toyotaboxyのblog

せんちゃんのグルメ&秘境の湯旅行記

2013年06月

歩いて行こう旧東海道五十三次 日本橋→品川宿

2013.6.22

先日テレビ(テレ東 YOUは何しに日本へ)を見ていたら 大阪から東京まで歩きに来た青年の行動がO・Aされた

それだけならこんな考えに至らなかったが 6/15箱根に出かけた際 『箱根には旧東海道が通っていて 杉並木や、石畳など風情がある』記憶が蘇った

そうだ 『旧東海道53次』を自分の足で歩いてみたくなったが果たして京都までの長い道のり本当に完歩出来

るのか不安はつきない

それならまず 日本橋からまず歩けるところまで歩いてみようで実施日となった
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日本橋からまずは国道15号線(中央通り)を南下、中央通りは日本の道100選に選ばれていた。今回歩く旧東海道にはもう一つ選ばれていた。
それは、旧東海道(三重県亀山市)で果たしてここまでたどり着いているのかな



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早朝の日本橋はほとんどの店がシャッターを下ろしておりその中の一軒のお店に昔の日本橋の風景が描かれていた

この絵は浮世絵師歌川広重の『東海道五十三次之内 日本橋』の絵だ

色合いこそ違うが同じ絵だ  地図

日本橋東洋 [平成20年8月22日完成]


絵師:   歌川広重
浮世絵:  「東海道五十三次 日本橋朝の景」
制作者:  福永明子         この絵を見るなら閉店していることが肝心

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扇子のお店  これだけで商売になるなんてすごい





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旧東海道 日本橋から京へ向かう道すがら初めての橋と言うことで京橋と名付けられた地点に『江戸歌舞伎発祥記念碑』があった

地図


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ここから先は銀座に入る日本の象徴的な街

有名ブランドショップが軒を連ねている

朝日はまだまだビルに遮られ快適に歩を進めることが出来る

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銀座柳の碑だが 拙者には銀座の柳に関して記憶がない





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地図





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6:56  芝大門付近  東京タワーが見えた





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高輪大木戸跡

東海道から江戸府内の入口として、また南の出入口として設けられた大木戸の跡である。

この近くには泉岳寺があるがとてもとても余裕がなく東海道をDSCF2233歩くのみだった

7:42 品川駅に着く




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7:48

八つ山橋

ここを過ぎると日本橋から初めての宿場 品川宿に入る

ここまでは中央通り⇒第一京浜と大きな道すがら地図を見なくてもたどり着けたが東海道は初めて幹線道路

から外れ元来の東海道の面影が残る路へ入っていく

そのためここで初めてipadで地図を確認した  参考地図

現在では本よりスマホを利用した道案内の方が正確で便利です



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ここからが本来の旧東海道

日本橋からここまで来てやっと往年の東海道を示す物が現れた

それまでは看板など一切なかった

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京急の踏切渡れば品川宿  地図





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幹線道路の開発から逃れた旧東海道

これでも本来はもっと狭かったのかな



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閉められたシャッターに浮世絵が描かれていた





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路肩の排水溝 蓋にこの道が嘗ての東海道だったことを表していた





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昔ながらのお店発見

まだ時間が早いため今も営業されているかは不明だが 旧東海道を歩いていると

真新しいお店には全く興味が湧かないね

DSCF2242こんな調子で鄙びた銭湯があり営業していたら必ずや入浴していくのにな

延命院一心寺


真言宗智山派寺院の一心寺は、豊盛山延命院と号し、安政2年(1855)に大老井伊直弼により開山したと伝えられます。江戸三十三観音霊場30番札所、東海道七福神の寿老人です。

 

一心寺の概要
山号豊盛山
院号延命院
寺号一心寺
住所品川区北品川2-4-18
本尊不動明王
宗派真言宗智山派
葬儀・墓地-
備考江戸三十三観音霊場30番札所、東海道七福神の寿老人


この寺付近が品川宿中心地というわけで 道中の安全はもちろん三条大橋まで完遂を祈願した


ここまでの歩行距離8.5粁

高低差がなくとても歩きやすい道 日差しから体を守りたいのなら左側通行がいいです

※しまった準備運動とストレッチするのを忘れた


歩いて行こう旧東海道五十三次 お江戸日本橋編

2013.6.22

先日テレビ(テレ東 YOUは何しに日本へ)を見ていたら 大阪から東京まで歩きに来た青年の行動がO・Aされた

それだけならこんな考えに至らなかったが 6/15箱根に出かけた際 『箱根には旧東海道が通っていて 杉並木や、石畳など風情がある』記憶が蘇った

そうだ 『旧東海道五十三次』を自分の足で歩いてみたくなったが果たして京都までの長い道のり本当に完歩出来

るのか不安はつきない

それならまず 日本橋からまず歩けるところまで歩いてみようで実施日となった
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自宅のある過疎の部落から電車を乗り継ぎ朝6時ちょっと前に日本橋に着いた

