toyotaboxyのblog

せんちゃんのグルメ&秘境の湯旅行記

2013年11月

歩いていこう旧東海道五十三次 石部宿→草津宿

2013.11.04

11月の3連休も 『歩いていこう旧東海道五十三次』に出掛け3日目が始まろうとしていた

DSCF4012
明朝までの雨は7時頃にはすっかり上がり曇天の朝を石部宿までやってきた

まだまだ帰路に着くには余裕のある時間帯 もう少し歩き次回が最終日にするた

めに少しでも距離を稼いでおきたかった

DSCF4669
マンホール蓋考察

また違ったデザインが登場 旧石部町の市の木松と市の花ツツジがデザインされ

ていた

DSCF4670
田楽茶屋  中は無料休憩所

地図  7:24



DSCF4671
地図

ここは石部宿西の入り口。公園に整備されていた

7:35

DSCF4672DSCF4673






DSCF4674
歩を進めると法面が台風による大雨で決壊し脇を走る道路を削り取っていた

関宿へ向かう地点も河原が凄いことになっていた

多分拙者が袋井に居るときに日本へやってきた台風の被害だろう

DSCF4675
彼方に高速らしきものが見えた これは名神高速かな

名神高速ってことは琵琶湖までもうすぐの距離と想像出来る

いつの間にかそんなとこまで来ていたんだ  地図

DSCF4676
マンホール蓋考察

いつの間にか栗東市に入っていた。デザインは町の鳥めじろ、町の木かいづか

いぶき、町の花きんせんかである。

DSCF4677
珍しいね 琺瑯の看板 キンチョール  昭和初期から40年代にかけての貴重な

文化遺産であると考えます。



DSCF4678
栗東市六地蔵地区

旧東海道が再び赤く化粧されていた

いいねyjimage


DSCF4679
本舗大角大角衛門  8:20

旧東海道沿いの六地蔵にあります。大角弥右衛門家の邸宅のことで、豪商の昔の姿をそのまま今に留めています。
六地蔵には江戸時代、旅人のために道中薬を売る店が数軒あり、大角家は、その中で和中散という薬を売る「ぜさいや」の本舗として栄えました。薬を売るだけでなく、草津宿と石部宿の「間の宿」として、公家・大名などの休憩所も務めたといいます。和中散という名は、徳川家康が腹痛を起こしたとき、この薬を献じたところ、たちまち治ったので、家康から直々付けられた名前といいます。

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地図  梅の木立場

8:23



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JR草津線手原駅 ここが今日の終着地点

何故ここなのかと言えば 草津駅よりローカルなため次回の際に無料で駐められる

駐車場が確保出来るから・・・だった  8:40

いや~走った 8:43に列車が来るのを知って必死に走った

1.7kmを13分かけて走った  疲れた

DSCF4682
この列車は草津駅行き 8:43

この後列車に乗っていたら 線路沿いの旧東海道をリュックを背負った男性が歩い

ていた。一目見て東海道を歩いているのと判別が付いた

同じ方面を歩いているため奇跡でないと出会うことがないが出会っていたなら労をねぎらうことが出来たのに


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9:02 三雲駅へ降り立った

今回はこれでお終い

次回は 手原駅から一気に三条大橋まで駆け抜ける いや歩き抜ける予定だ

残り約30粁はいつもの距離だ。間違いが無ければ完歩出来る

さて問題は何時にしよう

当初決めた日程は 11/23だったが祝日と言うことで渋滞を嫌い 11/16に決行することにした

その日が雨の予報でなければ 京都三条大橋に討ち入りじゃ 覚悟せい

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

2013.11.16

ついについにこの日が訪れた 順調にいけば今日のこの日をもって 『歩いていこう旧東海道五十三次』は

完結する

さすがに京都三条大橋まで30粁圏内は拙者の住み下総の国からは遠かった

本日無事完歩したなら明日にことは考えなくていいから歩き始める時間は7時と決め比較的ゆっくり寝ていた

ゆっくり寝ていたのは他にも理由があった 長く緩慢な高速走行の夜間運転は睡魔との戦いでもあった

そんな訳から途中で一度仮眠を取り更にここJR草津線手原駅に着いてから再度仮眠していた
DSCF4685
また金融機関の駐車場を間借りして今回最後の行程が始まろうとしていた

