toyotaboxyのblog

せんちゃんのグルメ&秘境の湯旅行記

歩いていこう旧中山道五十六次 岩村田とりやたまやで道草

2014.7.18

『歩いていこう旧中山道五十六次』の続編で長野県へやって来た

中山道五拾六次で二大難所と言われる碓氷峠越えは、6/14に攻略済み、残すは最大の難所和田峠だけ

だった。(本当かな他にも難所が沢山あるのでは)

いままでに日本橋→深谷宿、横川駅→岩村田宿と御嶽宿→草津宿と虫食い状態だが攻略済み。

これらは戦略的で合ってやむを得ないところだ

そして今回3連休を使い 岩村田宿から長久保宿(宿泊)翌日、難所和田峠越えを果たし下諏訪宿(泊)

21日に贄川宿を目指す予定

ただし和田峠に関しては公共交通機関が全く存在しない。いつものようにその日歩き終えたら電車で車

まで戻る行動パターンが出来ない。

そんなことからイレギュラープランとなった

19日 岩村田駅近くに車を駐める→和田宿→唐沢地区まで歩く⇒町内循環バス⇒長久保宿に戻り宿泊

20日 長久保宿⇒町内循環バス⇒唐沢地区→和田峠→下諏訪宿→下諏訪駅⇒小淵沢駅⇒岩村田駅

    ⇒自家用車⇒下諏訪宿(泊)

21日 下諏訪宿→贄川宿→贄川駅⇒下諏訪駅⇒帰路

上記の日程を是非遂行したい、その為に当地に前の晩から着いていた

早く着いて寄りたい店があった

それは以前日経新聞に繁盛店として掲載された 居酒屋『とりやたまや』

店名が語るように鶏肉と玉子料理にこだわっている店

今となってはその時の記事が見つからないが、確か 自分で焼く目玉焼きが客に大受け・・・

これまでも長野方面に来た際に寄ろうとしていたが、なかなか縁が無かった

そこで今回 無理してでも早い時間帯に到着するよう頑張って来た

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22:26 お店はJR岩村田駅から約500mと至近距離の位置にあった 地図

予約していないがこの時間帯なら大丈夫だろうとドアを叩いた




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店内はカウンターとテーブル席を合わせ約30席のお店

居酒屋と言うよりも 小洒落た居酒屋。ひとり客ではちょっと物寂しい感




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夕飯を食べており簡単な物をオーダーすることにした

まずは焼き鳥食べたいな




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お任せ3点盛り+野菜

焼き鳥は塩で出てきた。素材に自信があるのかな、もも肉、砂肝、ねぎま

間違っていたら御免なさい


では、頂きます。確かに新鮮なのかも知れないがあまり美味しいとは言えない

この程度なら屋台で食べた方がましかな

食べていくうちに自分が興ざめしていくのが解った

DSCF6882更に追い打ちを掛けたのは、あの目玉焼きはあるか?

今はこのメニューはやっていない・・・結局これが帰るきっかけを決定づけて

しまった。

確かにこの店は流行っているのかも知れないが、メニュー名だけこだわって

いては客に飽きられる。

それとこのメニューに客が集まるものが味わいたかったがメニュー見た限りでは存在していないようだ

目玉焼き  今だって台所へ行けばすぐに作れる料理。それをどうやって居酒屋で提供し人気を博して

いるところを見たかったのに、普通の焼き鳥だけでは拙者を納得できない

残念ながらこの店では2度目はないね

歩いていこう旧中山道五十六次 岩村田宿→塩名田宿

2014.7.19

『歩いていこう旧中山道五十六次』の続編で長野県へやって来た

中山道五拾六次で二大難所と言われる碓氷峠越えは、6/14に攻略済み、残すは最大の難所和田峠だけ

だった。(本当かな他にも難所が沢山あるのでは)

いままでに日本橋→深谷宿、横川駅→岩村田宿と御嶽宿→草津宿と虫食い状態だが攻略済み。

これらは戦略的で合ってやむを得ないところだ

そして今回3連休を使い 岩村田宿から長久保宿(宿泊)翌日、難所和田峠越えを果たし下諏訪宿(泊)

21日に贄川宿を目指す予定

ただし和田峠に関しては公共交通機関が全く存在しない。いつものようにその日歩き終えたら電車で車

まで戻る行動パターンが出来ない。

そんなことからイレギュラープランとなった

19日 岩村田駅近くに車を駐める→和田宿→唐沢地区まで歩く⇒町内循環バス⇒長久保宿に戻り宿泊

20日 長久保宿⇒町内循環バス⇒唐沢地区→和田峠→下諏訪宿→下諏訪駅⇒小淵沢駅⇒岩村田駅

    ⇒自家用車⇒下諏訪宿(泊)

21日 下諏訪宿→贄川宿→贄川駅⇒下諏訪駅⇒帰路

上記の日程を是非遂行したい

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4:10 JR岩村田駅  まだまだ駅は眠りの中だった

そんな拙者も眠い

それでもなんとか身支度を調え旅立ちじゃ 


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今回の旅立ち時は忘れ物は許されない特に

宿泊用品(着替え、下着、洗面用具)、雨具、熊除けの鈴、カメラ、ipad、電源コ

ード、お金、昼朝食、帽子・・・と今までのリュックの重さの倍となっていた。

いつもの行脚は、車に戻るためリュックの中は、雨具、タオル、着替えのシャツ・・・位しか入っていない

だがいくら倍になったとはいえ所詮5kg程度と思われる

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街の片隅には今日明日この街で行われるお祭り

祇園祭』夜店の準備が出来ていた




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すると商店街に『日本一小さな酒蔵』と暖簾が掛かっていた

日本一小さな酒蔵は岐阜県大野町にある杉原酒造さんでは?

