2014.11.22

『歩いていこう旧中山道五十六次』も今回の旅で完結となってしまう

東海道五十三次を歩き終えた瞬間は二度と街道歩きするもんか・・・思ったほど疲れていたが

今はまだまだ余力が有り余っている

このままならまだまだ歩けそうだ

でも残り2日間無事歩き終えて初めて完結する

慎重に慎重に歩を進め無事妻籠宿本陣にたどり着いた

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郵便局も街並みに合わせた建物にしているネ。当たり前か

ここで鉄筋造りだったら怒るよね

地図


でも凄いね 今まで火災などの損失を免れこれほどの建造物が今でも残っていることは、確かに

文明の開発から取り残され改築するにも資金が無かった性もあるがいち早く地域を挙げて景観保

全活動に取り組んだことが評価され、1976年、国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定

地の一つに選ばれていた。住民パワーの証だね。
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宿場内枡形の地

地図




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往時を偲ばせる街並み うっとり

この光景を朝靄の中か、真綿の雪に覆われた真冬、また夕暮れ症候群

になったつもりでもいい、昔 住んでいた我が家に帰りたい気持ちを抱き


DSCF8833ながら再びこの地へ訪れてみたいね

早朝の宿場はいいね

恐らく日中には雑踏のかなでかき消される静寂の時。この一瞬がいいね

ここに来るならこのような時間や夕暮れ時か はたまた丑三つ時がお勧め

かな。日中では都会の喧騒の中にいるのと同じだよ

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ここは、有形文化財に指定されている上嵯峨屋

さん。  地図

江戸中期頃の建物を解体復元したもの。

                                旅籠は旅籠でも低身分の宿 木賃宿であったそう

だ。木賃宿では、雑魚寝で就寝したそうです。

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建物内に馬小屋があり もしかすると人様よりも馬のことを大事に扱ってい

たかもしれない

往時の宿場はここら辺で終わっていた



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街外れに重厚な建物があり ここは、妻籠発電所です  7:17  地図

アールデコ調の設計で、妻籠宿の景観に合わせた、黒塀に囲まれた建築物

アールデコは西洋流の建築様式で、直線を基調とした設計です。


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暫し歩を進めると『いんきょ』なる店があり、その軒下には 藁馬が展示さ

れていた。お店では販売はもちろん製作教室も行われていた

7:19  地図


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国道に出たら横断し更に進む

7:22 地図




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横断すると旧街道は人道専用道となっていたと言うより 開発の手が唯々

伸びなかっただけ。これこそが中山道源道です、でも紅葉が綺麗でしょ




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大綱橋を渡ると標識にしたがって右折すると中山道源道の草道が現れる

いよいよ 妻籠峠なのかな 覚悟を決め歩を進める

7:27

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源道も長くは続かなかった。すると集落が現れた。そうここは間の宿 大妻

籠宿。ここにも宿泊施設があり通りかかったら宿泊者が2階から拙者のこと

を見ていた  7:34


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民宿軒下に籠が取り付けられていたが、どう考えても楽とは言えない乗り・

座り心地。自らの足で歩いた方が楽だし景色を楽しめるはずだ




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この先石畳道があるらしい  地図  7:41

石畳は意外と歩きにくくて好きじゃ無い。やっぱりアスファルト道がいいね・・・

って言ったら馬鹿かおまえはと言われそう  何のため中山道歩いているんだ

はて 何のためだったかな

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7:43  さすがにこの時間ではすれ違う人もいない

恐怖のあまり“わぁ~”と奇声を発するが藪の中で動く気配

は感じられなかったのは、獣がいなくて安心する反面 鹿などの動物を見られない寂しさもあった

どうも 木曽山中では今まで何度となくこの行為をしてきたが 和田峠のようなことは起きなかった

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熊除けの鈴が設置してあったが、反対にこんなのを見てしまうと 熊出没が

現実味を帯びると不安が増した

この先の耕作地ではそばを育てているそうだ  7:45


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2個目の熊除けの鈴  7:54

それにしても立て続けにあるってことは やっぱり出るのかな

森のクマさん  ♬あるひ森の中クマさんにであった~♬


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8:04  地図

男垂川沿いの県道を右折すると木橋があり 再び山中へ入っていく



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峠入り口  8:08  地図

ここからが本当の山道であった

でも この中山道歩き ひたすら山の中 ひたすら住宅地あるき どちらが

辛いと言えば 山中の方が辛いかな

空気が澄んでいるんだが、意外と山中は勾配がつきまとうし 木立の中では視界不良。

大幹線道路は、最も辛いが、住宅地は家並み、庭先など意外と変化に富み楽しいもんだ

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暫し 川のせせらぎを聞きながらの山道も意外にいいもんだと楽しむも 熊など

の注意意識は離れなかった。すると サワラの大樹が現れた。

え?サワラの木って何だ

サワラと言えば 魚の鰆なら知っているが 樹木のサワラ?