これが歩いていこう旧東海道五十三次における拙者の三種の神器である

日差し除けの帽子(この季節では不要) でもこれは外せない

リュック=雨具などが入っている

オレンジ色のものはipad=旧東海道の地図や現在地確認に絶対必要不可欠なもの

改めて写真に納め千秋楽をスタートしよう

千秋楽(せんしゅうらく)は、複数日にわたって同じ演目を行う興行において、「最終日」を指す業界用語。
本来は江戸期の歌舞伎や大相撲における用語だったが、現在では広く演劇や興行一般で用いられている。

6/22に1歩を刻んでから今日11/16で延べ18日間にもなった

お金などもらう演目ではなかったが拙者にとって興行ようなものでもあった。だから敢えて千秋楽という言葉が

ふさわしいと書き綴ったのだ
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6:42 手原駅  さすがに18日間は長かった。でもでもあと7時間歩けば三条大橋に

たどり着いてしまう寂しさも心の中に芽生え始めていたが今は最後の1歩1歩を刻み

込む大願成就だけ考え出発する

DSCF4687
前回は気がつかなかったがここ手原駅は東経136度が通る町でもあった





DSCF4688
駅から旧東海道を目指し歩いていると石材やさんがあった

その中に馬の彫刻を見付け これは縁起がいい 今日の行程きっと【馬くいく】と解釈

なんて幸せ者なんだろうと感心したほどだった

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旧東海道に着いた

さあ最終日無事怪我なく 事故にも遭わず 三条大橋まで歩き抜くぞ

エイエイオー!!

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ゴジラが居た。でもふくろうは居なかった

ふくろうが居たらランナーズハイではなくウォーカーズハイになったかも

この時点で陶酔していたなら三条大橋は無理だったかも

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DSCF4694マンホール蓋考察

栗東市  市の花キンセンカ、市の木カイズカイブキ、市の鳥メジロのデザイン

今や栗東市と言えばJRA栗東トレーニングセンタがあるで有名。出来ればお馬さん

デザインが欲しかった
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日の出(ちょっと遅れてはいるが勘弁して)

一日の始まり 活力漲るとき、勇気を与えられる瞬間でもある

頑張ろう

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ゴ~ン ゴ~ン ゴ~ンとお寺の鐘が鳴っていた

朝7時 残したねこの風景 この音色。 日本の音百選とは言わないがふるさとの

音なのかも知れない

DSCF4697
地図





DSCF4699DSCF4700
失礼ながら変に傾いた家屋発見

一体どうしちゃったの?



DSCF4702
7:24 こんなところに足湯があったが店はまだ開店前で中に入ることが出来ず

ガラス越しに撮影。足湯には湯が張られていなかった。

こんなところに温泉?知らないな

DSCF4701
地図

ヤマキ酒店

ほっこり湯と言うらしい 足湯1回300円 足湯が有料なんて おかしいだろ

DSCF4703その隣にあった 田楽茶屋ほっこり庵 

田楽茶屋「ほっこり庵」は、自治会のサロンとして、また、東海道を歩く観光客の
休憩所として利用されている。
コーヒーやお茶、お菓子はすべて無料で食べられる。

ここの名物は、江戸時代の味を再現し、予約制で食べられる目川田楽。
この地域は江戸時代、東海道を行きかう旅人の休憩所「立場」の一つ、目川立場の場所で、当時、豆腐田楽と大根の葉の漬物を刻んでご飯に混ぜた菜飯、地酒のセットが旅人たちに大好評だったという。
目川田楽と菜飯は代々伝わる当時のレシピをもとに味付けを現代風にアレンジ。
口コミで広がり、全国から目川田楽を食べに訪れるファンがいるという。
DSCF4704
マンホール蓋考察

