2022.05.04

鳴き龍を体験する為、城上神社にやっ
てくると、昔銀採掘(石見銀山)で賑
わった古い街並みが残っているのが解
り暫し徘徊することにした。調べると
、ここらを「大森銀山重要伝統的 建造
物群保存地区」と言い、その保存地区
とは、石見銀山のお膝元である大森銀
山地区のことである。その石見銀山遺
跡とその文化的景観として平成19年7月
には世界文化遺産にも登録されていま
すが、その中心となった町が大森町で
最盛期には20万人が暮らしたという鉱
山町であった。



DSCF6178
まず最初に現れ
たのが、「いも
代官ミュージア
ム」です。地図
このミュージア




DSCF6179ムは、明治35年
に代官所跡に建
てられた木造の
旧邇摩郡役所を
活用した石見銀




DSCF6180山資料館で、そ
の愛称を江戸時
代にサツマイモ
栽培を奨励して
住民を飢えから




DSCF6181救った功績から
「芋代官」と呼
ばれる石見銀山
の代官・井戸平
左衛門にちなみ




付けられていた。新一万円札の図柄に選
ばれた、渋沢栄一もこの地にゆかりがあ
った、陣屋町・大森にある「井戸神社」
が、明治44年に社殿を建設することにな
った際、栄一が金100円を寄付していた
記録を、見ることが出来ます。




DSCF6182更に歩を進める
と、この地で映
画「アイ・ラブ
・ピース」のロ
ケが行われた看



板が設置されていた。不覚にも観賞して
いないが、あらすじを調べてみれば、
根県大田市とアフガニスタンを舞台に、
義肢装具士を目指す聾唖の主人公とアフ
ガニスタンの少女の交流を描く人間ドラ
マ。言葉(手話)の壁を越えた2人の友情
を通して戦争の残忍さを訴えるストーリ




DSCF6183ーであった。

ここは、中村ブ
レイス社、義肢
装具は障害を受
けた方に処方さ



DSCF6184れ、製作する医
療用具メーカー
であった。 昭和
57年に法人化し
、今日、日本国




DSCF6185内の医療機関・
義肢装具製作会
社がなんと過疎
の町大森にあっ
た。ブレイスと




DSCF6187いう言葉は、勇
気を与える、支
えるという意味
を表し、ここで
は、義手、義足



、コルセットなど医療用装具を世界二十
カ国に送り出しています。そして、世界
中の義肢装具メーカーで、シリコン製の
義手や人工乳房を作っているのはここだ
けです。世界で認められる製品を、過疎
の町、石見銀山から発信する凄い会社で
あった。



DSCF6188ここは、熊谷家
住宅です。地図
世界遺産に登録
されている石見
銀山を支えてき



DSCF6189た陣屋町が、こ
の大森で、
立派
な瓦ぶきの建物
や石垣が連なる
姿に、江戸時代



DSCF6191にタイムスリッ
プしたような気
分が味わえます
代表的な建物
は、陣屋町・大



DSCF6186森の有力商人で
あった熊谷家住
宅で、寛政12年
の大森大火の被
害を受けた後、



享和元年に再建を始め、土蔵などを増築
しながら、明治元年に現在の姿になった
と言う。
江戸時代となっても、石見銀山
の重要性は変わりませんでした。江戸幕
府は石見銀山を天領(幕府の直轄地)と
し、町並みを整備されていきました、

在の陣屋町・大森の町並みは、寛政12年
の大火の後に再建されたものですが、石
州の赤瓦で守られた町並みは今も残され
ているのです。今回は、この後のスケジ
ュール(石見神楽見物・県立石見海浜公
園はっしー広場)の為、陣屋町・大森の
ほんの一端に触れただけで、時間が許さ
れたのならもう少し徘徊を続けたかった
かな。特に石見銀山大森郵便局と木枠に
囲まれた自販機は見て起きたかな。次回
の宿題として残しておこう。