ここは戸塚酒造。真相はどうなのよ


社名合名会社戸塚酒造店
創業承応2年(1653)創業
所在地〒385-0022 長野県佐久市岩村田752番地
代表戸塚 武
杜氏荻原 重雄
仕込水八ヶ岳の伏流水(軟水)

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つどいの館 こてさんね』  4:39  地図

佐久市の岩村田本町商店街に、七つの飲食店が集まった「中山道岩村田宿 つどいの館こてさんね」が6/9オープンした。「気軽に食事できるところが少ない」という客の声にこたえ、同商店街振興組合が空き店舗を活用。新たに飲食店の経営を目指す人を募り、街の活性化を図ることにした。

 「つどいの館」に入っているのは、そば、ラーメン、ハンバーガー、ビール&おつまみ、オムライス、カフェ&ワイン、沖縄料理の7店。店は約13平方メートルから約33平方メートル。ほとんどはカウンターだけの小さな店だが全面ガラスで仕切られているため開放感がある。

こてさんねとは長野県東信地域の方言です

てえさんねえ/こてえされねえ:「居心地がいい」「楽だ」の意。

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岩村田本町交差点を右折、すると今日明日開催の祇

園祭に使われる神輿が置いてあり近くには昨晩の宴

席の名残跡。いいな拙者の住む部落には自慢できる


祭りがない。実行係で祭りという物に参加してみたかったな

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なんだこの巨大玉葱は?

ここは佐久市子供未来館




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4:54  県立岩村田高校 この高校部活が盛んで強豪校だ

え~ボクシング部あるんだ 凄い




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5:41 約1時間歩いた まだまだ気温が低い朝のうちに距離を稼いでおかなくちゃ

塩名田宿まであと1粁




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マンホール蓋考察

旧浅科村時代の物。浅間山と千曲川、周囲には稲穂で縁取ったデザイン

浅科村は現在は佐久市


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5:57  塩名田宿に入っていたと思ったら本陣跡に着いてしまった

地図

日本橋から数えて23番目の宿場町

お願いだから 本陣の看板もう少し豪華にして欲しい。お金掛けろって言うわけではないがプラスチックだ

けじゃあまりにも寂しすぎるだろ









歩いていこう旧中山道五十六次 赤坂宿で貸し自転車で道草

2014.6.22

『歩いていこう旧中山道五十六次』の続編で岐阜県へやって来た

7/5に高速道路料金が東日本大震災復興財源確保のため値上げされるうちに少しでも自宅から遠い宿を

を今のうちに歩いておきたかった

いままでに 日本橋深谷宿間、横川駅岩村田宿間と赤坂宿草津宿間と虫食い状態だがこれらは戦略的で

合ってやむを得ないところだ

そして昨日、御嶽宿から赤坂宿間を歩き今朝は加納宿から赤坂宿まで辿り着いたが列車時刻を間違える

失態をし待ち時間を利用してレンタサイクルで赤坂宿を再度見学しに出掛けた。

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レンタサイクルは美濃赤坂駅で無料で貸してくれる。

駅は、無人だが人が駐在していた。訳を聞けばJR東海の人ではなくJR貨物

の人らしい


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自転車ってこんなに移動するの楽な乗り物だったんだとしみじみ思った