草津市に入っていた。

市の花「アオバナ」を描いた仕切弁のふた。アオバナはツユ草の変種で7~8月にツユ草より大きい花を咲かせます。友禅染の下絵用染料として用いられ、また近年では健康を志向した食品の原料にもなっているとか。 全国でもアオバナが栽培されているのは草津だけで、名実とも草津を代表する花と言
                えそうです。
DSCF4705
旧街道は草津川土手へ上っていきます

地図



DSCF4706
あれ草津川のはずなんだが 川が干上がっている・・・で出会う人に聞いてみたら

洪水が頻繁に起きるため別に放水路を作った為今は流れていないそうだ

草津川(くさつがわ)は、下流部分は典型的な天井川であり度重なる災害をもたら
していたが、2002年7月、治水事業として中流域から
琵琶湖にかけての草津川放
                                       水路
が 開削DSCF4707されたため、天井川を成していた旧河道は廃川となった。従来の流路を旧草津川とも称する。

水無し川の橋を渡り対岸へ移動。ここからが草津宿入り口だ

地図



DSCF4708
草津宿の町並みといっても造りは現代風の家





DSCF4709DSCF4710
地図  7:49

天井川を潜るトンネル ここは追分でもあってトンネル

の先は中山道でもあった

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マンホール蓋考察

右 東海道、左 中仙道と描かれた草津宿の追分道標。
 
このデザインは、草津本陣の通りだけのものだった。

DSCF4713DSCF4714
7:50  江戸から52番目の宿 草津宿に到着

残り大津宿を残す限りとなった

嬉しくもあり切なくなってくる感情わかり得ますか







包丁式見学 高家神社   南房総市

2013.11.23

昔 庖丁人味平と言う漫画で見た 包丁式が開かれると知り出掛けた

ところは南房総市 神社名は高家(たかべ)神社 日本唯一に料理の神様
DSCF4863
9:36 ちょっと早すぎた  地図

まだ境内には参拝客=見物客はまばらな程度しか居ない

と言うことでまずは参拝

DSCF4864
料理の祖神」を祀る神社として料理関係者や醤油醸造業者などから崇敬される。

二礼二拍手1礼の儀式に則ったお参り

下総の国から参りました toyotaboxyと申します・・・・と

DSCF4865
これが名高い包丁塚か

料理で使った包丁の供養に建てられた包丁塚 料理人の魂同然の包丁を供養す

ることを考える日本人は偉い

DSCF4866
本日包丁儀式が行われる演舞台

観客は拙者が一番乗りだった

これから2時間半延々と待ち続けた

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本日の式次第





DSCF4870
限定醸造醤油 高倍?なに

どこでも売っていなかった



DSCF4871
境内脇に館山市弓道場があり練習を行っていた

初めて生で見たが、和弓で矢を射て、的に中(あ)てる一連の所作を通し、心身の

鍛錬をする日本の武道である。古武道の弓術を元とし、現在ではスポーツ競技、

DSCF4872DSCF4873体育
の面も持ち合わせている。

まさに心技体を兼ね備えていなければならない武道だ

僅かな時間だったが弓を引いた状態で静止するが

その間合いと雰囲気で矢が的を射ることが出来るか判
DSCF4874
断が付いた

邪念があるかのようにぶれる方は的を射ることは出来なかった



DSCF4875DSCF4876DSCF4877
