11月の3連休も 『歩いていこう旧東海道五十三次』に出掛け3日目が始まろうとしていた
明朝までの雨は7時頃にはすっかり上がり曇天の朝を石部宿までやってきた
まだまだ帰路に着くには余裕のある時間帯 もう少し歩き次回が最終日にするた
めに少しでも距離を稼いでおきたかった
マンホール蓋考察
また違ったデザインが登場 旧石部町の市の木松と市の花ツツジがデザインされ
ていた
田楽茶屋 中は無料休憩所
地図 7:24
地図
ここは石部宿西の入り口。公園に整備されていた
7:35
歩を進めると法面が台風による大雨で決壊し脇を走る道路を削り取っていた
関宿へ向かう地点も河原が凄いことになっていた
多分拙者が袋井に居るときに日本へやってきた台風の被害だろう
彼方に高速らしきものが見えた これは名神高速かな
名神高速ってことは琵琶湖までもうすぐの距離と想像出来る
いつの間にかそんなとこまで来ていたんだ 地図
マンホール蓋考察
いつの間にか栗東市に入っていた。デザインは町の鳥めじろ、町の木かいづか
いぶき、町の花きんせんかである。
珍しいね 琺瑯の看板 キンチョール 昭和初期から40年代にかけての貴重な
文化遺産であると考えます。
栗東市六地蔵地区
旧東海道が再び赤く化粧されていた
いいね
旧和中散本舗大角家大角弥右衛門 8:20
旧東海道沿いの六地蔵にあります。大角弥右衛門家の邸宅のことで、豪商の昔の姿をそのまま今に留めています。
六地蔵には江戸時代、旅人のために道中薬を売る店が数軒あり、大角家は、その中で和中散という薬を売る「ぜさいや」の本舗として栄えました。薬を売るだけでなく、草津宿と石部宿の「間の宿」として、公家・大名などの休憩所も務めたといいます。和中散という名は、徳川家康が腹痛を起こしたとき、この薬を献じたところ、たちまち治ったので、家康から直々付けられた名前といいます。
地図 梅の木立場
8:23
JR草津線手原駅 ここが今日の終着地点
何故ここなのかと言えば 草津駅よりローカルなため次回の際に無料で駐められる
駐車場が確保出来るから・・・だった 8:40
いや~走った 8:43に列車が来るのを知って必死に走った
1.7kmを13分かけて走った 疲れた
この列車は草津駅行き 8:43
この後列車に乗っていたら 線路沿いの旧東海道をリュックを背負った男性が歩い
ていた。一目見て東海道を歩いているのと判別が付いた
同じ方面を歩いているため奇跡でないと出会うことがないが出会っていたなら労をねぎらうことが出来たのに
9:02 三雲駅へ降り立った
今回はこれでお終い
次回は 手原駅から一気に三条大橋まで駆け抜ける いや歩き抜ける予定だ
残り約30粁はいつもの距離だ。間違いが無ければ完歩出来る
さて問題は何時にしよう
当初決めた日程は 11/23だったが祝日と言うことで渋滞を嫌い 11/16に決行することにした
その日が雨の予報でなければ 京都三条大橋に討ち入りじゃ 覚悟せい
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
2013.11.16
ついについにこの日が訪れた 順調にいけば今日のこの日をもって 『歩いていこう旧東海道五十三次』は
完結する
さすがに京都三条大橋まで30粁圏内は拙者の住み下総の国からは遠かった
本日無事完歩したなら明日にことは考えなくていいから歩き始める時間は7時と決め比較的ゆっくり寝ていた
ゆっくり寝ていたのは他にも理由があった 長く緩慢な高速走行の夜間運転は睡魔との戦いでもあった
そんな訳から途中で一度仮眠を取り更にここJR草津線手原駅に着いてから再度仮眠していた
また金融機関の駐車場を間借りして今回最後の行程が始まろうとしていた
これが歩いていこう旧東海道五十三次における拙者の三種の神器である
日差し除けの帽子(この季節では不要) でもこれは外せない
リュック=雨具などが入っている
オレンジ色のものはipad=旧東海道の地図や現在地確認に絶対必要不可欠なもの
改めて写真に納め千秋楽をスタートしよう
千秋楽(せんしゅうらく)は、複数日にわたって同じ演目を行う興行において、「最終日」を指す業界用語。
本来は江戸期の歌舞伎や大相撲における用語だったが、現在では広く演劇や興行一般で用いられている。
6/22に1歩を刻んでから今日11/16で延べ18日間にもなった
お金などもらう演目ではなかったが拙者にとって興行ようなものでもあった。だから敢えて千秋楽という言葉が
ふさわしいと書き綴ったのだ
6:42 手原駅 さすがに18日間は長かった。でもでもあと7時間歩けば三条大橋に
たどり着いてしまう寂しさも心の中に芽生え始めていたが今は最後の1歩1歩を刻み
込む大願成就だけ考え出発する
前回は気がつかなかったがここ手原駅は東経136度が通る町でもあった
駅から旧東海道を目指し歩いていると石材やさんがあった
その中に馬の彫刻を見付け これは縁起がいい 今日の行程きっと【馬くいく】と解釈
なんて幸せ者なんだろうと感心したほどだった
旧東海道に着いた
さあ最終日無事怪我なく 事故にも遭わず 三条大橋まで歩き抜くぞ
エイエイオー!!
