2013.11.03
11月の3連休も 『歩いていこう旧東海道五十三次』に出掛け2日目が始まろうとしていた

今日は 関宿から一気に鈴鹿峠越えを狙っているが天気予報では夕刻から雨
予報
出来ることなら雨に遭わないうちに目的地に着くのが理想だがうまくいくかな。
そんな心配するより早く徘徊を再開しよう

水口宿本陣到着 まだまだ明るい空模様 もう少し降るまで時間が掛かりそうで助かる

三筋 石橋を境に、東側は道が三筋に分かれた宿場町、西側は水口城の城下町
で道が鍵の手になっていた。

水口宿界隈
当時の面影って 当時って何時のこと。そんなことどうでもいい森閑な佇まいを感じ
る町並みにうっとりしてしまう



これは絡繰り時計でした

綺麗だね
花を愛でる気持ちに・・・
本当はこの歩いていこう旧東海道五十三次で拙者に足りなかった花鳥風月の心を
開花させたかった
長田屋の曳山?

ここで金物屋さんにて変なもの見付けた
『ちりとりまな板』?
ザクザク切った食材を片手でちりとりの様に持ったまま、お鍋やフライパンにGO~。
でも使い勝手悪そうなんだけど
マンホール蓋考察
色が付いたがなんのマークをあしらったのか解らない

米屋町 地図
本来の今日の目的地がすぐそこにあった
それは近江鉄道 水口石橋駅。なにしろ車を駐めたJR関駅まで戻ることを考えると
終着地点は自ずと駅になる

現在13:22、取りあえず駅まで行ってみて様子を見てみることにした
そこは無人の駅でとても寂れていて、確かに知らない水口の町だったがもっと賑や
かな町を想像していただけにギャップが激しかった

ギャップが激しかったのは駅もそうだが鉄道もそうだった
駅舎はどう評価しても無味乾燥としか言いようがない
趣もなければ味毛もない

確かにここで終える予定だったがこんな駅では気にそぐわない
時刻はまだ1時半と言うことで急遽予定を変更、それと待ち時間が30分もあったた
め再び歩くことに決めた
5.5粁先にあるJR三雲駅。JR同士なので運賃が割安もあるが乗り継ぎが便利と
此の上え無い目的地でもあった
どうぞこのまま雨が降ってきませんように・・・



小坂町
交差点には力石が置かれていた

五十鈴神社近くの看板
13:42

人々は、山や川原で手ごろな大きさの石を見つけて村に持ち帰り、力石とした。重さ
が異なる石を複数用意することが多かった。置き場所は神社や寺社、空き地、道端
、民家の庭など様々であったが、若者が集まるのに都合が良い場所であった。

まさにここは道端と言うより交差点だった
ああ降ってきてしまった。まだ駅までは3余粁はあるだろう
この程度なら我慢出来る。リュックの中は濡れ予防のため全てがビニール袋の中
へ入れているため心配はいらないが、唯一困るのが靴だけだった
今まで歩いてきたが 意外にも天候に恵まれていた
唯一傘を差したのが箱根関所周辺のごく短時間と今の瞬間だけで後は曇りが多かったな
雨にも負けず風にも負けず・・・宮沢賢治の詩
雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち 慾はなく 決して怒らず
いつも静かに笑っている 一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べあらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かりそして忘れず野原の松の林の陰の小さな萱ぶきの小屋にいて東に病気の子供あれば
行って看病してやり西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い南に死にそうな人あれば行ってこわがらな
くてもいいといい北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい日照りの時は涙を流し寒さの夏はお
ろおろ歩きみんなにでくのぼーと呼ばれ褒められもせず苦にもされずそういうものにわたしはなりたい
雨にも負けずは・・・雨には今まで縁がほとんど無かった
風にも・・・比較的穏やかな日が多かったな
雪はない
丈夫な体・・・ 確かに丈夫かも知れない。遊びとなるとどこからか知らないがスーパー体力が漲る
翌日の仕事は休まず皆勤賞。ただし休日の疲れを平日で取っていた。
慾はなく・・・欲か? もしかすると欲の塊かも知れない
決して怒らず・・・東海道五十三次に住民や自治体がこんなにも関心がないものかと時々怒っていた
いつも静かに笑っている・・・一人歩きで夏の炎天下の中、にたにた笑っていたら変人扱いされるから気を
つけていた。意外と歩いている最中は無心でもあった。
夏の日照り・・・には参った!ヘモグロビンが規定値から外れ献血が出来ず、汗のかきすぎによる皮膚の炎
症で医者に患わる
東海道を歩いていると言えば・・・みんなから白い目で見られたり嘲笑されたりと愚弄扱い。そんな中時々出
会う同志が堪らないご褒美でもあった
でも拙者はそんなことしている自分が好きだ
そんな好き勝手が何時まででも続けられているわたしになりたい(いたい)