ここ日本橋はかって現在の築地市場に移転する前まで魚河岸が置かれとても賑わっていた

日本橋中央柱の麒麟

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戦前の道路法では、各市町村に道路の始点となる道路元標の設置を義務付けていた。その場所は概して市役所や県庁などとされていたが、首都たる東京市は江戸時代を踏襲して日本橋を道路元標とした。

地図

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現在の日本橋(第19代)は平成11年国の重要文化財(建造物)に指定されている。
しかし首都高速道路に覆われてしまっている現状から、都市景観の在り方を含めた多くの議論を抱えている。
「日本橋川に空を取り戻す会(日本橋みち会議)」が、首都高速道路を地下に移設して周辺を親水公園などに造り変えるという再開発構想をある

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最近首都高速の老朽化に伴う立て替え問題が現実化でもしない限り日本橋川に空を取り戻すことはあり得そうもない




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目指す京の都までは503粁
 旧東海道では 492粁と11粁少ない
その他鹿児島まで1469粁 鹿児島には2011年末から翌年始にかけて自家用車で行った経験があるが途轍もなく遠かった
拙者の住む下総の国(千葉市)37粁も載っていた

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♪ お江戸日本橋七つ立ち、初上り。あ々こりやこりや。行列揃えて、あれわいさのさ、こちや、高輪、夜明けの提灯消す。 こちやえ、こちやえ♪

七つ立ち=現在の朝4時頃を指す

これは上り歌の第一節。その反対に下り歌もある

 
       上り唄
お江戸日本橋七つ立ち、初上り。あ々こりやこりや。行列揃えて、あれわいさのさ、こちや、高輪、夜明けの提灯消す。 こちやえ、こちやえ。
恋の品川女郎衆に、袖ひかれ、のりかけお馬の鈴が森。こちや大森細工の松たけを。
六郷あたりで川崎の、まんねんや。鶴と亀との米まんじゆう。こちや神奈川いそいで保土ヶ谷へ。
痴話で口説は信濃坂、戸塚まあえ、藤沢寺の門前で、こちやとどめし車そ綱でひく。
馬入りわたりて平塚の、女郎衆は、大磯小磯の客をひく。こちや小田原相談熱くなる。
登る箱根のお関所で、ちょいと捲り、若衆のものとは受取れぬ。 こちや新造じゃぢゃないよとちょいと三島。
酒もぬまずに原つゞみ、吉原の、富士の山川白酒を、こちや姐さん出しかけ蒲原へ。
愚痴を由井だす(さった)坂、馬鹿らしや。絡んだ口説きも興津川。こりや欺まして寝かして恋の坂。
江尻つかれてきは府中、はま鞠子、どらをうつのかどうらんこ、こりや岡部で笑はゞ笑わんせ。
藤枝娘のしをらしや、投げ島田、大井川いと抱きしめて、こちやいやでもおうでも金谷せぬ。
十一小夜の中山夜泣石。日坂の、名物わらびの餅を焼く、こちやいそいで通れや掛川へ。
十二袋井通りで見附けられ、浜松の、木陰で舞坂まくり上げ、こちや渡舟(わたし)に乗るのは新井宿。
十三お前と白須賀二タ川の、吉田やの、二階の隅ではつの御油、こちやお顔は赤坂藤川へ。
十四岡崎女郎衆はちん池鯉鮒、よくそろい、鳴海絞りは宮の舟、こちや焼蛤をちょいと桑名。
十五四日市から石薬師、願をかけ、庄野悪さをなおさんと、こちや亀山薬師を伏し拝み。
十六互いに手を取り急ぐ旅、心関、坂の下から見上ぐれば、こちや土山つゞじで日を暮らす。
十七水口びるに紅をさし、玉揃ひ、どんな石部のお方でも、こちや色にまようてぐにやぐにやと。
十八お前と私は草津縁、ぱちやぱちやと、夜毎に搗いたる姥ヶ餅、こちや矢橋で大津の都入り。

 