どんなに急いでも歩きでは4粁がやっとだが、ペダル1漕ぎで数メートル

楽だ 歩いているのが嫌になってしまうほど差があった


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洋館の中へ入りボランティアの方から色々な話を聞く

ことが出来た

赤坂港は昔は川幅広かった、荷は桑名まで下る・・・


昔は町中白かった(石灰搬出のため)・・・

やっぱり再度来て良かった

時刻間違いがかえって良い結果に繋がった

まだ神は拙者のことを見捨てては居ないみたいだ

と、思いにふっけって居ないで今度こそ電車に乗り遅れるぞで後にした

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駅の貨物ヤードには大理石が沢山置かれていた






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駅に戻ると モデルを使った撮影が行われていた

名前はわからない

でもローカル線のこの駅 とても趣があり撮影にはもってこいの駅かも知れない


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10:53 定刻通り駅を後にする

JR岐阜駅で降り名鉄岐阜駅に向かう時 黄金の信長像を初めて見た

すごか


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11:43

名鉄加納駅に着いた

これで今回の行脚はお終い




歩いていこう旧中山道五十六次 美江寺宿→赤坂宿

2014.6.22

『歩いていこう旧中山道五十六次』の続編で岐阜県へやって来た

7/5に高速道路料金が東日本大震災復興財源確保のため値上げされるうちに少しでも自宅から遠い宿を

を今のうちに歩いておきたかった

いままでに 日本橋深谷宿間、横川駅岩村田宿間と赤坂宿草津宿間と虫食い状態だがこれらは戦略的で

合ってやむを得ないところだ

そして昨日、御嶽宿から赤坂宿間を歩き今朝は加納宿から美江寺宿まで着いた。

残り赤坂宿までもう少しだ頑張るぞ

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ここ美江寺宿内を描いた歌川広重絵の舞台が解って

いるらしい




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8:06  地図  絵の構図はここからのようだ

河川が整備され湿地帯は今は畑になっているが遠くには竹林が今も残る。

当時は晩秋の夕刻時。今日は初夏の朝8時と違えど同じ場所からの景色に

思いを馳せる。

それにしても 錦絵の位置が判別できないところが多い中、凄いことだと思う



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近くに柿の木を見付けたが実はまだ小さく堅く青かった。

富有柿の発祥の地と言うことはこの柿も富有柿に間違いないな

秋には美味しく実り往時の旅人の空腹を癒やしたことだろう


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マンホール蓋考察

巣南町(現瑞穂市)時代のマンホール。

町の木 紅葉、町の魚ハリヨを図案化した作


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8:24 巣南中学校前には中山道の公園が出来ていたが

2012.5月時点ではまだ整備されていなかった  地図




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8:25 ここから一気に揖斐川越えに田んぼの中を衝き進む

地図





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8:29  小簾紅園(おずこうえん)の看板が出ていたが、公園は川の対岸。

本来の中山道は直進。出来ることならこの道案内の看板も真っ直ぐにして欲

しい。  地図


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揖斐川 鷺田橋上  8:41

かってここには 織田信忠の命によって呂久の渡しが開設されているが現在

では、案内看板さえ掲示されていない。位置情報がわからなくてもいいじゃな

いか、それでも案内看板は必要だね。


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小雨が降りしきる中の徘徊。ふと河川敷に黒い物体?と思ったら烏だった。

24羽もいて何やら虫を啄んでいるみたいだったよ





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橋を渡り左折し良縁寺を目指す。こんな遊び人の拙者にも娘がいる。

娘には良縁を願う親心がまだあった。

8:48  地図


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マンホール蓋考察

もう一つの巣南町時代のマンホール

趣旨は先ほどと同じで町の木 紅葉。川はハリヨが住む清流を表しているのかな


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8:54  ここがさっきの看板の地か!  小簾紅園(おずこうえん)  地図

和宮 親子内親王(かずのみや ちかこないしんのう、弘化3年閏5月10日(1846

年7月3日) - 明治10年(1877年)9月2日)は、仁孝天皇の第八皇女



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8:59




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9:04  地図  何故かここで道を間違えてしまった。赤点の様に行かず坂を下りてし

まい大きく遠回りしてしまった。さすがに2日目疲れてきたかな


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殿様って想像以上の見栄っ張りだったんだね

この田園地帯に「中山道三回り半」「中山道七回り半」?

がある。調べてみれば、直線では隊列の凄さが解らな


DSCF6832いが曲線の道にすれば中央の籠にいる殿様は、前後の列を見ることが出来る。

要は宿場に入る前に隊列の人数を臨時で雇い見栄を張っていたと同じ事。

だから田んぼ道を曲げ、隊列の前や後ろを7回首を振ったことからそう言われ

るようになった

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さぞかし籠の中に一日中乗っていたのは退屈だったんだろうな

何していたんだろ ipadあれば少しは退屈しのぎできたのに・・・

籠の中に一日中居るなんて拙者には絶対出来ない芸当だ



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9:48 養老線東赤坂駅付近

養老線(ようろうせん)は、三重県桑名市の桑名駅から岐阜県揖斐郡揖斐川

町の揖斐駅までを結ぶ養老鉄道の鉄道路線



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10:04 いよいよ赤坂宿だ

川港が整備されて賑わった宿




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10:04 なんだこのタワーは?

実は火の見櫓なんです。ひぇ~かっちょいい






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ここが赤坂港跡。往時には杭瀬川がここを流れており港が設けられ、近隣

で産出する石灰や大理石の積出港として賑わい、鉄道が敷かれるまでここは

使われていた。昭和28年に杭瀬川本流の工事が行われ、川幅が狭まっていた


ここから船に荷を載せ行き先は桑名なんだって!

さっき渡った鉄道も桑名まで行くって偶然の事じゃないよね

物の流れと人の流れで必然に鉄道が敷かれたのだろう


DSCF6840小さな公園となっている。

10:05  地図




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やはりここらにも蛍が舞うのか モニュメントがあった

やっぱ 蛍が乱舞するところ生で見てみたい




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同じ敷地内にあるこの洋館は赤坂港会館。

現在は資料館だが昔 赤坂宿内にあった警察施設を

復元したものらしい。

 諸般の事情で遠地を先に歩いていたとき武佐宿
にも旧警察の建物があったが、かなりハイカラな建物

だったと記憶している。

ここに接している際は、列車時刻の勘違いで館内には入らず外観だけで通過していたが、赤坂駅に着き

時刻を確認したら1時間近く待ちがあるためレンタサイクルで再度訪問していた経緯があった

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10:08 赤坂宿に到着 日本橋から数えて56番目の宿と言っても 6/7 4:58