小雨が降りしきる中 黙々と歩き続ける

横田渡し跡 14;24 地図
横田渡
11月の3連休も 『歩いていこう旧東海道五十三次』に出掛け2日目が始まろうとしていた

今日は 関宿から一気に鈴鹿峠越えを狙っているが天気予報では夕刻から雨

出来ることなら雨に遭わないうちに目的地に着くのが理想だがうまくいくかな。
そんな心配するより早く徘徊を再開しよう

水口宿本陣到着 まだまだ明るい空模様 もう少し降るまで時間が掛かりそうで助かる

三筋 石橋を境に、東側は道が三筋に分かれた宿場町、西側は水口城の城下町
で道が鍵の手になっていた。

水口宿界隈
当時の面影って 当時って何時のこと。そんなことどうでもいい森閑な佇まいを感じ
る町並みにうっとりしてしまう



これは絡繰り時計でした

綺麗だね
花を愛でる気持ちに・・・
本当はこの歩いていこう旧東海道五十三次で拙者に足りなかった花鳥風月の心を

長田屋の曳山?

ここで金物屋さんにて変なもの見付けた
『ちりとりまな板』?
ザクザク切った食材を片手でちりとりの様に持ったまま、お鍋やフライパンにGO~。

マンホール蓋考察
色が付いたがなんのマークをあしらったのか解らない

米屋町 地図
本来の今日の目的地がすぐそこにあった
それは近江鉄道 水口石橋駅。なにしろ車を駐めたJR関駅まで戻ることを考えると
終着地点は自ずと駅になる

現在13:22、取りあえず駅まで行ってみて様子を見てみることにした
そこは無人の駅でとても寂れていて、確かに知らない水口の町だったがもっと賑や
かな町を想像していただけにギャップが激しかった

ギャップが激しかったのは駅もそうだが鉄道もそうだった
駅舎はどう評価しても無味乾燥としか言いようがない
趣もなければ味毛もない

確かにここで終える予定だったがこんな駅では気にそぐわない
時刻はまだ1時半と言うことで急遽予定を変更、それと待ち時間が30分もあったた
め再び歩くことに決めた

此の上え無い目的地でもあった
どうぞこのまま雨が降ってきませんように・・・



小坂町
交差点には力石が置かれていた

五十鈴神社近くの看板
13:42

人々は、山や川原で手ごろな大きさの石を見つけて村に持ち帰り、力石とした。重さ
が異なる石を複数用意することが多かった。置き場所は神社や寺社、空き地、道端
、民家の庭など様々であったが、若者が集まるのに都合が良い場所であった。

まさにここは道端と言うより交差点だった
ああ降ってきてしまった。まだ駅までは3余粁はあるだろう
この程度なら我慢出来る。リュックの中は濡れ予防のため全てがビニール袋の中
へ入れているため心配はいらないが、唯一困るのが靴だけだった
今まで歩いてきたが 意外にも天候に恵まれていた
唯一傘を差したのが箱根関所周辺のごく短時間と今の瞬間だけで後は曇りが多かったな
雨にも負けず風にも負けず・・・宮沢賢治の詩
雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち 慾はなく 決して怒らず
いつも静かに笑っている 一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べあらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かりそして忘れず野原の松の林の陰の小さな萱ぶきの小屋にいて東に病気の子供あれば
行って看病してやり西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い南に死にそうな人あれば行ってこわがらな
くてもいいといい北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい日照りの時は涙を流し寒さの夏はお
ろおろ歩きみんなにでくのぼーと呼ばれ褒められもせず苦にもされずそういうものにわたしはなりたい
雨にも負けずは・・・雨には今まで縁がほとんど無かった
風にも・・・比較的穏やかな日が多かったな
雪はない
丈夫な体・・・ 確かに丈夫かも知れない。遊びとなるとどこからか知らないがスーパー体力が漲る
翌日の仕事は休まず皆勤賞。ただし休日の疲れを平日で取っていた。
慾はなく・・・欲か? もしかすると欲の塊かも知れない
決して怒らず・・・東海道五十三次に住民や自治体がこんなにも関心がないものかと時々怒っていた
いつも静かに笑っている・・・一人歩きで夏の炎天下の中、にたにた笑っていたら変人扱いされるから気を
つけていた。意外と歩いている最中は無心でもあった。
夏の日照り・・・には参った!ヘモグロビンが規定値から外れ献血が出来ず、汗のかきすぎによる皮膚の炎
症で医者に患わる
東海道を歩いていると言えば・・・みんなから白い目で見られたり嘲笑されたりと愚弄扱い。そんな中時々出
会う同志が堪らないご褒美でもあった
でも拙者はそんなことしている自分が好きだ
そんな好き勝手が何時まででも続けられているわたしになりたい(いたい)