よくよく観察すると檜の木に似ている

サワラは、ヒノキ科ヒノキ属の針葉樹。

ヒノキ科ヒノキ属、日本を代表する林業用樹種であるヒノキとは同属。

樹高は通常30〜40 m、大きいものでは約50 mになる。主幹形であり外見はヒノキによく似るが、

枝はヒノキほど茂らず、枝と枝の間隔が広くなるため、遠くからでも幹がよく目立つ。ヒノキのよう

に鱗片状の小さな葉がつくが、1枚1枚の先端が尖っているため、ヒノキとの区別は容易である。

ヒノキよりも成長が早いが、木材は柔らかいためヒノキのように柱などとしてはあまり用いられな

い。水湿に強く、ヒノキや
アスナロのような臭いがないので、飯櫃柄杓などによく用いられ

る。
木曽五木の1つである。殺菌作用があるため、松茸など食品の下の敷物としても使われる。


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一石栃白木改番所跡

8:21

木曽から移出される木材を取り締まるために設けた番所。


DSCF8852小枝に至るまで許可を示す焼印があるか調べるほど厳重であった。

この先何度となく番所跡に出会すほど 木曽の木材は宝物であった





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見てみて このピンクの絨毯? 思わず寝転んでみたくなるほどふかふかの

落ち葉群。落ち葉の中は暖かいんだろうな




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8:34  馬籠峠に到着

妻籠宿から1時間半 うわぁ~きつかった。

地図


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そしてここは県境でもあったが、調べると、長野県山口村は平成17年2月に

越県合併で岐阜県中津川市に編入していた。

しかしながら馬籠と言ったら信州長野ですね。でも現在は岐阜県美濃国にな

っていました

でも信州木曽海道の旅はまだ続くのであった。



山口村(やまぐちむら)は、長野県南西部にあった木曽郡の村である。島崎藤村の出生地である馬籠

宿で有名である。


2005年(平成17年)2月13日、岐阜県中津川市などと県を超えた合併をした。この越県合併は1959

年(昭和34年)1月1日に栃木県足利郡菱村が群馬県桐生市
へ編入されて以来46年ぶりのことである。

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8:37  地図

旧街道を右に逸れると木曽11宿最後の宿 馬籠宿はもう近い

もうそんなところまで来ていたんだな


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8:41  間の宿 峠集落があらわれた

宝暦の大火で全焼したが、その後復興を果たし現在まで大火が無かったた

め往時の姿を留める古民家が多く建ち残る


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街道脇で 干し芋を販売する老婆がいたが『一つ買うてって・・・』の言葉に

返事が出なかった。サツマイモとカボチャは、食べられるが敢えて自分から

お金を出しては絶対にしない行為であったが見事な仕事さばきに感心した


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“ご免ね 先を急いでいる”でさよならしてしまった

恐らくひとり暮らしの今 この100円の収入は年金+生活費の糧になってい

たのだろう。本当にサツマイモで無ければ購入していたのに・・・御免なさい


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時折日が差すがまだまだ 木曽路は山の中である・・・

この頃になるとハイカーと出会すことが多くなる。

8:52  馬籠宿に1泊され朝食を済ませたのだろう。頃合いがそういった感

                じだ

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8:56  ここからが本格的な日の出だ。

暖かい 山陰ばかりを歩いてきたから尚更有難味が解る。恐らく木曽谷の

方々もそう思いながら住んでいることだろう


確かに これからUVカットクリームを塗るが日照時間の少ないこの地方では何よりのご馳走に等し

いね

天照大神 ありがとうございます

またこんな天照大神の伝承が存在する。
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  • 木曽山脈の恵那山には天照大神誕生の際に、胞衣(えな)が埋設されたと
  • いう伝承が残る