初訪問していた。




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10:14 JR美濃赤坂駅に到着したが、電車乗り換えソ

フトの駅名を間違えていた失態をしていた。

美濃赤坂駅のところ東赤坂駅と入力しそのまま信じ

タイムスケジュールで歩いてきた。時には走り、小走り、強歩の時もあったほど急いで着いたのに・・・

誤)東赤坂駅 10:17

正)美濃赤坂駅 10:53  あ~~~疲れた

やっぱり今日は疲れているんだ 途中で道を間違えるし・・・

まさに思考回路はショート寸前だった

でもね でもね そんなことぐらいでは挫けない

駅には無料の貸し自転車がありそれを借り 先ほど舐めた程度で通過した赤坂港跡へ行くことに決めた











歩いていこう旧中山道五十六次 岩村田駅→軽井沢駅で道草

2014.6.14

『歩いていこう旧中山道五十六次』なんですが 諸般の事情で虫食い状態になっていた

日本橋から深谷、松井田岩村田間と赤坂から草津まで歩いていた

この先 長久保宿の濱田屋さんに宿泊予約を入れている関係で 手前を是非片づけておきたかったのも

あるが、拙者が考える2大難所のことが気になってしょうが無い

そこで本日その一つの碓氷峠を先に実行に踏み切り、今碓氷峠から岩村田宿まで完歩終えたところ

ここからは出発地の横川駅まで戻りキャラバン靴からハンドルに持ちかえ、碓氷峠山中にある名所

めがね橋を見学後、2つめの難所和田峠付近まで行ってみることにした


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JR岩村田駅

岩村田駅→小諸→軽井沢→横川 とJR小海線・しなの鉄道・JRバスを乗り継ぐ¥1200-

岩村田駅発 14:18

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この先 和田峠越えを果たしたときには 下諏訪駅から小淵沢経由でまたこ

の駅に降り立つ予定。

途中にはJR日本一の高所駅 野辺山駅があるが車では行ったことがあるが

電車で通るのは初めてと今からそんなことを巡らせるだけで楽しくなる

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14:18

定刻通り電車がホームに滑

り込んできた


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最初の乗換駅 小諸駅

しなの鉄道管轄駅

ここ小諸市も 中山道追分宿の追去れ北国街道が通っていた

そしてここには現在2棟しか現存していない本陣兼問屋場建築、旧小諸本陣(きゅうこもろほんじん)がある


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あの夏で待ってる

アニメの舞台がここ小諸なんだ

あの夏で待ってる』(あのなつでまってる)は、2012年1月から3月まで放送され


200px-Natsumachi_Wrapping_Shinano_Railway_115_seriesた日本のオリジナルアニメ作品。キャッチコピー
は「その夏の思い出が、僕達

の永遠になる
」。

何故小諸なの? プロデューサーが長野県長和町出身であったことや、スタッ

フに佐久市出身者がいたことに端を発する。

作中には懐古園や相生町商店街、乙女駅周辺、布引山釈尊寺、小諸市文化センター、ほんまち町屋館

、西浦ダム、浅間山を望む田園風景、佐久平駅(佐久市)、軽井沢町内など、小諸市および
小諸市周辺
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の風景が度々登場する。




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しなの鉄道 特別列車「ろくもん」



「ろくもん」運転記念入場券 記念きっぷ

平成26年7月11日(金)発売開始!

観光列車「ろくもん」運転記念入場券(A型硬券・台紙付き)
 ※軽井沢駅、小諸駅、上田駅、戸倉駅、屋代駅の入場券セットです

☆郵送による受付も行います。
 商品代+返送用封筒(角2)と送料140円(入場券1セット)を同封のうえ、お申し込みください。
  【受付箇所】
   ・小諸駅(〒384-0025 小諸市相生町 1-1)
   ・上田駅(〒386-0025 上田市天神1丁目 1-1)
   ・戸倉駅(〒389-0804 千曲市大字戸倉 1445)

※ 数に限りがありますので、売り切れの際はご容赦ください。



観光列車「ろくもん」運転記念入場券(PDF:237.5KB)

発売日

平成26年7月11日(金)窓口営業開始時刻から

発売金額

950円

発売箇所

DSCF6633軽井沢駅、小諸駅、上田駅、戸倉駅、屋代駅

お問合せ

しなの鉄道株式会社 営業課 ℡:0268-21-4702



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KMRすみれっ娘?

KMRってまねでしか無いメンバー名 もう飽きた




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しなの鉄道の電車がやって来たが、今小諸市の衰退

が際立つ 長野新幹線が止まらない駅となり企業流出

が止まらない。駅にしてもJRから第3セクター鉄道に変

わり乗降客が激減。長年営業していた駅構内にあるそば屋 ひしやが店を閉めていた。

新幹線の影響ってすごいんだな



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軽井沢駅から碓氷峠方面だが 鉄路が外され完全に線路として機能失っている

願わくば 観光列車などでの軽井沢横川駅間の復活を望んでいたものとしては

ショックだった

歩いていこう旧中山道五十六次 河渡宿→美江寺宿

2014.6.22

『歩いていこう旧中山道五十六次』の続編で岐阜県御嶽宿へやって来た

7/5に高速道路料金が東日本大震災復興財源確保のため値上げされるうちに少しでも自宅から遠い宿を

を今のうちに歩いておきたかった

いままでに 日本橋深谷宿間、横川駅岩村田宿間と赤坂宿草津宿間と虫食い状態だがこれらは戦略的で

合ってやむを得ないところだ

そして昨日、御嶽宿から赤坂宿間を歩き、今朝は加納宿から河渡宿まで着いた。残り赤坂宿まで頑張るぞ

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街道を歩いていたら大きな会社があった 三甲(株) 岐阜本社

