2010.09.18
次は三瓶温泉 志学薬師 鶴の湯です。
地図
千原温泉で出会
った翁が千原と
同じ湯だと教え
てもらった三瓶
の湯だが、最初
から予定に入れ
ていたのでやっ
ぱりやって来た
。泉質は含塩化
土類食塩泉
源泉温度:39.2 - 42℃、湧出量毎分360
リットルで、鉄分が多く含まれており、
タオルを湯に漬け込むとすぐに赤く染ま
ってしまう。三瓶温泉街の中にある公衆
浴場で、かつて学を志すと書いて「志学
(しがく)」と呼ばれる地名から「志学温
泉」と呼ばれ、湯治場として親しまれた
昔ながらの温泉です。三瓶温泉周辺には
三瓶山があり、山は出雲と石見を分ける
国境の山で、標高1126mの男三瓶を中心
に女三瓶、子三瓶、孫三瓶など6つの山
が環状に連なっている山であった。この
三瓶温泉は孫三瓶の南麓、標高500mの
高原に湯煙を上げている。昭和34年まで
は志学温泉の名で湯治場として知られて
いたが、厚生省(当時)が国民保養温泉
地に指定、その際に温泉名を現在の三瓶
温泉に変更した。
いがロッカーは設けられている。露天風
呂は無く、内風呂1つ、大きさは1.5mx
3mほどで6人も入ればいっぱいになって
しまう。
今日の湯船は40
℃位に加熱して
あった。千原温
泉の湯とはやっ
ぱり似ているよ
うで似ていなか
った。昔は炭酸
泉も湧出してお
り、ラムネを製
造していたが、
昭和38年の雪崩で埋没してしまった。今
日の源泉はそれ以降のもので、山を少し
入っていった所にある。入浴中、パイプ
から下のバケツに落とされていた理由は
、シャワー設備が無い為、浴室奥のパイ
プから出る源泉をかかり湯、上がり湯と
してご利用為て欲しいとして作った設備
であり、なんとも贅沢なシャワー代用品
であった。この辺一帯は炭酸温泉群で、
千原温泉、三瓶温泉、小屋原温泉などが
ある。
次は三瓶温泉 志学薬師 鶴の湯です。
地図
千原温泉で出会
った翁が千原と
同じ湯だと教え
てもらった三瓶
の湯だが、最初
から予定に入れ
ていたのでやっ
ぱりやって来た
。泉質は含塩化
土類食塩泉
源泉温度:39.2 - 42℃、湧出量毎分360
リットルで、鉄分が多く含まれており、
タオルを湯に漬け込むとすぐに赤く染ま
ってしまう。三瓶温泉街の中にある公衆
浴場で、かつて学を志すと書いて「志学
(しがく)」と呼ばれる地名から「志学温
泉」と呼ばれ、湯治場として親しまれた
昔ながらの温泉です。三瓶温泉周辺には
三瓶山があり、山は出雲と石見を分ける
国境の山で、標高1126mの男三瓶を中心
に女三瓶、子三瓶、孫三瓶など6つの山
が環状に連なっている山であった。この
三瓶温泉は孫三瓶の南麓、標高500mの
高原に湯煙を上げている。昭和34年まで
は志学温泉の名で湯治場として知られて
いたが、厚生省(当時)が国民保養温泉
地に指定、その際に温泉名を現在の三瓶
温泉に変更した。
入浴料300円を
自販機で購入し
、男湯入り口に
は「善男」の札
が掛かっていた
。女湯は「善女」であった。ぜん‐なん
【善男】仏法に帰依(神仏や高僧などの
すぐれた者を信じ、それによりすがるこ
と)した男子。善男子(ぜんなんし)。
いがロッカーは設けられている。露天風
呂は無く、内風呂1つ、大きさは1.5mx
3mほどで6人も入ればいっぱいになって
しまう。
今日の湯船は40
℃位に加熱して
あった。千原温
泉の湯とはやっ
ぱり似ているよ
うで似ていなか
った。昔は炭酸
泉も湧出してお
り、ラムネを製
造していたが、
昭和38年の雪崩で埋没してしまった。今
日の源泉はそれ以降のもので、山を少し
入っていった所にある。入浴中、パイプ
から下のバケツに落とされていた理由は
、シャワー設備が無い為、浴室奥のパイ
プから出る源泉をかかり湯、上がり湯と
してご利用為て欲しいとして作った設備
であり、なんとも贅沢なシャワー代用品
であった。この辺一帯は炭酸温泉群で、
千原温泉、三瓶温泉、小屋原温泉などが
ある。
今度は奥ノ湯 湯
元旅館へ行ってみ
るが、鍵が掛かっ
ていて不在だった
。 地図
→この湯は湯船からの捨て湯だった。