児科医院となっており代々大森家が守っている。













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