2021.01.05

バナナが日本に輸入されたのは明治36年頃で、当
時の台湾は、日本の領土であり台湾最北の都市・
基隆の商人が神戸に持ち込んだのが始まりです。
それが大量輸入されるようになったのは、明治41
年以降と言われている、台湾は日本の領土であっ
たことと、門司港が産地台湾と最も地理的に近い
関係もあって、大量荷揚げされた要因があった。
バナナの輸送は、青いままのバナナで門司に陸揚
げされ、業者に引き取られたバナナは、地下室で
蒸されて、黄色のバナナとなって、市場に売り出
されていくが、輸送中に蒸れてしまったものや、
傷が付いたものは、出来るだけ早く売りさばくた
め、露天商等に流され、民衆の前で口上よろしく
売りさばかれたのが「バナナの叩き売り」の始ま
りと言われています。

DSCF1336ここは、JR門司港駅前広
場にある『バナナの叩き
売り発祥の地』の記念碑が
建っています。地図
バナナの叩き売りの口上は、

このようなものであった。「窓を開ければ港が見え
る。遥か彼方を眺むれば、武蔵小次郎の決闘で、今
も伝わる巌流島。つくよつくよと何がつく。 門司の
港に船がつく。お寺の坊さん鐘を突く、私は貴方に
しがみつく、はなれられないこのおいしいバナナ千
円で、どうだ~~」と売りに入る。で(お客反応を
見る。お客が無関心、または「高い!」「もう一声
!」と言われると、さらに口上は続く)「高いか?
~~(困ったな、じゃあしょうがねぇという感じで
次の口上に入る)高くてよいのが人の鼻、低くてよ
いのが人の腰(略)はい、700円」(お客反応を
見る。後は上と同じ繰り返し)。口上と言えば、映
画「男はつらいよ」の寅さんの口上でもおなじみで
、いわゆる啖呵売と言われるものです。「結構毛だ
らけ、猫灰だらけ、お尻の周りは糞だらけ」という
口上を思い出す。バナナたたき売り継承者育成のた
めに「門司港バナナ塾」なる市民向けの教室も開か
れているって面白いね。さあ!「では1房1万円
から!」