小雨が降りしきる中 黙々と歩き続ける

横田渡し跡 14;24 地図
横田渡
- 高さ10.5mの巨大な常夜灯があり、史跡公園として整備されている。
かつては仮橋あるいは船での渡りだった。
現在の、甲賀市と湖南市の境目あたり。
14:55 JR草津線三雲駅到着
駅に着く前 駅前に唯一の寿司屋発見。今から関駅まで戻り再びここまで
車で戻ってくるが今夜の宴は寿司屋に決定。JCBも使えることリサーチ済み
ここから柘植駅まで行き関西本線に乗り換えて関駅へ向かう予定
柘植駅では乗り換え1分と言うことでちょっと心配だが頑張るしかない
いよいよ列車がホームへ滑り込んできた
明日はここからスタートするのだが雨が心配
大雨なら中止もあり。でも予想では朝方までですぐに晴れるって
そうなることを祈り電車に飛び乗った
草津線は電化されていたが関西線は非電化線
加太駅より柘植駅方向に約4.6kmにある信号場である。「加太越」と呼ば
れる柘植駅方向に25パーミル (25/1000) の上り勾配上にあり、スイッチ
バック式となっている。(画像と文は無関係)
此の関西本線は揺れる揺れる
久しぶりに電車に乗っていてこんなに揺れる体験は・・・
17:02 関駅到着
こっちは雨が降っていなかった
車に乗り換えて 朝歩いた鈴鹿峠を越え土山へすると土山マラソン帰りの
渋滞にはまるが 旧東海道を歩いたためそこが抜け道として使えることを知っていたためすんなり渋
滞回避出来た。これも日中歩いた成果だった
水口では銭湯に入りたい湯があった
それは清水湯と言う銭湯 頑張って行ってみよう
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
2013.11.04
11月の3連休も 『歩いていこう旧東海道五十三次』に出掛け3日目が始まろうとしていた
昨晩は三雲駅前にある寿司屋さん『すしふじ』さんで晩飯を食べた
客は拙者のみで地元に精通しているお店だけあって色々な話を聞けた
話の内容はこれから順繰り書くとして昨晩は結構雨が降っていて今朝の空模様が気になっていた
現在6時 まだ小雨交じりの天気だがこれから回復傾向と言うことで行けるとこまで
頑張ってみようと徘徊を開始した
昨晩の『すしふじ』さんの話では この旧東海道沿いの家は昔の旧家=広大な土地
を持っている。国1沿いの大型店舗や大企業に土地を売って現在土地成金が沢山居
るそうだ
まず家の造りが違う 外観は一条瓦を使用した大豪邸 車は皆高級車 中でも息子が乗る車は派手らしい
ベルファイアやレクサスは当たり前らしい 5人住居なら車は軽トラを入れて6台はある
そんなことで街道の両側の家を見れば それらしい家が何軒もあった
まさか写真に撮ってupは出来ないが凄い家に高級車がずらりに家があった
どうぞそんなどら息子がまっとうな人生を送れる・・・いけね貧乏人の僻み根性が
出てしまった。拙者も人の親。子には苦労させたくないがやはり苦労をしないと人
の痛みなどわからないと思う
土地を売って得たお金はいずれ無くなる
そこの息子達お金無くなったらどうすんだろう
霧雨は降っているが傘を差すまでもなかった
常夜灯に灯が入っていた 当時は人口のあかりなど何にも無い
夜は月明かりのみこんなか細い灯りでも旅人にとっては貴重な灯りだったのだろう
ましてほとんどが山道 灯りがともっているところに人家がある訳で 時には命拾いの灯りでもあったのだろう
三雲城址公園近くのおもてなし処 今年の流行言葉だね お・も・て・な・し
6:12 この近くにトンネルがあった
旧東海道五十三次では初めてのトンネルだった
どうもこのトンネルの上に川が流れているらしい
天井川かな? 地図
もう1カ所トンネルがあった 6:32
当初のトンネルと同じみたい 通り過ぎてから振り返ったところです
地図
マンホール蓋考察
消火栓用デザインだが消防士も描かれている
これは初お見えかな 消防車だけよりこっちの方がいいね
北島酒造さん 6:40
昨晩のすしふじさんで喉をうならせた冷酒メーカー
『御代栄』 店主がここの酒は美味しいと勧められた逸品でもあった
大手酒蔵は今はひどい製造をしている点ここの酒造りは素晴らしいと絶賛していた
まさか旧街道沿いにあるとは思いもしなかった
やっぱり恐るべし旧東海道 街道沿いには有名なお店が今も営業している
マンホール蓋考察
旧甲西町と石部町が合併して湖南市が出来た
これは甲西町当時の町章と町の木ウツクシマツのデザイン
街道沿いにあった石屋さんの風景
とても賑やかで楽しそうだったが 出来ることなら旧東海道に面しているの
なら 弥次喜多さんか旅人などの縁ある石像を飾って欲しかった
マンホール蓋考察
旧石部町 が制作したもの
東海道歴史資料館と町の花サツキと町章
7:20 石部宿 本陣跡と
思われる地点に到着
地図
江戸から51番目の宿か 残りは草津宿と三条大橋のみとなってしまった
日本橋を発ったときには途轍もなく遠い京都だったが 今は後行程1日分のところまで来てしまった
僅か80cmの歩幅を重ね重ね約500㌔弱歩いてきて自分で自分を褒めてあげたい程愛おしかった
昔からの諺で 継続は力なりとはよく言ったものだ
その成果がこの東海道五十三次だった