2013.09.14




約2ヶ月ぶりの『歩いていこう旧東海
道五十三次』がまた再開した。8月は
台湾へ5日間の旅行等でせわしくと言
うより猛暑絡みで歩く修行を中断し
ていたが本音だった。陽気も少し秋め
いた昨今、9月の3連休を使い三条大
橋までの距離をどんどん詰めていく
つもりだったが、思わぬ邪魔者が行
く手を遮りそうな予感がする3連休と
なってしまった。



DSCF3643朝食を食いそ
びれてしまっ
たままの難所
越えはボディ
ーブローのよ



うに効いてきた。ここ日坂宿で寿司屋
やそば屋くらいはあることを期待して
いたがやっぱり茶屋のおばちゃんが言
うとおり何もなかった。



DSCF3642
日坂宿は、天
保14年(1843
年)の記録に
よると本陣1軒
、旅籠屋33軒










等、168軒の家があり、750人が住んでい
ました。静岡県内22宿の中で、規模と
人口の両面において由比や丸子等とと
もに最も小さな宿のひとつでした。




DSCF3646
本陣跡に到着。
地図 江戸時
代に諸大名が
江戸と国元を
往復した時の



旅館にあてた宿駅の宿泊所を本陣とい
い、日坂宿本陣の屋号は「扇屋」で、
代々片岡家が世襲で営んでいました。
本陣の敷地はおよそ350坪、建坪220坪
、門構・玄関付の建物で、 嘉永5年(
1852年)の日坂宿の大火で全焼、再建



DSCF3645後、明治3年
(1870年)に
店を閉じまし
た。





DSCF3644入り口近くに
スタンプ台が
置いてあった。
天保11年宿場
の地図が置か




れていました。



DSCF3647ここ日坂宿で
も祭礼が執り
行われていて、
すると幟の一
番下に飛騨地




方のさるぼぼに似たものがぶら下がっ
ているではないか。最初は悪戯半分か
と思ったら次の幟にもぶら下がってい
る。



DSCF3648それも重さ1
kgほどはある
人形で、魔除
けの意味があ
るのだろうか?




さるぼぼは、飛騨高山など岐阜県飛騨
地方で昔から作られる人形。飛騨弁で
は、赤ちゃんのことを「ぼぼ」と言い
、「さるぼぼ」は「猿の赤ん坊」とい
う意味である。災いが去る(猿)、家
内円(猿)満になるなど、縁起の良い
物とされ、お守りとしても
使われてい
る。




DSCF3650

旧東海道の難
所とされた「
小夜の中山」
の入り口に佇
む事任八幡宮



(ことのままはちまんぐう)は、古く
から「願い言のままに叶う」神社とさ
れ、「枕草子」にも「言のままの明神
いと頼もし」と記されているほど歴史
が古く、由緒正しい神社で毎年9月に


DSCF3649

開催される「
事任八幡宮例
大祭」は、地
元では「日坂
(にっさか)の



祭り」とも呼ばれ、遠州に秋を告げる
お祭りです。




DSCF3651吉宮区を歩い
ていたら子供
用の山車が置
いてあった。
上に飾られて




いる綺麗な姫はどなた?己等乃麻知比
売命(ことのまちひめのみこと)かな。



DSCF3652すると是非寄
ってみたかっ
た遠江国一之
宮 事任八幡
宮に自動的に



着いてしまった。日坂の祭礼はここの
例大祭だったのか。必ず寄ろうと決め
ていたスポットが旧道沿いにあるなん
てなんてラッキーなんだ。


DSCF3653事任八幡宮(
ことのままは
ちまんぐう)
は、古くから
「願い言のま




まに叶う」神社とされる神社であった。
境内に露店が出ていたがここまで来た
ら道の駅でしっかりご飯が食べたくて
通過してしまった。




DSCF3660小夜の中山で
出会ったご夫
婦にまた再会
何でも2年越し
の東海道五十




三次の旅だそうで、2年前に箱根峠で
奥様が足を怪我され完治するまで相当
数お休みしたそうです。




DSCF3661そしてまた再
開し、本日こ
うして一期一
会となった訳
です。恐らく




無事三条大橋に辿り着けると思います
が、恐らく二度と出会えないと思いま
す、だからこそ僅か数秒でも言葉だけ
、会釈だけでも交わせたことに幸せを
感じずにはいられないのです。




DSCF3662約30分ほどだ
ったが一緒に
目指すは三条
大橋。しっか
りと目標をお




互いに捕らえていたでしょう。多分
最後に『歩いていこう旧東海道五十
三次』の思い出と題してブログを書
きますが、恐らく1位は目的が同じ




DSCF3663同志との出会
いがきっと1
位になること
でしょう。今
まで230余㌔




歩いてきたが時期柄少なかったのかも
知れないがまず同志の方と会うことは
ない。だからこそ出会ったときには互
いを励まし合い、時には大願成就、道




DSCF3664中安全を願わ
くばいられな
いのです。つ
まり出会った
瞬間に既に友



であり、恋人のような感覚でもあるほ
ど嬉しいのです。ではお先に掛川宿へ
向かいます。気をつけて!



DSCF3665掛川宿名物「
七曲」地図 
 13:26
 城下町特有の
遺構でもある。




DSCF3667
13:33 信濃国
へ通じる塩の
道が交差して
いる宿場でも
あった。塩の




DSCF3666道は、江戸時
代以降は秋葉
参詣のルート
の一つとして
秋葉街道
とも




DSCF3669呼ばれ、歌川
広重の「東海
道五十三次」
には秋葉街道
が分岐する大




DSCF3668池橋より仰い
だ秋葉山と参
詣者の姿が描
かれた。現在
でも「秋葉通



り」「秋葉路」などの地名が残る。




DSCF3670
マンホール蓋
考察。掛川城
が描かれ、山
内一豊が改修




後住んだお城であるが、出来ればもう
一工夫欲しかったね。




DSCF3671ここ清水銀行
前が掛川宿中
心地。地図 
13:45 江戸か
ら26番目の宿



場で、江戸より231粁。



DSCF3673明日は雨が予
想され少しで
も距離を稼い
でおきたく隣
駅愛野まで歩




こうと思ったが、午前中の空腹から来
る疲労が今になって精も根もへし折り
ギブアップとなってしまった。ここか
ら本日の出発駅藤枝に戻っていった。