12:30

いよいよ包丁儀式が始まった



DSCF4879DSCF4878
鯉をまな板に移す瞬間





DSCF4880
包丁士 岡野 宰登場

見ていてこちらも緊張する神事

神がかり いや神が宿る神聖な神事

DSCF4881
鯉に手を触れずに3枚に卸し始めた

見事な手さばきに見とれてしまった



DSCF4882DSCF4883
3枚に卸したら 今度は意外と小さな切り身に切り分け

ていた



DSCF4884
切りさばいた鯉を今度は皿に移し神にお供えをする

これで包丁儀式はお終い



確か昔読んだ漫画では 3枚に裁いた骨が泳ぐ・・・シーンがあったが実際あれを見たかった

ちょっとイメージと違ったな

でもとても貴重な体験を見学出来た

ありがとう御座いました

歩いていこう旧東海道五十三次 水口宿 清水湯で道草

2013.11.03



11月の3連休も 『歩いていこう旧東
海道五十三次』に出掛け2日目が始ま
っていた。




DSCF4012今日は 近鉄
日永駅から歩
き出し関宿を
超え一気に鈴
鹿峠越えを狙



っているが天気予報では夕刻から雨
予報が出ているため、出来ることなら
雨に遭わないうちに目的地に着くのが
理想だがうまくいくかな。順調以上に
足が運び水口を超え三雲駅まで到達す
ることが出来た。この三雲駅から車を
置いてある関駅まで戻り再び水口まで
戻ってきた。




DSCF4647今日の疲れと
汗を流すのに
銭湯を探して
いた。そこへ
偶然清水湯が



ヒットし出掛けていった。



DSCF464817時 清水湯
さん到着、東
海道五十三次
の宿場町水口
宿に唯一残る




銭湯で、古い町並みが残る水口にある
それもレトロな雰囲気漂う公衆浴場で
あった。平屋建ての外観に大きな暖簾
が掲げられている。暖簾をくぐると、
旧来の番台スタイルの銭湯で、男にと
って一度はあの番台に座ってみたい憧
れ、いや願望の場所であった。今日は
、おばあちゃんと奥様二人仲良く座っ
ておられた。姑小姑仲がよろしくて微



4erd435笑ましい。脱
衣場にあるロ
ッカーの数字
は漢数字。こ
れが何とも粋



なんだね。常連さんばかりのこの湯で
は鍵なんて壊れていても苦情なんて無
いのでしょう。




DSCF4649拙者も気にな
りません。脱
衣場も小さけ
れば浴室も小
さい。ロッカ




ーが20人分+籐籠が7個これが全て埋
まったら浴室はパンクだね。どう見て
も定員4名くらいの小さな町の銭湯浴
槽は壁側に深風呂があるのみ。たっぷ




DSCF4650りのお湯は、
極楽 極楽と
唱えたくなる
ようないい湯
でした。脱衣




場には、「ここの使用水は地下水で鉄
分を多量に含んでいるので、体の芯か
ら温まります」は、まさにその通りで
あった。




DSCF4651再び車を走ら
せると近くに
新しく出来た
スーパー銭湯
?があった。



水口温泉 つばきの湯 地図 駐車場
は満杯だった。清水湯の商圏にこんな
施設が出来てしまうと経営も危ぶまれ
ます。時代の流れと言ってしまえばそ
れまでだが小さな町だからこそ昔なが
らの銭湯が生き残って欲しいものだ。
 

歩いていこう旧東海道五十三次 水口宿→石部宿

2013.11.03

11月の3連休も『歩いていこう旧東海道
五十三次』に出掛け2日目が始まろう
としていた。




DSCF4012今日は、近鉄
日永駅から歩
き始め関宿か
ら一気に鈴鹿
峠越えを狙っ



ているが天気予報では夕刻から雨
報がでている為、出来ることなら雨に
遭わないうちに目的地に着くのが理想
だがうまくいくかな。そんな崎の心配
するより早く徘徊を再開しよう。