       下り唄
花の都は夜をこめて、逢坂の。あ々こりゃこりゃ。夕つげ鳥に送られて、こちや、名残をしくも、大津まで。こちやえ、こちやえ。
瀬田の長橋打渡り、近江路や、まのの浦風身にしみて、こちや草津石部水口へ。
土山行くのをふりすてて、情山、心細くも坂の下こちや人目のを忍びつつ。
往来をまねくをばな咲く、野尻より、亀山庄野石薬師。こちや追分行くのは四日市
かひを桑名の渡しより、尾張なる、熱田のを伏し拝み、こちや鳴海池鯉鮒の染め尽し。
岡崎通りて藤川の、流れなる、赤坂越えて御油までも、こちや吉田二夕川白須賀へ。
新井の渡船、帆をあげて、扇開いて、舞坂の、こちや浜松越えて見附けらる。
袋井掛川打過ぎて、日坂の、小夜の中山夜泣石、こちや菊川渡りて、袖ぬらす。
いはで焦るる金ヶ谷で、思わずも、花の女郎衆は大井川、こちや二八ばかりの投げ島田
花のゆかりの藤枝に、思ひきや、かかる岡崎真葛原、こちや夢か現か、宇津の女で。
十一津田の細道はかゆかず、花染の、衣物の袖を振りはいて、こちや鞠子府中の賑ひな。
十二江尻興津の浜辺より、はるばると、三保の松原右に見て、こちや浮世の塵を薩多坂。
十三我元由井の乱れ髪、はらはらと、蒲原かけて降る雪は、こちや富士の裾野の吉原へ。
十四沼津三島への、朝露に、かけ行く先は小笹原、こちや越え行く先は箱根山。
十五雲井の花をわけすてて、小田原の、大磯小磯を打ち過ぎて、こちや平塚女郎衆の御手枕。
十六花の藤沢過ぎかねて、神の露、ちぢに砕いて戸塚より、こちや保土ヶ谷までの物思ひ。
十七思う心の神奈川や、川崎を、通れば、やがて六郷川、こちや大森小幡で鈴ヶ森。
十八酔いも鮫洲に品川の、女郎衆に、心引かれて旅の人、こちや憂を忘れてお江戸入り。


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さあ 三条大橋までの492粁の一歩が今ここから始まろうとしている

現在朝6時 ♪お江戸日本橋六つ立ち、♪ 今ならこんな感じかな

旧東海道五十三次 完全踏破してみようかな

2013.6.22

先日テレビ(テレ東 YOUは何しに日本へ)を見ていたら 大阪から東京まで歩きに来た青年の行動がO・Aされた

それだけならこんな考えに至らなかったが 先週箱根に出かけた際 『箱根には旧東海道が通っていて 杉並木や、石畳など風情がある』記憶が蘇った

そうだ 『旧東海道五十三次』を自分の足で歩いてみたくなった

だが考えるのは容易だが いざ歩くとなったら大変さはある程度想像できる

でも まずは1日目・1歩を踏み出してみなければ必要な用具、どのくらいかかるか日程、予算などの情報が得られない

★道具リスト
・ナップサック 15L程度
・500mlペットぶら下げるショルダーバッグ
・着替え 下着や靴下
・帽子
・お風呂セット
・日焼け止めや湿布薬
・お金
・ipad 
・デジカメ
・メモ帳
・関連本 拙者は『東海道を歩く旅―宿場町と街道名所をめぐる特選10コース&完全踏破 492km 』
 だがこの本は役に立たなかった
 街道地図が載っているが歩いていて道案内にならない ipadのほうがず~と役立つ

 役に立った地図はここ

★日程はこんな感じかな
・週末を利用して少しずつ歩く方法
 幸い東海道はJR線と並んで出来ている。つまりその日の体調不良でもリタイヤが楽。
 関東近郊は早朝家発、静岡以西の地域は金曜日夜のうちに家発引き継ぎ地点を早朝歩き始める
 ここで車で行く意義は 安宿を極力利用するには歩き終わってからの移動が楽。
 それよりも車はドアtoドアが可能。疲弊しきった体に駅のコンコースが苦痛になるはずだ
 車の利点はまだある。2-3日連続の日程でもその日の荷物だけザックに詰めて歩けることだ
 また地方に行けば行くほど無料で駐められる駐車場が必ずあり少予算に打って付けだ

★日程シミュレーション
 前回の到達点近くに車を止め歩き始める。その日の行程終了後電車で車のところへ戻る
 そして宿へ向かい宿泊
 翌朝昨日の到達点に車を止め歩き始め帰り時間を考慮して歩くのを止め帰路に着く

 ・1年間かかってもいいからゆっくり進んでいこうがスローガン

★願わくば三条大橋までたどり着きたいがまずは箱根の山越えが一つの目標
 ブログでこそ状況をアップするが知人には『旧東海道53次』を歩いて京都を目指しているなんて決して言えない
 名古屋まで行ったらカミングアウトしてもいいかな


