2014.06.07

江戸時代の五街道の一つの中山道。江戸日本橋か
ら、上野、信濃、木曾、美濃、近江を経て京都の
三条大橋まで、135里32丁(約534km)で69宿あ
り、草津宿で東海道と合流します。滋賀県の中山
道宿は、草津宿まで9宿あり、この鳥居本宿は江戸
より63宿 117里34町(約468km)京へ17里24町
(約70km)の場所にあります。
『歩いていこう旧中仙道五十六次』高速道路料金
が来月から割引率が少なくなるため今のうちに、
遠方の宿場間を歩いていたが、いつも適度に見つ
かるコンビニが関ヶ原から鳥居本間では見付けら
れず、空腹に耐えられず歩を進めることが出来な
るアクシデントが起きていた。(実際にはセブン
イレブンが米原市一色にあったが気がつかなかっ
た)
まだ1時を回ったばかりで、高宮宿までは6粁の行
程だが、ちょっと大回りになるが幹線道路を行け
ばコンビニかレストランがあるはずとたかをくく
っていた、何はともかくまた徘徊を再開したので
あった。

DSCF6375合羽所 松屋さん 地図
「松屋松本宇之輔店」は
昔そのままに、屋根の上
に看板を掲げて現在に至
っています。鳥居本の合

羽は、とても旅人に人気があったそうで、防水性
、耐久性、保温性の優れていたらしい。享保5年
(1720年)馬場弥五郎が創業したことに始まる「
鳥居本合羽」は、雨の多い木曽路に向かう多くの
旅人が買求め、文化・文政年間には15軒の合羽所
がありました。この宿場では虫籠窓(むしこまど
)の造りの家が見受けられた。この後 国8を歩い
ていたら急激な通り雨に襲われ、雨の合間を縫っ
てトラックステーションなる休憩施設にたどり着
いたが、地図 食堂は閉鎖状態に張り詰めていた
糸が切れたのが解ったほど落胆した。以前他所に
ある同施設には食堂が併設されているのを知って
いたから尚更だった。通り雨も上がったが、もは
や先に進もうとする気力は失せ、最寄り駅に戻っ
てしまった。

DSCF6376滋賀県彦根市鳥居本町に
ある近江鉄道本線の駅が
鳥居本駅(とりいもとえ
き)。13:38到着 昭和6
年3月15日、米原駅〜彦


DSCF6377根駅間の開通に伴って、
鳥居本村の玄関駅として
開業した駅で、開業当時
の駅舎が現存し、独特の
腰折れ屋根を持つ洋風建

DSCF6378
築が特徴である。国の登
録有形文化財に指定され
、近畿の駅百選に選定さ
れていた。鳥居本駅に近
い鳥居本宿(とりいもと

じゅく)は、中山道六十七次で、江戸から数えて
63番目の宿場町で、往時の宿場の雰囲気が少しだ
け残されています。東海道線が離れたところに開
通したため、繁栄から取り残されることを危惧し
、近江鉄道が米原駅〜彦根駅間開業時に、請願し
て鳥居本駅が誕生し、このようなケースは、東京
でもありJR中央線の恩恵を受けなかった旧甲州街
道の府中や調布の町々を通す目的で作られた京王

DSCF6379
線と似ていた。そうした
鉄道開業に伴い、洋風の
イメージで建てられたの
が現存する駅舎なのです。
次の列車は14:06 米原行

DSCF6380
ほぼ定刻・・・・おおお
お!この列車見たことが
ある、あれは東海道五十
三次を歩いている際に大


津市にある「唐橋前駅」だ、あそこの路線は、確
京阪電車だったはずで、近江鉄道では無かった
不思議だな。


DSCF6381JR大垣駅まで戻ってきた
。やっぱりマイカーを使
った『歩いていこう旧中
山道五十六次』はいいね
。完全歩き旅では、恐ら

DSCF6382く寄り道らしい寄り道は
してないというより、足
が痛くて出来ないし行わ
無いとおもう。その点車
に戻ってしまえば温泉だ

ろうが名所旧跡どこにだって行ける。また今回
のような地元列車にも乗れる。運転するのが苦
でなければマイカー利用街道歩きを拙者はお勧
めする。大垣駅のことを調べてみれば、大垣駅
はJR東海道本線と美濃赤坂支線、樽見鉄道、
養老鉄道が発着するターミナル駅で、その