DSCF4613水口(みなく
ち)宿本陣到
着。まだまだ
明るい空模様
で、降るまで



のはもう少し時間が掛かりそうである。




DSCF4615東海道五十番
目の宿場町と
して発展して
きた街である。
古城山の南に




町並みが形成され特徴的な「三筋町」
として発展した宿場で、今もその面影
を残しています。古城山の南に町並み
が形成され「街道一の人止場」と
呼ば




DSCF4616れるほどに栄
えました。現
在も街道筋に
は古い家並み
が残され、水



口町は古くから伊勢参宮街道の宿場と
して開けた町でもあった、そんな街並
みを眺めながらの遊行であり、森閑な
佇まいにうっとりしてしまう。





DSCF4617DSCF4618










DSCF4619
DSCF4620










DSCF4621綺麗だね、花
を愛でる気持
ちに、本当は
この歩いてい
こう旧東海道




五十三次で拙者に足りなかった花鳥風
月の心を開花させたかった。




DSCF4623ここで金物屋
さんにて変な
もの見付けた。
『ちりとりま
な板』?ザク



ザク切った食材を片手でちりとりの様
に持ったまま、お鍋やフライパンにGO
~、でも使い勝手悪そうなんだけど、
本当に便利な品なのかな。




DSCF4624マンホール蓋考
察。色が付いた
が、なんのマー
クをあしらった
のか解らない。





DSCF4625三筋に到着。
石橋を境に
、東側は道が
三筋に分かれ
た宿場町、西




側は水口城の城下町で道が鍵の手にな
っていた。これは絡繰り時計でした。
 地図。本来の今日の目的地がすぐそ
こにあった。それは近江鉄道 水口石
橋駅。地図 駅名は、駅北側を東西に
通る旧東海道の「石橋」の地名が由来
であった。駅は無人駅となっていて、
中の設備は最低限のものとなっている。
利用客の大半は近くにある高校生です。
この歩いて行こう旧東海道五十三次の
旅は、週末だけを利用した行脚で自家
用車で、前回歩いた地点まで行きそこ
から歩き出す。約30km先の駅まで歩き
電車に乗って車まで戻り、車に乗り換
えてある気負えた地点からまた歩き出
す旅であった。なので車を駐めたJR関
駅まで戻ることを考えるとその日の終
着地点は自ずと駅になる。




DSCF4627現在13:22、取
りあえず駅ま
で行ってみて
様子を見に立
ち寄った。こ



こは無人の駅でとても寂れていて、確
かに情報も知識も無い水口の町だった
がもっと賑やかな町を想像していただ
けにギャップが激しかった。ギャップ




DSCF4626が激しかった
のは駅舎もそ
うだが鉄路も
そうだった。
駅舎はどう評




価しても無機質としか言いようがない、
趣もなければ味毛もない。確かにここ
で終える予定だったが、こんな駅では
気にそぐわない。




DSCF4628時刻はまだ1時
半と言うこと
と待ち時間が
30分以上もあ
ったで急遽予



定を変更し、5.5粁先にあるJR三雲駅
まで再び歩くことに決めた。




DSCF4629何で最初から
JRの駅を最終
目的地ににし
なかったのか、
自分でも首を



傾げてしまった。だってJR同士なら
乗り換えても運賃が割安もあるが乗
り継ぎが便利とこの上ない目的地で
もあった。どうぞこのまま雨が降っ
てきませんように・・・




DSCF4630DSCF4631










DSCF4632小坂町
交差点には力
石が置かれて
いた。






DSCF4633五十鈴神社近
くの看板

13:42






DSCF4634人々は、山や
川原で手ごろ
な大きさの石
を見つけて村
に持ち帰り、




力石とした。重さが異なる石を複数用
意することが多かった。置き場所は神
社や寺社、空き地、道端、民家の庭な
ど様々であったが、若者が集まるのに
都合が良い場所であった。





