2013.11.16



ついについにこの日が訪れたが、今は
この文句を書くときが来てしまった、
東海道五十三次最後の宿大津宿を過ぎ、
とうとう最後の区間三条大橋までとな
ってしまった。順調にいけば、いやこ
のままでは順調にいってしまい今日の
この日をもって『歩いていこう旧東海
道五十三次』は完結してしまうのだ。
日本橋を発つときは月ほどの距離に思
えた三条大橋が、今は目と鼻の先まで
の位置まで来ていた、嬉しいような寂
しいような複雑な思いが時々よぎりな
がらの区間となった。




DSCF4685そんな感傷旅
に埋没されぬ
よう触覚を四
方八方に張り
楽しみを見い



出しながらの道程になった。



DSCF4774早速見付けた
「小町湯」さ
ん。町の銭湯
だが、でも開
店は15時半と



言うことならもしかしたら夕刻入浴可
能かも、楽しみにしておこう 。地図 



DSCF4775上を京阪電鉄、
下をJRが交差
している地点。
地図





DSCF4777国道1号線486
kmポストを見
てマジ凄いと
思う。486km
って人間が歩




く距離じゃないよね。信じられないよ
ね。




DSCF4778ここは最後の
難所である「
逢坂(おうさ
か)」山城の
国と近江国を




DSCF4781分ける国境の
坂でもあった。
当時はもっと
急坂だったた
め荷車を引く




DSCF4780牛でさえ大変
苦労したそう
だ。







DSCF4779
東海道と東山
道(後の中山
道)の2本が逢
坂関を越える
ため、交通の




DSCF4782
要となる重要
な関であった。
その重要性は、
平安時代中期
(810年)以後



には、三関の一つとなっていた事から
も見てとれる。なお、残り二関は
不破
関と鈴鹿関であった




DSCF4783歩いていると
【日本一のう
なぎ かねよ
と看板が出て
いてとても気



になった。大津宿でうなぎを食べ損な
っていたから尚更だった。時刻もちょ
うど正午を過ぎたばかりで、ここでう
なぎを食べていこう。




DSCF4791ショウケース
のサンプル見
てピンと来た、
この店以前秘
密のケンミン



SHOWで取り上げられた滋賀県のお店
だ。内容は『うなぎの蒲焼きに厚焼き
玉子が載っている・・・』内容で何時
か行ってみたいと思っていたお店でも
あった。明治5年に創業されたうなぎ料
理の銘店「逢坂山かねよ」。大正時代
に童謡詩人の野口雨情氏から「鰻料理
は 逢坂山の ひびくかねよか 日本一」
と詠われたことから、「日本一のうな
ぎ」が逢坂山かねよの代名詞となって
います。


店名:逢坂山かねよ

全国タマゴ祭り BEST10の発表。第6位
は大津市に住む滋賀県民が大好きな、
うな丼に巨大卵焼きがのったきんし丼。
きんし丼は逢坂山かねよなどで食べる
事ができる。 地図

秘密のケンミンSHOW 2013年9月12日

滋賀県・大津市にある、明治5年創業の
うなぎ料理店。局地的トレンド「きん
し丼」が大津市で大ブレイクしている
ということで紹介されていた。
<紹介されていたメニュー>
・上きんし丼(1940円)
秘密のケンミンSHOW 2010年2月4日




DSCF4784ここで食事す
ることに決定
し、注文は特
上きんし丼 
3300円





DSCF4786DSCF4787DSCF4785










DSCF4788出た~これが
TVで見たもの
か、でもうな
ぎの方は艶が
ないな、大丈



夫かな。昨今うなぎの稚魚しらすうな
ぎが全然捕れなくてうなぎが絶滅危惧
種に指定されたばかりだった。それを
食べるのだからひどいもんだね。うな
ぎを一口 ・・・普通のうなぎかな。
サラサラのうなぎのたれはうなぎにか
けても流れ落ちていくだけで、絶段旨
いって程じゃない。厚焼き玉子も味付
けはもちろん関西風のだし巻き仕上げ
で、関東人の拙者とすればちょいと物
足りない味付けとなっているの排他し
かないところだ。