が開業した1884年では、東京と大阪の2大都
市を結ぶ大動脈の東海道本線はまだ全通して
いないとき大垣駅に線路を延ばしたのは福井
県の敦賀方面からの路線であった。
日本海側
の主要都市だった敦賀には、ロシアや中国に
渡る航路が開かれていた。当時の日本におい
て、敦賀は日本海側の重要な都市として位置
づけられていた。日本海と東海道とを結び付
ける大垣駅は、人の流れや物流網にとっての
「扇の要」としての役割を期待された。
長浜
駅から関ケ原の急勾配は当然ながら難工事に
なり工事には約1年を費やしていた、
大垣駅
に車両基地が開設されたことで、大垣は鉄道
の街として発展し、関ケ原という難所を越え
るには、蒸気機関車の時代は補機を連結しな
ければならない
ため、大垣駅には長い停車時
間が設けられ、その停車時間が旅館や食堂、
駅弁販売店などを誕生させるきっかけになり
、大垣駅前の店は繁盛するようになった。

DSCF6383美濃赤坂駅行き電車。
米原からsuicaで乗ったら
美濃赤坂駅は無人駅だっ
た。その為、一時的に現
金払いしsuicaは使用不能


DSCF6384DSCF6385







となってしまった。
美濃赤坂駅到着 15:32 今度はハンドルに持ち
かえて今歩いた道を今度は、車で辿り鳥居本駅ま
で向かおう。その途中寄りたいところがあった。
それは雨宿りした際に教えられた名所 醒井養鱒
場であった。
この記事は 道草リストで掲載いたします

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

そういえば 14時の列車に乗ってから現在17時の
今、3時間の休息になったため足と気力は復活し
ていた。

DSCF6389鳥居本駅駐車場に車を駐
め高宮宿まで再び歩き始
めた。虫籠窓や卯建があ
る古民家が多数ありとて
も趣があり好感が持てた

のも実際には、つかの間の出来事に過ぎなかった。

DSCF6390マンホール蓋考察では無
いが家庭用汚水升考察。
三島池かな?いや石垣も
あるから彦根城を表して
いるのだろう。


DSCF639117:10
この時間帯まで歩くのは
これで2度目 初回は
海道桑名の七里渡しまで

車で移動した後再び歩い


た。見よ 影武者の背が伸びている。

DSCF639217:26  地図
小野小町塚に到着、小野
小町に関係があるとか。
小野小町の父親とされる
小野小町塚小野美実が都

から出羽国(現在の秋田県、山形県)へ赴任する
途中に小野宿(滋賀県彦根市)で宿泊した際、宿
所にいた赤ん坊があまりにも可愛かったため、養
女として迎えたと伝えられています。地元に伝わ
る郷土芸能「小野町太鼓踊り」の中には、小野小
町が謡われており、この地を誕生と伝承が残って
います。『出羽郡小野美実(好美)は、奥州に下
る途中に、小野に一夜の宿を求め、ここで生後間
もない女児に出会った。美実はこの女児を養女に
もらい受け、出羽国へ連れて行った。この女児が
小町という。』小町塚には、『小町地蔵』として
親しまれてきた石仏(十五世紀後半の造仏)があ
ります。自然石を利用して、阿弥陀如来坐像が浮
彫りにされています。正面だけでなく、両側面に
も彫りこまれており、類例がなく貴重なものです。