DSCF4635まさにここは
道端と言うよ
り交差点であ
った。ああ降
ってきてしま




った、まだ駅までは3余粁はあるだろ
うか、この程度なら我慢出来る。リュ
ックの中は濡れ予防のため全てがビニ
ール袋の中へ入れているため心配はい
らないが、唯一困るのが靴だけであっ
た。今まで歩いてきたが、意外にも天
候に恵まれていたのは正に幸運であっ
た。唯一傘を差したのが箱根関所周辺
のごく短時間と今の瞬間だけで、後は
曇りが多かったな。そんなことで、ふ
とこんなことが脳裏に浮かんだのは、
雨にも負けず風にも負けずの宮沢賢治
の詩であった。雨にも負けず 風にも
負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 
丈夫なからだをもち 慾はなく 決し
て怒らず いつも静かに笑っている。
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を
食べ、あらゆることを自分を勘定に入
れずによく見聞きし分かり、そして忘
れず野原の松の林の陰の小さな萱ぶき
の小屋にいて、東に病気の子供あれば
行って看病してやり、西に疲れた母あ
れば行ってその稲の束を負い、南に死
にそうな人あれば行ってこわがらなく
てもいいといい、北に喧嘩や訴訟があ
ればつまらないからやめろといい、日
照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろ
おろ歩き、みんなにでくのぼーと呼ば
れ褒められもせず苦にもされずそうい
うものにわたしはなりたい。雨にも負
けずは・・・雨には今まで縁がほとん
ど無かった、風にも・・・比較的穏や
かな日が多かったな、雪はない。丈夫
な体・・・ 確かに丈夫かも知れない
、遊びとなるとどこからか知らないが
スーパー体力が漲る。翌日の仕事は休
まず皆勤賞。ただし休日の疲れを平日
で取っていた。慾はなく・・・欲か? 
もしかするといや欲の塊かも知れない。
決して怒らず・・・東海道五十三次に
住民や自治体がこんなにも関心がない
ものかと時々怒っていた。いつも静か
に笑っている・・・一人歩きで夏の炎
天下の中、にたにた笑っていたら変人
扱いされるから気をつけていた。意外
と歩いている最中は無心でもあった。
夏の日照り・・・には参った!ヘモグ
ロビンが規定値から外れ献血が出来ず、
汗のかきすぎによる皮膚の炎症で医者
に患わる。東海道を歩いていると言え
ば・・・みんなから白い目で見られた
り嘲笑されたりと愚弄扱い。そんな中
、時々出会う同志が堪らないご褒美で
もあった。でも拙者はそんなことして
いる自分が好きだ。そんな好き勝手が
何時まででも続けられているわたしに
なりたい(いたい)。




DSCF4636小雨が降りし
きる中、黙々
と歩き続ける。






DSCF4637横田渡し跡 
14;24 地図
横田渡とは、
高さ10.5mの
巨大な常夜灯



があり、史跡公園として整備されている。




DSCF4638DSCF4639










かつては仮橋あるいは船での渡りだっ
た。現在の、甲賀市と湖南市の境目あ
たりです。



DSCF4640
14:55 JR草津
線三雲駅到着。
地図 駅に着
く前に駅前に




唯一ある寿司屋発見。今から関駅まで
戻り再びここまで、車で戻ってくるが
今夜の宴は寿司屋に決定。




DSCF4641ここから柘植
駅まで行き関
西本線に乗り
換えて関駅へ
向かう予定で



、柘植駅では乗り換え1分と言うこと
でちょっと心配だが頑張るしかない。
いよいよ列車がホームへ滑り込んでき
た。




DSCF4642明日はここか
らスタートす
るのだが雨が
心配で、大雨
なら中止もあ



りかな。でも予想では朝方までで、そ
の後すぐに晴れる予報になっていた。




DSCF4643そうなること
を祈り電車に
飛び乗った。
草津線は電化
されていたが




DSCF4644関西線は非電
化線加太駅よ
り柘植駅方向
約4.6kmに
ある信号場は




「加太越」と呼ばれ柘植駅方向に25パ
ーミル (25/1000)の上り勾配上にあり、
イッチバック式となっている。




DSCF4645この関西本線
は揺れる揺れ
る、久しぶり
に電車に乗っ
ていてこんな




に揺れる体験は珍しい。ましてJR線
では稀な路線と言えよう。




DSCF464617:02 関駅到
着した。こっ
ちは雨が降っ
ていなかった。
車に乗り換え



て今朝歩いた鈴鹿峠を越え土山へ入る
と本日行われた土山マラソン帰りの渋
滞にはまるが、旧東海道を歩いたため
そこが抜け道として使えることを知っ
ていたためすんなり渋滞回避出来た。
これも日中歩いた恩恵だったのかな。
水口宿にある銭湯に入り汗や今日の疲
れを流したい湯があった。それは清水
湯と言う銭湯です、早速行ってみよう。