DSCF4789確かに玉子3個
は異様だが、
もう少し白醤
油と砂糖を加
えた甘いタイ



プが好きだ。うなぎにはやっぱり錦糸
玉子の方が合うと思うのは拙者だけで
は無いはずだ。



DSCF4790でもきっちり
完食。ご馳走
様でした。







BlogPaintこんな看板あるのを
後で知った。迂闊だ
った残念無念。







DSCF4792食った食った
腹が一杯にな
って更に元気
になったゾ。
足も痛くない



このまま一気に三条大橋へまっしぐら。
実は真っ直ぐではなくこの陸橋を降り
てきたところだった。京阪電車がこの




DSCF4793逢坂を登って
いく。もっと
苦労して登っ
ていくと思っ
たら案外楽そ




うにス~と登って行ってしまった。低
速ギアでゆっくりと思っていたから吃
驚した。



DSCF4794旧東海道はこ
こで国1から離
れ本来の静か
な東海道へ戻
っていった。

地図



DSCF4795旧東海道はこ
こで再び国1に
分断されてい
た為歩道橋を
渡り対岸へ移



動する。地図



DSCF4796DSCF4797









とうとう京都市に入ってしまった。





DSCF4798DSCF4799








今日はここ(旧東海道)三条街道でイ
ベントが開かれていて、その名は三条
街道福巡りスタンプラリーだって。



DSCF4800イベントでは、
誰だろう漫才
らしきものが
演じられてい
たが全くと言



って面白くない。



DSCF4801ちんどん屋も
出ていたが可
愛いお嬢さん
達が演じるち
んどん屋さん



は、妙に可愛かったな。




DSCF4802この絵は通っ
てきた大津宿
の絵で、大津
絵と言い、大
津絵とは、今




からおよそ340年昔(江戸初期)、東
海道五十三次の大津の宿場(大津の追
分、大谷)で軒を並べ、街道を行き交
う旅人等に縁起物として神仏画を描き
売ったのがその始まりです。




DSCF4803再び旧東海道
は細い路地へ
入っていった。
地図 先方に
目をやれば急




坂がこの先待ち構えているが、もしか
してあそこ通るのかな。




DSCF4804その不安は的
中してしまっ
た。てっきり
逢坂が最後の
難所とばかり



と気が緩んでいたところに現れた坂は
予想以上に手強かった。坂を登るとこ
のような旧東海道の面影漂うと言って
も当時は唯々雑木林か藪の中の道で現
在の開発から逃れた道ですら昔に比べ
たら立派な道になっているのだろう。




DSCF4805ここでまた峠
道らしい上り
坂に出くわし
た。地図 モ
ニュメントと



して当時の荷車が展示されていた。そ
してその車輪の轍は車石と言われ皆が
同じ轍を通過し深く削られていた。



DSCF4806舗装道路のな
い当時の大変
さが大いに感
じられる。こ
れで雨でも降



ったならば滑って危険なこと極まりな
い。当時を忍ぶ貴重な資料だと思いま
した。



DSCF4808一切経谷町の
難所を過ぎる
と町は一気に
京都の町並み
に変わってい



った。街道の街路樹も真っ赤に色付き
秋真っ盛りだと言わんばかりに感じら
れ、特に地下鉄東西線蹴上駅周辺から
これぞ京都と思わせるほどの観光客で
賑わっていて皆動物公園を目指してい
るようであった。



DSCF4810ここから三条
大橋までの道
には沢山の観
光客に混ざっ
て歩きとなっ



た。久しぶりだな雑踏の中を歩くのは、
今回の東海道五十三次は皆が眠りから
目覚めるころより歩き始め午後3時頃
には歩くのを終えていたため人混みの
中を歩いた記憶がない。まして旧東海
道は開発に免れているとことは鄙びた
道となり開発された道は交通量の多い
幹線道路に変貌し、共に人が好んで歩
くような道ではなく常にひとり寂しく
歩を進める道すがらでもあった。




DSCF4811さすが秋の京
都は人気が高
いことを実証
出来るほどの
人混みでもあ



った。



    
DSCF481214:39 三条大
橋に到着 江
戸から512粁。
18日間掛かっ
てようやく成




し遂げた快挙でもあった。今こうして
思えばTV東京の『YOUは何しに日本へ
』を見て外人が大阪から東京まで歩い
ている姿に拙者でも出来るのだろうか
で始まった『歩いていこう旧東海道五
十三次』6/22江戸日本橋を早朝に旅立
ってから週末だけを使い半年の歳月で
やっと三条大橋にたどり着いた。たま
たま歩いた日は曇りが多かったがそれ
でも大量の汗に皮膚に炎症(汗疹)が
起きたほどだ。また休養日に献血しに
出掛けるとヘモグロビンは規定値以下
で献血が出来なかったこともあり、係
の方から“何か大汗をかきましたか?” 
“思い当たる節があります”と答えていた。
◆歩いたことない人から東海道五十三
次歩いて何か楽しいことある?と聞か
れたら『歩いていて楽しいことは何も
ない、でも歩けて(歩いて)ほんと良
かったと思っている。これは歩いてみ
れば解ることなのだ、歩かなければ解
らないことでもある』上手く表現出来
ないが自分の中でまた一つ『やれば出
来る。 困難でさえ1歩1歩の積み重ね
があれば克服出来ることを教わった』
ような気になった。ひとりでカナダへ
行ったり台湾へ行ったりもした。これ
でまた一つ視野が広がったような気が
する。将来はニューヨークへ行き現地
で3ヶ月くらいアパートで暮らしてみた
い。何をするという訳ではないが郷に
は入れば郷に従う生活を送ってみたい。




DSCF4813三条大橋を渡
り対岸へ来て
みれば弥次喜
多の像があっ
たがいくら探




せど東海道五十三次の終点の碑は見つ
けることが出来なかったと言うよりそ
んなもの無いのかも知れない。現代人
にとってそんなの関係ないのだろう。




DSCF4814この三種の神
器もこれが最
後の写真とな
るだろう。長
いことありが




とう助かったよ。これで歩いていこう
旧東海道五十三次は終えるが道草編は
もう少し続きます。お楽しみに。
最後に東海道五十三次を歩いてほんと
良かった、歩ける体をくれた母に感謝
ありがとう。