DSCF6393鳥居本宿をはずれるとす
ぐに田園風景の中を進ん
だが、高速が迫ってくる
と山の傍らを進む道とな
った。

DSCF639417:36 名神道 彦根IC付
近 地図 この先街道に
面したコンビニが2軒あり
ます。



DSCF6395まもなく高宮宿にさしか
かるところです。





DSCF639618:06  高宮宿碑  
地図





DSCF639718:16 近江鉄道高宮駅に
到着。 地図 駅は本線
と多賀線の分岐駅でもあ
り、中山道の宿場町の駅
でもある、多賀大社一之

DSCF6400
鳥居門前にある高宮宿の
最寄駅である、2面3線
の地上駅。1898年開業以
来、長年使われてきた駅
舎は、2002年3月に地域

DSCF6398コミュニティセンター
併設の複合駅舎となって
いたが、ホームの上屋や
待合室は、往時のままの
姿を残している
。近江
線を始め近江鉄道各線は

地元住民から「近江ガチャコン」「ガチャコン」
と呼ばれている。

DSCF6399

120余年の歴史が刻まれた
開業時のままの三角ホー
ムは、哀愁さえ感じられ
る佇まいに実際には体験
はないが何か懐かしさを

DSCF6401覚える。嘗ては、多くの
参拝客で賑わった参道も
近年はとても静かになり
とても寂しそうであった。



DSCF6402電車で鳥居本駅に戻って
いるが、ああ 疲れた。
やっぱり2度歩きは疲れ
るね。早く風呂に入り汗
と疲れを流したい。

DSCF6403
彦根駅。近江鉄道の乗降
客はJRの1/10程度と少な
いのは、人口の少ない地
域を通過しているのもあ
るが、路線距離が短いの

DSCF6404もあるだろう。







★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

2014.06.08

『歩いていこう旧中仙道五十六次』高速道路料金
が来月から割引率が少なくなるため今のうちに、
遠方の宿場間を歩いている。前回は、武佐宿から
草津宿まで歩いているが、今日は高宮宿から武佐
宿までを午前中に歩こうと決めていた。今日は日
曜日、そうなればスケジュールはいつもと同じで
午前中のみ旧街道を徘徊しその後帰路に着く予定
であった。

DSCF6408高宮宿内を流れる太田川
は、ほたる舞う川らしい。
そのことを知っていたの
なら夜散策に来ていたの
に悔しい。

DSCF6409DSCF6410







DSCF6411多賀大社への最寄りの宿
場であり、多賀大社の一
之鳥居が昔も今も高宮宿
のランドマークである。 
  地図 ところで多賀大社

を調べると多賀町多賀にある神社で、伊邪那岐命
(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の2柱を
祀り、古くから地元民からは「お多賀さん」とし
て親しまれた。「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊
勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度
お多賀さまへは月参り」との俗謡もあるほど賑わ
う。「お多賀杓子(お-たが-じゃくし)」は「お
玉杓子(おたまじゃくし、玉杓子、お玉)」の語
源になったと考えられる。カエルの幼生「おたま
じゃくし」は、「お玉杓子」から派生した名称な
ので、「オタマジャクシ」の語源もまた、「お多
賀杓子」ということになる。後者のような言語的
変化は、形状の相似によると思われる。

DSCF6412福々タヌキ 地図 確か
に福に関する由緒はいい
が、修行の身の拙者にと
って感銘を受けるのは、
雨にも負けず 風にも負

DSCF6413
けず・・・文面だった。
まだ眠りの中の高宮宿だ
が、
天保14年(1843)の
記録によれば、町の南北
の長さ七町十六間(約800

m)総戸数835軒、人口3,560人、本庄宿に次ぐ中
山道第二の大きさで、本陣1、脇本陣2、旅籠数23
などの施設を持つ宿場で、多賀大社への門前町と
しても賑わい、特産品として、室町時代から全国
的に有名になっていた高宮上布の集散地として、
豊な経済力を持っていました。

DSCF6414
細い街道筋に松尾芭蕉の句
碑、無賃橋など当時を偲ば
せる風景が残っている。商
店のシャッターには、『木
曽海道六拾九次之内 高宮』


DSCF6415
と書かれていた。脇本陣跡
の左先に立派な門構えが見
えるが、ここは
「小林本陣
跡」で「本陣門」のみが往
時の姿を今に伝えている。

日本橋から数えて64番目の宿場であった。