聞いたことがあるが思い出せない。どんな企業だったかな

思い出した R16柏市内に営業所があり度々前を通っていた

柏営業所

ショールーム有

柏営業所
住所〒277-0872
千葉県柏市十余二254-150

地図(Googleマップ)外部サイトへリンクします

電話番号(04)7147-3535


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中山道美濃路 55番目の宿 美江寺宿の看板と言うより宿泊所 商人御宿

の看板であった




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7:48  日除けの被ったビニールハウス群は、ちょっと異様な光景だった

入り口から中を覗けば サボテンが栽培されていた

地図


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長良川流域の肥沃な土地でサボテン栽培は勿体な

いだろ。むしろ痩せた土地でやむを得ずプランターで

育てるのなら解るがどうしても納得できない


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近くにこんな施設があった『サボテン村』があり このビニールハウスは生産拠

点に過ぎなかった




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鉄道に出会った。これは樽見鉄道線

樽見鉄道株式会社(たるみてつどう)は、岐阜県で旧国鉄特定地方交通線転

換線及び旧日本鉄道建設公団建設線から成る鉄道路線(樽見線)を運営し

ている、西濃鉄道・住友大阪セメントおよび
沿線自治体などが出資する第三セクター方式の鉄道会社

であるが、現在貨物の取り扱いがなくなり経営的には厳しさが増している。

遠きに見えるは美江寺駅  地図

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7:55  いよいよ美江寺宿入り口だ

地図




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7:58  美江神社前交差点を左折





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8:03  美江寺宿本陣跡到着

日本橋から数えて55番目の宿場













歴史秘話ヒストリア 参勤交代はつらいよ・・・放映

2014.07.17

昨晩NHK-TV 歴史秘話ヒストリア (22:00-22:45)にて 『参勤交代はつらいよ

加賀百万石 お殿様の遥(はる)かな旅』と題して放映があった


内容は、加賀藩が江戸までの参勤交代事情であった

往還街道には、中山道も使われ「追分宿」「板鼻宿」にて宿泊したと記載があった。

更には 草津宿本陣の内部(残念ながら拙者は入館していなかった)の作りを紹介されていた

なぜ上段の間になっているか、入浴場と入浴姿、就寝時の様子、大名行列が宿場前でアルバイトを頼み

大所帯に見せるなどなど・・・とてもおもしろい内容だった


再放送が決まっている今度は録画しよう

再放送 平成26年 7月23日(水)
※火曜深夜00:40~01:23
総合
全国

歩いていこう旧中山道五十六次 加納宿→河渡宿

2014.6.22

『歩いていこう旧中山道五十六次』の続編で岐阜県御嶽宿へやって来た

7/5に高速道路料金が東日本大震災復興財源確保のため値上げされるうちに少しでも自宅から遠い宿を

を今のうちに歩いておきたかった

いままでに 日本橋深谷宿間、横川駅岩村田宿間と赤坂宿草津宿間と虫食い状態だがこれらは戦略的で

合ってやむを得ないところだ

そして今週末は、御嶽宿から赤坂宿間を歩こうとやって来て、昨日は予定通り加納宿まで歩き今日は、残り

赤坂宿まで歩く予定。

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加納宿は、濃尾大震災で往時の建物の全てが崩壊し更に第二次世界大戦によっ

て更なる焼け野原と化してしまったため古き時代の建物は皆無に等しかった

早朝の散策のため本陣跡を見過ごしてしまう失態を犯していた


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はて なんで白象の模型があるの

ここは、おおの春堂という仏壇仏具屋さん

解った仏壇屋さんはお釈迦様に縁があり、花祭りの際に使われる道具なんだ。

花祭りとは釈迦の降誕を祝して行う法会です。

正式には潅仏会(かんぶつえ)又は仏生会(ぶっしょうえ)と言いますが、明治後期頃から「花祭り」と呼ば

れるようになったようです。

 お釈迦様のお母さんの麻耶夫人は、白い象が脇の下から体内に入る夢を見てお釈迦様を妊娠したと

いう伝説があり、釈迦誕生にまつわる聖なる動物としてあがめられているのです


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実際にある脇本陣跡を示す石碑はこんなに小さいものだった

本陣跡も見逃したのも頷ける




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5:43  CAFÉ REST namiki ナミキ

白シャツ×黒ベスト姿がスマートな店主が営む、アメリカンバーのような雰囲気が魅力のカフェレスト。鉄板で運ばれてくる熱々のベーコンエッグや厚切りパンのフレンチトーストなど、4種から選べる安くてボリューム満点のモーニングセットが好評で、早朝から多くの馴染み客を迎えている。


