2014.6.14

『歩いていこう旧中山道五十六次』なんですが 諸般の事情で虫食い状態になっていた

日本橋から深谷までと赤坂から草津まで歩いていた

この先 長久保宿の濱田屋さんに宿泊予約を入れている関係で 手前を是非片づけておきたかったのも

あるが、拙者が考える2大難所のことが気になってしょうが無い

そこでその一つ碓氷峠を先に熟そうと実行に踏み切った

横川駅を出て今坂本宿本陣前を通過したところ いよいよこの先碓氷峠に入っていく

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時刻はまだ5:26と街は眠りの中だった

格子戸のある家は 旅籠かぎや

現在は営業していませんが宿場往時の佇まいを色濃く残す代表的な建物

                肉眼では確認できますが、二階中央部にある「かぎや」と刻まれた看板が

                今も残っている。

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5:30  京側の出入り口 上の木戸跡

これで坂本宿は終わり この先碓氷峠に突入するが、この時間だから

こその心配がある。それは熊さんだ。日中ではハイカーが旧中山道を目指し

沢山の方が闊歩するだろうがこの時間は全くの皆無だろう

恐らく熊さんにとってもこの時間帯は絶好の行動時間の筈 それなのに熊除けのグッズ全て車に忘れ

てきていた事を悔いたがもう後には戻れない。

先に進むだけだ

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旧街道は林道?ぽい小道を進むがこの先本当にこの道かと不安にもなった

5:33  地図  坂本浄水場


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5:34  地図

ここはどう考えても右折と判断が付く



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5:36  この草道には足が止まった

山道の基本事項  迷ったら元の位置まで戻るを唱えながらの行脚となっ

ていた

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やっと看板が現れたが、お願いだからもっと小忠実に看板取り付けてくだ

さい。現実この先分岐点で違う道に歩を進めることになってしまうとは今は

知らなかった

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辛うじて木の階段と解る旧街道。

看板があってこそのこの山道 もし今まであの道しるべが無かったと思うと・・・

きっとあの給水塔まで引き返していただろう道だった


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5:38 再び国道に出たと思ったらここが碓氷峠登山口

いよいよ本番だ だが今までの一瞬のプロローグは、結構堪えたと言っても

体力では無い。小心者の心に影を落としたほど精神的に疲れた

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息を整え 気を張り 身支度を調え いざ出陣だ

5:40  標高約650m  距離7粁 頑張ろう



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すると『安政遠足』なる看板が出現

安政遠足(あんせいとおあし)とは、安政2年(1855年)、安中藩主板倉勝明が藩士の鍛錬のため、藩士96人に安中城門から碓氷峠の熊野権現神社まで走らせた徒歩競走。

この時の時間や着順は、1955年(昭和30年)年に碓氷峠の茶屋で発見された『安中御城内御諸士御遠足着帳』に記されているものの、これは走者に意義を持たせることが目的で、順位やタイムは重要視されていなかった。ゴールした者には餅などがふるまわれたという。安政遠足は、日本におけるマラソンの発祥といわれ、安中城址には「安中藩安政遠足の碑」と「日本マラソン発祥の地」の石碑が建てられている。

当時は碓氷峠で中間ラップが聞かされた。峠を越えた後は登山道に入り、総走行距離は30キロメートル程度ながら最終的にスタートとゴールの標高差は1000メートル以上ある。

この旧街道を走るマラソンだったのかご苦労さん ご苦労さん

でもね この安政遠足には名物?があって半数以上の人が仮装して走るらしい・・・は、興味がある

2014年は5月11日に終えていた
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九十九折りの道に加え急坂の連続に少しバテ気味だが、本日岩村田までの予定

ペースを落とすわけにはいかない

6:00 柱状節理群に到着  ケルンがあったのでその天辺に小石を載せ道中安

DSCF6513全を祈願した

石塔群が近くにあったが ここ刎石(はねいし)坂は辛い。勾配が半端じゃない

だが 木陰の中と早朝の時間帯で気温が低かったのがせめてもの救いだった



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碓氷峠の中で一番のチェックポイント 覗 に着いた  6:06

ここからの坂本宿の全容が見える姿は圧巻そのものだった




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恐らく江戸時代から今も続く眺望の良いポイントとして旅人に愛されたのだろう

登山口からこの覗きまでは急坂の連続で、へとへとだが、ここから先は平坦な

道が暫く続く


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6:08  風穴

空気の流れが感じられなかった




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急勾配の際は、余計なことを考える余裕は無いがこうして道が緩やかになると

余裕が生まれてくる。すると封印されていた熊のことを思い出してしまった。

以前安比温泉に行く際に住民に教わった熊除けをここでも実施していた


手を叩いたり 知っている浪曲や浪花節を大声で叫んでいた

これを聞いた熊だけじゃ無くてもお化けも逃げて行くに違いない


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弘法大師が水に困っている民にここを掘れば水が出ると教えた『弘法の井戸』

