2014.4.26

『歩いていこう旧中山道五十六次』 初日無事板橋宿まで着いた

約5ヶ月ぶりの超々長距離の徘徊もまだまだ足に限らず心身と気力も平素そのものだった

気がかりはやや時間が遅れ気味なところだけだった

遅れ気味の要因は解っている。途中で道を間違え大幅な遠回りと意外と多い道草施設だが、このような

施設は大歓迎でもあった。とかく軟調な街道歩き、たまにはアトラクションの一つでも無いとほんとに『つま

らない』言葉で簡単に片付けられるほどの道でもあったからだ
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板橋  板橋区名の由来とされる橋。 地図

そこには日本橋からの距離表示があった

二里二十五町三十三間だがメートル法では10.642kmであった

1里3927.27m 1間は約1.818 1818メートルである。60間が(「丁」とも表記する)となる。

つまり (2×3927.27m)+(25×60×1.81m)+(33÷60×1.81)=10.459km  183mの誤差があった
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志村一里塚にある斉藤商店  地図

創業明治22年の雑貨屋さん。

建物は昭和8年に中山道を拡幅する際に建て替えた。

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志村坂上交差点では赤矢印方面に進む




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清水坂  志村の一里塚を後にしてさらに進むと、中山道で最初の難所とされた急勾配である清水坂に入り、間もなくして相模大山へ向かうふじ大山道との追分に差し掛かる。 この坂道は左斜めに大きく湾曲していて、中山道中で唯一右手に富士山を望める名所として知られ、「右富士」と呼ばれていたがその姿は今では拝むことは出来なかった。  地図


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荒川に掛かる戸田橋 いよいよ埼玉県突入

この川も橋が架けられて居らず渡し船での往来となっていた

11:11

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埼玉県(武蔵国)上陸

風薫る五月と言いたいが、気温こそ23℃くらいだが日差しが強い

紫外線がMAX。UVカットは伯父さんにも必需品

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しみそばかすが怖いよ





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マンホール考察

これは一目瞭然 荒川でレガッタをする人々と桜草

これは綺麗だね

戸田市辺りは、開発のため旧中山道は分断されていた。

本来あるべきところにマンションが建っていたりとなんて嘆かわしい話だ

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さあ蕨宿入り口  地図

11:46



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歩き始めてすぐに側溝蓋に目が止まった

蕨宿をモチーフにしたデザインだ。これは期待できる宿かな

胸が微かに高鳴るのが解った

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マンホール考察

宿場をイメージさせる旅人を烏?にて比喩させた旅がらすを表現して

いるのでしょう

                烏は留鳥ですから、ほかのカラスの縄張りにいつまでもいることが出来

           ません。したがって、お尋ね者のやくざや宿無しのことをそのように呼んだのでしょう。

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また足元には中山道五拾六次 浦和宿の浮世絵がタイルにて埋め込めら

れていた。



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あれ大宮宿では無いの?これは上尾宿

でもいいや これは楽しい。今朝巣鴨とげ抜き地蔵商店街にも宿場絵図が

シャッターに描かれていたが、不鮮明でどの宿場か読み取れないところが

DSCF5627多数あった

鴻巣宿  やっぱり一個飛びでの掲示が続く




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宿場内の様子は車道は薄黄色に色付けされていてとても綺麗。

また歩道には宿場絵がタイルで描かれていて中山道の宿場を自治体が

しっかり守っている姿が感じられ好感が持てる

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深谷宿  

ふと対岸を見れば同じようなタイルがあるではないか。近寄ってみれば

順繰りの本庄宿のタイルがそこにあった。

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あ!もしかしたら歩道をジグザクに渡れば、順繰りの中山道五拾六次宿場絵が

掲示してあったのか。こんな簡単なことをどうして気がつかなかったんだろう

失敗 失敗  

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倉賀野宿  あれまた一つ飛ばした新町宿はどこだ





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板鼻宿 これまた一つ飛ばした。もう止めた六拾九宿はこれからのお楽しみ

として撮影するのをここで終えた



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道路拡幅から逃れ昔の面影漂う蕨宿

⑦本陣跡地かもう少しだ頑張ろう



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マンホール考察

消火栓 都内の消火栓は気にしていたがあまり良い出来では無かった



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11:55  江戸から2番目 蕨宿に到着  地図

隣には歴史民俗資料館があった

昔の佇まいを少しでも残そうとする蕨市に敬意を表す

また蕨市は全国の市の中で一番面積が小さいところも評価に値するね  頑張れ蕨市