モーニングセットA 
モーニングセットA ¥500
ベーコンエッグ・トースト・サラダ・フルーツ・ドリンク
【提供時間 5:30~11:00】

CAFÉ RESTnamiki ナミキ

  • 岐阜市南本荘一条通り1
  • 営業時間 5:30~17:30
  • 不定休
  • TEL.058-272-1282
  • P7台

岐阜県民は喫茶店に支出するお金が日本一多いは有名

以前 岐阜市内で体験済みだった (クルベットローズ

でもね 朝から700円も出金する岐阜市民の金銭感覚が解らない

一度は食べていこうと思ったが、コーヒー苦手な拙者には喫茶店の敷居はいつも高くて入りずらいもの

だった。結局朝食は牛丼屋でカレーを食べていた。つまらないことをしたと今になって反省している

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5:44  ヤマヨ温泉

どうも温泉では無く水道水を湧かした銭湯のようだ


ヤマヨ温泉

営業時間

14:00~24:00

定休日

火曜日

住 所

岐阜市南本荘一条通15

電話番号

058-272-2550

PR 広々とした浴室で、薪で炊いた湯にゆったりと浸かれます。
蒸気サウナもあります。

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5:52 都市開発が優先され中山道は分断。 地図

是非とも高架下に中山道がここにあった通路ぐらい

作れないのかな


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6:08






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マンホール蓋考察

国土地理院が管理する水準点がこの中にある

水準点(すいじゅんてん、benchmark)とは、水準測量に用いる際に標高の基

準となる点のことである。測量法で定められている測量標
の一つであり、永久標識に分類される。

全ての水準測量の基準となる日本水準原点は、東京都千代田区永田町の国会前庭洋式庭園内に設置されており、東京湾平均海面上24.3900mを原点数値として測量法施行令第2条第2項において定められている。なお、この場所は、かつて参謀本部陸地測量部(国土地理院の前身の一つ)が存在していた。

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6:45 鏡島湊  地図





ところで「港」と「港」の違いって何

湊:(水上の)人やものの集まるところ。

港:船着き場。(「港」は比較的新しい字でもともとは「分かれ流れる川」という意味で、そこが船着き場と

なり、その意味を借りて「湊」を示すようになった)

上のことから、海上交通では「湊」の方が本来的であると思います。ただ、近代に至れば船の大型化に

ともなって「湊」には船着き場がかならずあるようになり「港」の字をあてることが多くなったのでしょう。


小紅の渡しが現在もあるが、運行は8時からと時間がまだあり立ち寄らなかった


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河渡橋下の河川敷で何やらイベントかな

早朝からスピーカーから爆音が流されていた




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6:50 河渡橋上から長良川を望む

清流として有名であり、柿田川、四万十川とともに日本三大清流のひとつと

言われ、中流域が1985年の「名水百選」に、また岐阜市の長良橋から上流

約1kmまでの水浴場が1998年「日本の水浴場55選」に、2001年に「日本の水浴場88選」に全国で唯

一河川の水浴場で選定された


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すると対岸から男性が歩いてきた。もしやと思い声を掛けてみたらやっぱり

中山道を歩いている人だった。会話はほんの数秒だったがこの上ない幸せ

になれる瞬間でもあった。解るかな、解んねぇだろうな。


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6:56  長良川右岸に到着  河渡宿は長良川の洪水に常に悩まされて

いたそうだ。今でこそ堤防が出来ているが往時はそんなもの無い湿地帯

だったと思われる。


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ここら一帯は随分変わったのだろう旧街道が解らず苦労した記憶が残った

ランドマークになればと馬頭観音堂へ寄ってみたら 周辺地図が掲げてあり

大いに助けられた。


DSCF6799すると往時はこの近くの「河渡の渡し」がありこの観音堂前の道が旧中山道

だった。

木製の河渡宿の看板は他に類を見ないので善としよう



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7:00  随分前から小雨が降りしきる中傘を差さずに頑張ってきたが、雨脚が

増し初めて傘を差しての行脚。




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するととある民家に懐かしの車 コロナが駐まっていた。

拙者でもこの車に関する記憶は無いが、恐らく47年前頃の車だろう

これは宿場内の古民家を維持していくのと同様、他人様には言えない苦労が

沢山あるはずだ


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一里塚  7:05  地図

本来は本陣が一つの区切りだが、本陣跡を表記されていない

確かに小さな宿場町 全長3町(330m)ほどなのだが度重なる洪水や土地の

かさ上げ、戦災で解らなくなってしまったのだろう

ならば、ここを河渡宿中心地としよう

日本橋から数えて54番目の宿場 河渡宿に到着

相変わらず小雨が降りしきる中の徘徊であった






歩いていこう旧中山道五十六次 鵜沼宿→加納宿

2014.6.21

『歩いていこう旧中山道五十六次』の続編で岐阜県御嶽宿へやって来た

7/5に高速道路料金が東日本大震災復興財源確保のため値上げされるうちに少しでも自宅から遠い宿を

を今のうちに歩いておきたかった

いままでに 日本橋深谷宿間、横川駅岩村田宿間と赤坂宿草津宿間と虫食い状態だがこれらは戦略的で

合ってやむを得ないところだ

そして今週末は、御嶽宿から赤坂宿間を歩こうとやって来た

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菊川酒造  地図

元は、江戸時代には河内屋という旅籠。

河内屋の井戸水は水質がよかった為明治に入ると酒蔵を営むようになった。


DSCF6730皇女和宮が通行する際には、この水として指定されほどです。

そんなに美味しい水ならケチケチしないでみんなの喉も潤して欲しいと

思っても本日は休業日だった

2014年(平成26年) - 会社分割の方法により酒造事業を承継する分割承継会

社の全株式を、株式会社神戸物産へ譲渡。岐阜南税務署へ酒類免許を返納し、酒類製造事業から撤退。

商号を菊川からヒシノへ変更。

一体経営に何があったのだろう

東海道や、中山道などの主要街道に面したお店や企業には老舗と呼ばれる立派なお店が多いのに・・・

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再現された脇本陣  10:33  地図

鵜沼宿の脇本陣は、明治24年の濃尾震災で倒壊したと言われています。

鵜沼宿家並絵図をもとに、忠実に再現された。平成22年5月公開。


開館時間 : 午前9時~午後5時
休館日 : 毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)
祝日の翌日(土曜日・日曜日、祝日の場合はその翌日)、12月28日~1月4日
入場料 : 無料
所在地 : 各務原市鵜沼西町1丁目137番地
電話 : 058-379-5055(歴史民俗資料館)
アクセス : JR高山本線 「鵜沼」駅下車 徒歩20分、名鉄各務原線 「新鵜沼」駅下車 徒歩20分、「鵜沼宿」駅下車 徒歩15分