★★★★★★★★★★★★★★★★★

2013.11.04



11月の3連休も 『歩いていこう旧東海
道五十三次』に出掛け3日目が始まろう
としていた。




DSCF4012昨晩は三雲駅
前にある寿司
屋さん『すし
ふじ』さんで
晩飯を食べた。



客は拙者のみで地元に精通しているお
店だけあって色々な話を聞けた。話の
内容はこれから順繰り書くとして昨晩
は結構雨が降っていて今朝の空模様が




DSCF4652気になってい
た。現在6時 
まだ小雨交じ
りの天気だが
これから回復




傾向と言うことで行けるとこまで頑張
ってみようと徘徊を開始した。昨晩の
『すしふじ』さんの話では、この旧東




DSCF4654海道沿いの家
は昔の旧家=
広大な土地を
持っていて、
国1沿いの大型




店舗や大企業に土地を売って現在土地
成金が沢山居るそうだ。まず家の造り
が違う、外観は一条瓦を使用した大豪
邸、車は皆高級車である。中でも息子
が乗る車は派手らしくベルファイアや
レクサスは当たり前らしい。5人住居
なら車は軽トラを入れて6台はある。
そんなことで街道の両側の家を見れば
それらしい家が何軒もあった。まさか
写真に撮ってupは出来ないが凄い家に
高級車がずらりと並ぶ家があった。




DSCF4655どうぞそんな
どら息子がま
っとうな人生
を送れる・・
・いけね貧乏



人の僻み根性が出てしまった。拙者も
人の親。子には苦労させたくないが、
やはり苦労をしないと人の痛みなどわ
からないと思う。土地を売って得たお
金はいずれ無くなる。そこの息子達お
金無くなったらどうすんだろう。





DSCF4657霧雨は降って
いるが傘を差
すまでもなか
った。常夜灯
に灯が入って




いたが、当時は人口のあかりなど何に
も無い、夜は月明かりのみこんなか細
い灯りでも旅人にとっては貴重な灯り
だったのだろう。ましてほとんどが山
道、灯りがともっているところに人家
がある訳で、時には命拾いの灯りでも
あったのだろう。




DSCF4658三雲城址公園
近くのおもて
なし処、今年
の流行言葉だ
ね お・も・




て・な・し。6:12 この近くにトンネ
ルがあった。旧東海道五十三次では初




DSCF4659めてのトンネ
ルで、どうも
このトンネル
の上に川が流
れているらし




い、天井川かな? 地図




DSCF4661もう1カ所トン
ネルがあった。
6:32 最初の
トンネルと同
じみたいな天



井川のトンネルであった。地図




DSCF4660マンホール蓋
考察。消火栓
用デザインだ
が消防士も描
かれている。




これは初お見えかな。消防車だけより
こっちの方がいいね。




DSCF4662
北島酒造さん。
6:40 昨晩の
すしふじさん
で喉をうなら




せた冷酒メーカー。『御代栄』店主が
ここの酒は美味しいと勧められた逸品
でもあった。大手酒蔵は、今はひどい
製造をしている点ここの酒造りは素晴
らしいと絶賛していた。まさか旧街道
沿いにあるとは思いもしなかった。や
っぱり恐るべし旧東海道、街道沿いに
は有名なお店が今も営業している。




DSCF4663マンホール蓋
考察。旧甲西
町と石部町が
合併して湖南
市が出来た。




 これは甲西町当時の町章と町の木ウツ
クシマツのデザイン。





DSCF4664街道沿いにあ
った石屋さん
の風景、とて
も賑やかで楽
しそうだった




が、出来ることなら旧東海道に面して
いるのなら弥次喜多さんか旅人などの
縁ある石像を飾って欲しかった。



DSCF4665マンホール蓋
考察。旧石部
町が制作した
もので東海道
歴史資料館と




町の花サツキと町章が描かれていた。




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DSCF46687:20 石部宿
本陣跡と思わ
れる地点に到
着。地図 江
戸から51番目