ゴジラが居た。でもふくろうは居なかった
ふくろうが居たらランナーズハイではなくウォーカーズハイになったかも
この時点で陶酔していたなら三条大橋は無理だったかも
マンホール蓋考察
栗東市 市の花キンセンカ、市の木カイズカイブキ、市の鳥メジロのデザイン
今や栗東市と言えばJRA栗東トレーニングセンタがあるで有名。出来ればお馬さん
デザインが欲しかった
日の出(ちょっと遅れてはいるが勘弁して)
一日の始まり 活力漲るとき、勇気を与えられる瞬間でもある
頑張ろう
ゴ~ン ゴ~ン ゴ~ンとお寺の鐘が鳴っていた
朝7時 残したねこの風景 この音色。 日本の音百選とは言わないがふるさとの
音なのかも知れない
地図
失礼ながら変に傾いた家屋発見
一体どうしちゃったの?
7:24 こんなところに足湯があったが店はまだ開店前で中に入ることが出来ず
ガラス越しに撮影。足湯には湯が張られていなかった。
こんなところに温泉?知らないな
地図
ヤマキ酒店
ほっこり湯と言うらしい 足湯1回300円 足湯が有料なんて おかしいだろ
その隣にあった 田楽茶屋ほっこり庵
田楽茶屋「ほっこり庵」は、自治会のサロンとして、また、東海道を歩く観光客の
休憩所として利用されている。
コーヒーやお茶、お菓子はすべて無料で食べられる。
ここの名物は、江戸時代の味を再現し、予約制で食べられる目川田楽。
この地域は江戸時代、東海道を行きかう旅人の休憩所「立場」の一つ、目川立場の場所で、当時、豆腐田楽と大根の葉の漬物を刻んでご飯に混ぜた菜飯、地酒のセットが旅人たちに大好評だったという。
目川田楽と菜飯は代々伝わる当時のレシピをもとに味付けを現代風にアレンジ。
口コミで広がり、全国から目川田楽を食べに訪れるファンがいるという。
マンホール蓋考察
草津市に入っていた。
市の花「アオバナ」を描いた仕切弁のふた。アオバナはツユ草の変種で7~8月にツユ草より大きい花を咲かせます。友禅染の下絵用染料として用いられ、また近年では健康を志向した食品の原料にもなっているとか。 全国でもアオバナが栽培されているのは草津だけで、名実とも草津を代表する花と言
えそうです。
旧街道は草津川土手へ上っていきます
地図
あれ草津川のはずなんだが 川が干上がっている・・・で出会う人に聞いてみたら
洪水が頻繁に起きるため別に放水路を作った為今は流れていないそうだ
草津川(くさつがわ)は、下流部分は典型的な天井川であり度重なる災害をもたら
していたが、2002年7月、治水事業として中流域から琵琶湖にかけての草津川放
水路が 開削されたため、天井川を成していた旧河道は廃川となった。従来の流路を旧草津川とも称する。
水無し川の橋を渡り対岸へ移動。ここからが草津宿入り口だ
地図
草津宿の町並みといっても造りは現代風の家
地図 7:49
天井川を潜るトンネル ここは追分でもあってトンネル
の先は中山道でもあった
マンホール蓋考察
右 東海道、左 中仙道と描かれた草津宿の追分道標。
このデザインは、草津本陣の通りだけのものだった。
7:50 江戸から52番目の宿 草津宿に到着
残り大津宿を残す限りとなった
嬉しくもあり切なくなってくる感情わかり得ますか