館内にはボランティアがいて拙者のことを親切に解説してくれた

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総工費3億円?だったかな  木曽材をふんだんに使った造り。

建築基準法で基礎だけは現代の規格。雨樋も新設された以外は忠実に再現さ

れた脇本陣。


真新しすぎて落ち着きが無いが年月と共に柱や床などは飴色に変色を増し威風堂々な姿になっていくこと

だろう

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他にも教わった事があった  地図

画像に写る3軒の民家  濃尾大地震にも耐えた家だそうだ

坂井家、梅田家、安田家と詳しい建築年数聞いたが忘れた。

明治24年(1891年)の濃尾大地震で、この辺りで唯一倒壊を免れ、現在も江戸時代後期の建築を留める。

 (現在非公開)

それとこれから向かう加納宿はほぼ全壊で当時の建物は何も残っていないそうです・・と、情報は嬉しい

のだが寂しさが溢れてきてしまった。

そして留めが、この先大通りを歩きますから排気ガスが辛いですよ・・・だって

うわぁ~泣きたくなってきた

再び歩き始めた

旧街道は開発の波に飲み込まれ面影は全く無し

アドバイス頂いた『排ガス』よりも辛いことがあった

拡張された国道の歩道をひとり黙々と歩く時間の方がよっぽど辛かった

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JR各務ヶ原駅 11:29  地図

駅名は「かがみがはら」と濁るが、所在する自治体名は「かかみがはら」であり濁らない。

この駅を見た瞬間目を疑った

さびが発生した塗炭の駅舎。閉鎖した店舗と類似しすぎて間違えてしまった

人口14万人を擁する各務ヶ原市の中心駅?なのに無人だった

愛知圏からも至近距離で県庁所在地の岐阜駅から4つめの駅が無人とは驚きだ

もっと驚いたのは、2,3駅も無人だった。有人駅は鵜沼駅。

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11:46  

かかみがはら航空宇宙科学博物館(かかみがはらこうくううちゅうかがくはくぶつかん)は、市内にある国産の航空機や実験機、航空関連資料、さらに宇宙開発関連資料などを収集、展示すると共に体験的な学びの機会を提供する博物館


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12:12  地図

ここは航空自衛隊岐阜基地隣接地

 
航空自衛隊岐阜基地


DSCF67381917年に陸軍各務原飛行場として開設されて以来、現存する国内最古の歴史を誇る航空自衛隊
岐阜基地は、航空自衛隊に配備される新型機や航空機に関連する装備の試験等を行う飛行開発実験団を擁していることから、日本一早く最新戦闘機が飛行しているところを見られる。毎年秋頃に開催される航空祭では異機種混成編隊と呼ばれる全国の航空祭でも珍しいフライト形態を眺めることができる。

また航空基地に隣接する川崎重工業航空宇宙カンパニー(かわさきじゅうこうぎょうこうくううちゅうカンパニー)は、川崎重工業(川崎重工グループ)の航空宇宙軍事関連製品の製造部門。前身は大日本帝国陸軍の専属メーカーとして、戦闘機などを開発・製造していた川崎航空機(かわさきこうくうき)。


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態態昭和の趣風に作った居酒屋 満月食堂

これは、いくら営業していても一寸態とらしいのでパスかな

もう少し自然体なら可能性はあった


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那加地区  なか21モール商店街歩道に飛行機のタ

イルが埋め込まれていた。




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13:02 間の宿 新加納宿  地図

2012.5月にはまだこの石碑が建ってなかった




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新加納宿立場跡  13:10  地図2012.5月には迫り出した歩道がまだ無い

中山道六十九次の鵜沼宿と加納宿間は、4里10町(約17km)あり、他の宿場

に比べて距離が開きすぎたこともあり、新加納陣屋周辺が間の宿として発展


DSCF6745DSCF6746し形成された宿場町が
新加納宿である。







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マンホール蓋考察

いつの間にか岐阜市に入っていた 

岐阜市の名物 鵜飼いとと鮎。その周辺は籠をイメージしているようだ

中央に小さく市章を配置。昔、織田信長が、美濃国を攻略した際に、稲葉山の城下の井ノ口を岐阜と

改めたところから、古い地名である井の口の「井」を図案化した。

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旧街道から見えたから一寸寄り道

切通陣屋跡之碑  13:59




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加納宿に入ったようだ 14:29  地図

中山道六十九次の中では、本庄宿(埼玉県本庄市) 、高宮宿(滋賀県彦根市)

、熊谷宿(埼玉県熊谷市) 、高崎宿(
群馬県高崎市) に次ぐ大宿である。


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何々御鮨街道が交差・・・今もきっと美味しい寿司屋さんが存在するのかな

