2010.09.19
餘部橋梁にやってきた。この7月16日
の初代鉄橋での列車運行を終え、現在
はエクストラドーズドPC橋で、2007
年3月からの架け替え工事を経て2010
年8月12日に供用が始まったばかりで
あった。前回は2010.05.22朝5:30に訪
問していた。
これはその時
の画像で、い
や~懐かしい
ね。
15:16
8月12日から
橋梁運用開始
されていた。
現在鉄橋は1/3
を残し撤去し
真下に車を駐
める駐車場が
ある。前回と全く同じ場所だが、景色
が一転すっきりしすぎ。
鉄橋の一部が
駅構内のベン
チに変わって
いた。部材の
鉄橋はここで余生を過ごすのか、溶か
されてしまうよりもいいか。最寄駅で
ある餘部駅の裏山には展望所が設けら
れており、同駅ホームより小高い位置
で日本海を背景に余部橋梁が一望可能
なスポットであり、撮影ポイントとし
ても定番化していた。展望所は橋梁の
架け替え工事に伴って2008年4月6日以
降一時閉鎖されているが、橋梁切替時
期から再開を望む声が多く寄せられて
おり、再開は2010年11月の見通しであ
る。2010年7月16日夜「はまかぜ」5号
の通過をもって営業運行を終了し、同
日深夜の同列車上り返却回送が最後の
車両運用となり、翌7月17日から区間
運休となり、旧橋梁の解体撤去作業が
開始された。新橋梁への切り替え工事
が8月11日まで行われ、2010年8月12日
早朝の始発列車から新橋梁の供用が始
まった。旧橋梁の解体撤去で発生した
鋼材は、歴史ある貴重な研究材料とし
て、関西地方を中心とした数校程度の
大学や鉄道総合技術研究所に提供され
、金属や錆などの研究に活用されてい
る。
新橋梁をへて
鎧駅方面を望
むが新しすぎ
て趣が感じ取
れない。
旧鉄橋の一部
が残されてい
るが、こちら
は地方の鉄道
の面影があると思ったら木の枕木の存
在でこんなにも印象が変わるものだと
痛感していた。
駅から海を見
渡せば、イカ
釣り漁船なの
か既に漁り焚
き焚き、これから漁が始まろうとして
いるのかな。そんなことをしていたら
17:36豊岡駅行き列車が駅に滑り込ん
できた。
この餘部の地
はもともと三
方を山で囲ま
れ、開けたほ
うは海という
陸の孤島であり、鉄橋が出来ても駅は
作られなかった。住民が外部へ行こう
とすると、まず餘部鉄橋まで登り一番
近い鎧駅まで高く長い鉄橋を歩き、4
つあるトンネルを抜けて行くしかなか
ったのです。駅を作ってほしいと嘆願
し、住民の悲願がかなったのは鉄橋完
成から47年も過ぎた昭和34年のこと
でした。
今日も長い長
い坂を登って
ここまでやっ
てくると住民
の苦労がわか
り合え、列車に乗る為にこんなにも苦
労をしていたんだね。
鉄橋からコン
クリ性の橋に
なって、強風
が吹こうが列
車の運休がほとんど無くなったそうだ
が、駅までの急登は変わらないし、た
まに物好きの鉄道ファンが駅にやって
くる程度と思われるこの橋では人が呼
べない、たぶん餘部には二度と来るこ
とはないだろう。ほんとうにさよなら
餘部鉄橋。
餘部橋梁にやってきた。この7月16日
の初代鉄橋での列車運行を終え、現在
はエクストラドーズドPC橋で、2007
年3月からの架け替え工事を経て2010
年8月12日に供用が始まったばかりで
あった。前回は2010.05.22朝5:30に訪
問していた。
これはその時
の画像で、い
や~懐かしい
ね。
15:16
8月12日から
橋梁運用開始
されていた。
現在鉄橋は1/3
を残し撤去し
真下に車を駐
める駐車場が
ある。前回と全く同じ場所だが、景色
が一転すっきりしすぎ。
鉄橋の一部が
駅構内のベン
チに変わって
いた。部材の
鉄橋はここで余生を過ごすのか、溶か
されてしまうよりもいいか。最寄駅で
ある餘部駅の裏山には展望所が設けら
れており、同駅ホームより小高い位置
で日本海を背景に余部橋梁が一望可能
なスポットであり、撮影ポイントとし
ても定番化していた。展望所は橋梁の
架け替え工事に伴って2008年4月6日以
降一時閉鎖されているが、橋梁切替時
期から再開を望む声が多く寄せられて
おり、再開は2010年11月の見通しであ
る。2010年7月16日夜「はまかぜ」5号
の通過をもって営業運行を終了し、同
日深夜の同列車上り返却回送が最後の
車両運用となり、翌7月17日から区間
運休となり、旧橋梁の解体撤去作業が
開始された。新橋梁への切り替え工事
が8月11日まで行われ、2010年8月12日
早朝の始発列車から新橋梁の供用が始
まった。旧橋梁の解体撤去で発生した
鋼材は、歴史ある貴重な研究材料とし
て、関西地方を中心とした数校程度の
大学や鉄道総合技術研究所に提供され
、金属や錆などの研究に活用されてい
る。
新橋梁をへて
鎧駅方面を望
むが新しすぎ
て趣が感じ取
れない。
旧鉄橋の一部
が残されてい
るが、こちら
は地方の鉄道
の面影があると思ったら木の枕木の存
在でこんなにも印象が変わるものだと
痛感していた。
駅から海を見
渡せば、イカ
釣り漁船なの
か既に漁り焚
き焚き、これから漁が始まろうとして
いるのかな。そんなことをしていたら
17:36豊岡駅行き列車が駅に滑り込ん
できた。
この餘部の地
はもともと三
方を山で囲ま
れ、開けたほ
うは海という
陸の孤島であり、鉄橋が出来ても駅は
作られなかった。住民が外部へ行こう
とすると、まず餘部鉄橋まで登り一番
近い鎧駅まで高く長い鉄橋を歩き、4
つあるトンネルを抜けて行くしかなか
ったのです。駅を作ってほしいと嘆願
し、住民の悲願がかなったのは鉄橋完
成から47年も過ぎた昭和34年のこと
でした。
今日も長い長
い坂を登って
ここまでやっ
てくると住民
の苦労がわか
り合え、列車に乗る為にこんなにも苦
労をしていたんだね。
鉄橋からコン
クリ性の橋に
なって、強風
が吹こうが列
車の運休がほとんど無くなったそうだ
が、駅までの急登は変わらないし、た
まに物好きの鉄道ファンが駅にやって
くる程度と思われるこの橋では人が呼
べない、たぶん餘部には二度と来るこ
とはないだろう。ほんとうにさよなら
餘部鉄橋。