の宿か!残りは草津宿と三条大橋のみ
となってしまった。日本橋を発ったと
きには途轍もなく遠い京都だったが今
はのこり行程1日分のところまで来てし
まった。僅か80cmの歩幅を重ね重ね約
500㌔弱歩いてきて自分で自分を褒め
てあげたい程愛おしかった。昔からの
諺で継続は力なりとはよく言ったもの
だ。その成果がこの東海道五十三次だ
った。

歩いていこう旧東海道五十三次 土山宿→水口宿

2013.11.03

11月の3連休も 『歩いていこう旧東海道五十三次』に出掛け2日目が始まろうとしていた

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今日は 関宿から一気に鈴鹿峠越えを狙っているが天気予報では夕刻から雨予報出来ることなら雨に遭わないうちに目的地に着くのが理想だがうまくいくかな。

そんな心配するより早く徘徊を再開しよう

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土山宿 大黒屋本陣跡  10:08





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2つめの橋の欄干  地図





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国1から再び旧道は右に逸れていきます  地図

土山宿中心地を過ぎれば普通の住宅地だった



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この先も現在は橋が架かって居らず その為大きく迂回することになる

毎回言うけどせめて人道橋程度でいいですから元の位置に橋を架けてくれない

かな

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まるまる太った いや実った柿があったが今は飽食の時代 柿は食べないままなの

かな。でも飽食の時代と行っても人間の歴史を24時間に置き換えると0.01秒くらいごく

短い一瞬のことに過ぎない。後は常に空腹に耐えていた時代なんだろう

DSCF4595
だから飽食に体が追いつかず成人病を発生するんだ

それと戦争(軍)は止めろや平和がいいなども同じ時間枠で捕らえることが出来る

それまで人間は刀で人を切ったり 戦争で大量殺略 最悪は我が子を間引く・・・

DSCF4597残任そのものであった。話がずれた本業へ戻ろう

酒樽が現れた。造り酒屋さんだった

安井酒造メーカー 初桜ブランドで有名な酒蔵  地図


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樽の中を覗けばこんな風に飾られていた





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徘徊をしていると今度は真っ赤なものが目に飛び込んできた

鷹の爪だ 実は小さく、先がとがってやや曲がった紡錘形である。長さはおよそ3セ

ンチメートル。この形が鷹の鉤爪
を連想させることからこの名がある。熟すと鮮やか

DSCF4600な赤色になる。

更に徘徊を続けると今度は給水所?土山マラソン フルコース(42.195km)の給水所

まもなく選手が到着することで現場はピリピリしていた


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白バイ先導にトップランナーが現れた。すぐにこっちのコースに来ると思ったら真っ

直ぐに走って行っちゃった。確かに国1を通行止めすることは容易ではないため畦

道を走っていた。でもフルマラソンがある大会は凄いね

BlogPaint
地図

旧国道1号線(現県道549号)から旧東海道は別れていく






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水口(みなくち)の一里塚があった

江戸から112里だって 約448粁か!



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東海道四十九半 小鈴鹿峠 お休み処

手作りの人形?が出迎えてくださった

さすがに信楽に近いのか良質の粘土が出土するのだ

DSCF4607ろうか

地域によって『旧東海道』に対する熱の入れようが極端。ここは親切に旧東海道の

案内看板を掲げてくれている。有り難いね。感謝します

年間通じてもそんなに多くない『東海道五十三次』を歩かれる方が大変助かります

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マンホール蓋考察

なんの模様なんだろう 結局解らず仕舞いだった



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11/9 全国伝統花火サミットin甲賀 が開かれるらしい

それより

忍者の威信をかけて伊賀vs甲賀、市長が手裏剣対決!!! -の方が興味あるな

DSCF4612さあ水口宿入り口だ

12:51  

水口宿(みなくちしゅく)は、東海道五十三次の50番目の宿場である。現在は滋賀県甲賀市。

石橋を境に、東側は道が三筋に分かれた宿場町、西側は水口城の城下町で道が鍵の手になっていた。

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水口宿本陣跡に到着 12:55

まただゴミ置き場と同じにされていた。嘆かわしい!

水口の方是非是非改善を望む

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