弘法大師も色々なところに出てくるな。高校生時代原付で下総から四国一周

に行った際、八十八ヶ所巡礼では同行二人といい常に御大師様と一緒・・・と

言う意味で旅をしていた

久しぶりに調べたら 弘法大師=空海 774年生まれ・・・・

おいおい五街道が整備されたのは江戸幕府の時代 徳川家康の命令で整備が始まったものだ

約900年後の話で何で出てくるんだ

おかしいだろう

話を戻そう

今も井戸には水が満ちていて 傍らに置いてあった柄杓で水を汲むことが出来た

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四軒茶屋跡  6:16

刎石の漢字がやっとこの看板にふりがながあり読めた

調べると『刀で首を切り落とす。「首を―・ねる」』の刎ねるだって・・・

                良かった今初めて知って。山中だったならちょっと怖かった

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碓氷坂の関所跡  昌泰2年(899年)?またまたおかしな年号が出てきた

こんな大昔に関所があったのかな




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6:16  坂本宿から2.5粁 熊野神社まで6.4粁

坂本の本陣出たのが5:25と約50分掛かった。恐らく熊野神社には8時半頃に

着くだろう(着くと思う)


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歩いていると妙な光景に目が止まる

昨夕は、群馬県は雷雨に見舞われ激しい雨が降ったが、今こうして足元を見れ

ば落ち葉の中を探ったような痕跡が残っている。夕立後は雨が流れて綺麗に整

地されていなくてはいけない


信じたくは無いが 熊が落ち葉の中の虫や餌を探したような跡だ

いや熊じゃ無くても鹿や猪でも同じ事だ  やっぱり何かいるんだこの山にはで更に恐ろしさが襲いかか

ってきた

うわ~~~~~~~くわばらくわばら 南無阿弥陀仏 悪霊退散  

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木立のトンネルになり不安感が癒えたと言うより走って疲れた

若竹色の木立に暫し心を整えることが出来た

癒やされるね翠色というのは


最近好きな色は黄色 このカメラを選ぶに当たっても黄色にしていた

あなたが選んだ色は イエロー です。

あなたはとても好奇心が旺盛で、さまざまなことを体験してみたい、という欲求を持っているようです。自立心が強いので、理想の自分を思い描いては、「こんな生活がしたい」「自分はこうありたい」と思うことが多いでしょう。また実際に、そうなるための勉強や努力を続けていくことも欠かしません。また、自己アピールが上手で、どこへ行っても「自分の役割」をすばやくまわりの人たちに知らせることができるでしょう。そんな明るさと自己実現能力を持っているあなたですが、時に「本当にこれでいいのかな?」という考えにとらわれて、不安に駆られたり、神経質になったりすることがあるかも知れません。それは「完全に成し遂げたい」という思いがベストな回答を徹底的に求めるため、かえって優柔不断になったり、迷ったりさせるのです。

どうも神経質になりすぎたり、臆病になったりするときは、ポイントメークにホワイト系のカラーを取り入れてみてください。ホワイトはさまざまな色に変わることのできる無垢な色で、複雑に入り組んだ思考を一旦、リセットしてくれる力を秘めています。「なにがベストなのかわからない!!」と感じたときは、ホワイトをアイメークのベースにしたり、フェースカラーのハイライトとして使ったりすることで、モヤモヤした感情をきれいに吹き飛ばせるでしょう。

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7:18  山中茶屋跡  説明板を読めば学校まであったの?

昔は里だって人口が少なかった時代にこんな山奥で何していたの

もしかしたら林業かな 毎日里まで下りていられず山中で暮らしていたんだ


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屋久島でも同じように山奥に学校跡があったな  地図






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7:20 暫く歩くとコンクリ擁壁が現れた。U字溝も埋設??

何でこんなところに

なんだか不思議な空間に迷い込んだ気がした碓氷峠。


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もしかしたらタヌキに化かされているのかな

山中坂  7:22



  
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駄目だ やっぱり熱があるみたいだ

大型廃バスがあるじゃないか  どこから来たんだよ

どう見てもこの山中に大型バスが走れる道なんて無い

                やっぱりタヌキだ いやキツネだ 恐らくもうすぐ美人が現れるはずだ
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そしたらきっとしっぽが生えているか 頭に葉っぱが乗っているはずだ・・・・

いやだ~~~~ 助けてアンパンマン

するとバスが停まっていた敷地にリゾート施設風のコテージが建っていた


今こうして家に無事に帰っているが これが霧の中の出来事だったならと思うとぞっとしてくる


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7:32  陣場が原の追分

ここの分かれ道に中山道の看板が無かった

迷ったあげく 「安政遠足」方面へ進んでしまった


それでも無事熊野神社に辿り着けることは出来るが、もう少し標識をしっかり整備して欲しい

ipad電波届かなかった

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7:52  車通行止めの看板

坂本宿に向かって撮った画像




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7:53  峠林道に出た

中山道の看板が無い 右、左どっちと言うよりも感覚で左と解った




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8:04  道が合流する地点がありそこに掲げてあった看板見て唖然とした

そこには合流する道が『中山道』と掲げてるではないか

そうかあの陣場が原追分で間違えたんだ


無事合流できたことに安堵したがもし違う方向へ行っていたらと思うと・・・ 

やっぱりタヌキの仕業だったんだ  ばっか野郎