よぉ~し まずは日本橋から1日でどのくらい進めるか実行あるのみ

はじめの一歩スタートだ

台湾 文山温泉(災害のため閉鎖中)  太魯閣峡谷

2013.5.4

GWを利用して3度目の台湾へやって来た

目的はまだまだ未踏達の温泉を巡ることだった

今回は台湾島の東海岸部を主に巡る予定でまずは礁渓(ジャオシー)温泉へそして野渓温泉で有名な

梵梵温泉、文山温泉や太魯閣(タロコ)峡谷などを巡る予定だった

2日目の朝が明けた今日は昨日スケジュール的に行くのが無理だった太魯閣峡谷にある野湯文山温泉へ

行く予定だった

昨夜の宿で日本語が通じなくて難儀したが フロントで文山温泉の情報を聞くことが出来た

話によると文山温泉へ行くには 入場料なる許可書が必要と・・・

拙者に対して “あなたそれ持ってますか?”

‘No! どこで許可証がもらえるのですか’

“太魯閣国家公園管理事務所に行けば解ります” と言うことでまずは管理事務所を目指しました
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太魯閣国家公園ビジターセンター

ここで文山温泉の許可書を頂こうと話すが日本語が通じず 拙者に出来る限りの英語力を駆使して理解できたのは『文山温泉は災害による被害が出て現在立ち入り禁止。見学も不可能』ということだった

それでもどうしても現地入り口のみだけでも見ておきたく車を走らせた

太魯閣渓谷(タロコ渓谷)は、立霧渓が大理石の岩盤を侵食して形成された大渓谷。奇岩怪石と水の美しさゆえ、台湾の中でも特に人気のある観光地でもあった。

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車を走らせること30分最寄りの駐車場に着いた。そこから谷に目をやれば遙か眼下に吊り橋が見える。あの吊り橋を渡ってさらに川面に降りれば本来の目的地 文山温泉に着く

地図

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更に50m進むと黄色い煉瓦の『泰山隧道』がある
その右側に文山温泉へ向かう入り口があるが 入り口は応急ゲートで閉じられていた

ところが拙者の前を歩く人がトンネルの中へ進んだのを見て拙者も続いた


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黄色い保安ヘルメットを被った女性でこの湯を管理している人とみた

その方に気づかれぬように後をつけて歩いたら噂の更衣室のところについた

女性はそこに見向きもせず先へ進んでいく

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するとあの駐車場から見えた吊り橋に出た

このとき一度は見つかったらやばいで車まで戻ったのであったがまた新たな台湾人が温泉に向かうのを見て再度拙者も向かうことにした


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再度 橋までやってきた つり橋からはまだ50m眼下に川が流れているのが見え
先ほどの黄色いヘルメット女性が川岸で湯浴びをしているではないか

なんだ 管理人じゃなかったのか


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最低部まで降りてきた。さっきの吊り橋があんなに高いところにあった








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川岸にある露天風呂は 崖崩れのために土砂で埋め尽くされ湯などどこからも出ていなかった。すると川岸にある柵から身を乗り出せば2m下に男性とあの女性が水着に着替えパイプから流れる温泉を浴びていた。
こと不思議なことにこの2mの高さをどうやって降りたかは不明だった
男の拙者でさえ降りることは出来ないで途方に暮れていたくらいだった


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ほかの湯船らしき物も土砂に埋まっていた

2005年4月3日16時半ころ、土砂崩れが発生して多くの観光客が巻き込まれ、2人が死亡5人が負傷した。それ以降、文山温泉は閉鎖された。2011年9月に安全のために規模は縮小されているが、部分的に温泉は再開されたと言うが湯船は土砂に埋まったままで現在閉鎖中に間違いなかった。
湯船上空は大きな岩がせり出して庇のようになっているため更なる土砂崩れはいつ発生してもおかしくない環境だった



群馬県川原湯温泉 聖天露天風呂 閉鎖 6/30まで

大変だ また一つ貴重な湯がなくなってしまう 

群馬県川原湯温泉 聖天露天風呂 閉鎖




八ツ場ダム周辺工事に伴い、聖天露天風呂を閉鎖致します。
長い間ご愛顧いただきありがとうございました。
【閉鎖日時】平成25年6月30日 21:00まで

拙者の入浴記

また一つ貴重な無料・寸志の湯が無くなってしまう

八ッ場ダム建設に伴いだそうだが 川原湯温泉は高台に移動しても

この寸志の湯は絶対復活はしないだろう

6/30か たぶんスケジュール的に出向くことは出来そうもない

直近では今年の4/30が最後の湯になってしまうのかな

残念だね
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