←恵那山


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9:05  馬籠宿に到着

一気に観光客が増えた。

確かに往時の建物が多く残る歴史的建造物群だが、うがった見方で見れば


DSCF8864観光目的で作られた街並みにも見えてしまうほど 『観光地化』した街並み

だった。

もしかしたらこの時間妻籠宿、奈良井宿も同じようになっているかも知れな

いが もう少し静かに宿場内を散策したいと思った拙者であった

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ネコと言う防寒着。本来は南木曽町で普及していったものだがここ馬籠宿で

も売っていたのはあくまで観光客目当てものかな

そうだとしたらちょっぴり寂しいな。でも行脚中着ている方を一度も見なかった

                のは、ちょっと残念

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三度笠が売られていたが、股旅ものなどの時代劇で渡世人が被っている印象

が強いが、拙者は四国八十八ヶ所とガッツ石松の印象が強い

もとは江戸、京都、大坂の三ヶ所を毎月三度ずつ往復していた飛脚(定飛脚)


DSCF8867のことを三度飛脚と呼び、彼らが身に着けていたことからその名がついた


土産に欲しいアイテムだが、購入はしなかった





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9:09  馬籠宿脇本陣跡  現在は資料館となっていたが見学はしなかった

地図 




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この館エントランス通路に木曽の五木が植えてありこっちの方が関心があった

ひのき、さわら、コウヤマキ、あすなろ、ねずこの五種だが拙者には一目見たと

ころでどれがどの木なのか判別が全く付かない


唯一判別できそうなのはヒノキくらいかな

こうやまさ、あすなろ、ねずこって何

コウヤマキとは 水に強くて朽ちにくいことから、現在でも湯船材や橋梁材として重宝されている。

和名は、高野山真言宗の総本山である高野山に多く生えていることに由来する。また、高野山では霊木

とされる。

2006年(平成18年)9月6日に誕生した秋篠宮家の悠仁親王のお印でもある。


あすなろとは 日本各地で植林されているが青森県では青森ヒバと呼ばれている木。

この木も 水に強くて朽ちにくいことから、現在でも湯船材などに多く使われている。そういえば青森の

蔦温泉の湯船では そうヒバ作りの湯でもありそれは荘厳な湯に感銘を受けた。

他にも酸ヶ湯温泉玉川温泉などのヒバの木を使い浴室を作っていた


最後はねずこ 正式名をクロベと言う

つまり木曽の五木はヒノキ科の木が4種もあり 特徴として 耐久性 耐湿耐水性に優れ建築材、造船

材に重宝された

各所に木材流出を見張る番屋が置かれたのも 貴重な木と知った尾張藩のお陰で今の美しい山並みが

存在している

古くより木曽の山は建築材として貴重な木材を数多く産出していたが、関ヶ原の戦い後の江戸時代の初期、城郭・城下町・武家屋敷・造船などの建設によって森林の伐採が進み、山々は荒廃してしまった。そこで、木曽の山を管理していた尾張藩により森林の保護政策が行われ、ヒノキの伐採が禁止された。後に、誤伐採を防ぐため、似たアスナロ、サワラと、重要なコウヤマキの伐採が禁止され、さらにネズコが追加された。「木一本、首一つ」ともいわれるほどの厳しい政策の「留山制度」がとられた。その際伐採が禁止され、保護された五種類の樹木を木曽五木という。しかし、厳しい保護政策にも関わらず山の荒廃は止まらず、さらに尾張藩はクリマツカラマツケヤキトチカツラにも保護指定をし、伐採禁止の地域や樹種を拡大させることによって、森林の保護に努めた。その結果、美しい山を取り戻すことになった

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9:11  馬籠宿本陣跡に到着

尾根道を切り開き両側に石を積み上げて宅地を造成した宿場町。

だから宿場全体が勾配(ひな壇)の中に家を建ていったという独特の街造りを


している。

日本橋から数えて43番目の宿場町

この本陣は、島崎藤村の生家でもあり、今は「藤村記念館」となっている。

藤村に係わる資料の展示や、焼失を免れた祖父母の隠居所の公開などが行われている。

ただ一つ残念なことは ここ馬籠宿は現代の地理では木曽では無い。

岐阜県になっていたことかな

でも住民が決めたこと 他県民がああだこうだと言うことではないかも知れない