楽しみだな

鮎鮓街道(あゆすしかいどう)とは徳川家康への鮎鮨の献上ルートのことである。


DSCF6751岐阜から熱田を結ぶ尾張街道の別名のことで「鮎鮨街道」、「御鮨街道」と呼

ばれていた。

側溝蓋には『御鮨街道』と記されていた



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14:31  立花屋薬局さん前を左折  地図






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今日はここで街道歩きは終了 名鉄加納駅  14:35  地図

ここから乗り継いで今朝の出発地御嵩駅まで戻る

本日38粁踏破

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★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

2014.6.22

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5:07 おはようございます~ぅ う~眠い

昨日の38粁は疲れたね 最後は足を引きずっていたくらいだった

お陰で今日の予定赤坂宿までは、19㌔と一気に到達できそう


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5:12  地図

善徳寺さん




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まだみんな眠りの中・・・だが名残の井戸があった

ゆっくりゆっくりレバーを動かすが水は出てこなかった

確かに呼び水が入っていなかったのもあるが、周り見

ても直近では水が出ていない井戸のようだ


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雨が降ってきた。まだまだ傘を差すまでも無い雨だが、午前中は雨になりそうだ






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加納宿内は案内板が不要。足元が黄色く色付けされているため一目で

中山道と区別が付く。この手法は東海道亀山宿でも見られて感動した記憶

がある


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お化け屋敷か 5:22  地図

いやこれは、旧加納町役場跡だがもう少し何とかな

らないのかね

立派な史跡・建造物ですよ


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5:24  うなぎの二文字屋さん  

元和6年(1620)創業の頃とは形態が変わったが、現在はうなぎを主とした割

烹料理の店。


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頭上を見上げれば天に昇りそうなうなぎの絵。昨今の稚魚しらす不漁からのう

なぎ価格は天井知らず、ましてユネスコではニホンウナギを絶滅危惧種に指

定されては、庶民にはおいそれと口に出来ないものとなってしまうのか・・・と


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300年後には 大昔うなぎという生き物を使った料理があったそうだ。

甘塩っぱい醤油だれの蒲焼き、素焼きの白焼きがあり特に土用の丑の日に

はよく食べられていたが、食べ尽くされてしまい・・・・


DSCF6780現在うなぎは、絶滅してしまい味わうことは出来ない








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5:28  加納宿脇本陣跡に到着

本陣跡を通り越してきたためここを終着点とする

日本橋から数えて53番目の宿場町


鵜沼宿で教わった通り 濃尾大地震で町は消滅、更に戦争で焼け野原となった加納宿には、往時の記

憶は石碑にしか無かった







歩いていこう旧中山道五十六次 太田宿→鵜沼宿

2014.6.21

『歩いていこう旧中山道五十六次』の続編で岐阜県御嶽宿へやって来た

7/5に高速道路料金が東日本大震災復興財源確保のため値上げされるうちに少しでも自宅から遠い宿を

を今のうちに歩いておきたかった

いままでに 日本橋深谷宿間、横川駅岩村田宿間と赤坂宿草津宿間と虫食い状態だがこれらは戦略的で

合ってやむを得ないところだ

そして今週末は、御嶽宿から赤坂宿間を歩こうとやって来た

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太田宿を抜けたら再び木曽川沿いを一緒に下る。  地図

すると 河川遊歩道に 日本ライン下りに使用されていた船が展示してあったと

言うよりも行き場の無い船がただ置かれているようで寂しそうだった


まるで『夏草や先頭どもが 夢のあと』と捻ってみた

元の句は、夏草や 兵(つはもの)どもが 夢のあと と言って芭蕉の句です。

古戦場に立った時の、「あぁ ここでたくさんの兵士たちが戦ったのだな」という気持ちを詠んだものだが、

かって船頭達が荒れ狂う激流や迫る岩と一緒に戦った船も今となっては、夢のあと と言ったところかな

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時代の流れで旧中山道は消滅していた

本来は赤点線のように道が続いていたと思われる




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9:01 三菱パジェロ生誕の地?何  

社名 パジェロ製造(株)

全車種が岐阜県加茂郡坂祝町にある三菱自動車の子会社のパジェロ製造


DSCF6701製造されている。人口が
10,000人に満たない同町の税収の大半をパジェロ製

造が占めている等、坂祝町が「パジェロの町」と言われる所以である。特産物

としてパジェロが同町のウェブサイトで紹介されるほどである。

何を語ろう拙者も以前はパジェロ所有車であった

DSCF6657RV最盛期に 2.5ディーゼルターボエクシードを半年待ちで購入していた

懐かしいな、あの頃はステイタスで乗っていたがうるさく非力なエンジンに嫌気

がさして三年目で売ってしまった。まさかパジェロが旧中山道が通る町で製造

されているとは思いもしなかった

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木曽川と一緒に下る旧街道(国道)は、とてもじゃないけど退屈すぎて歩ける

状態では無い、そこで土手に上がってみたら遊歩道が完備していて川面も

見え暫しこの道を歩くことにした


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この辺りの木曽川は、ヨーロッパのライン川に景観が似ているとして、「日本ラ

イン」と呼ばれ飛騨木曽川国定公園に指定されています。 木曽川の堤防上に

は一本の道が続いています。ロマンチック街道は全長4キロで木曽川の景色


DSCF6704を眺めながら散策することができます。







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9:35  地図

以前は崖が迫りその崖越えが、本来に中山道であった




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草刈りがしっかり行われている道






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するとすぐ脇に線路があった

危険を承知で線路内へ入ってみたところ

線路外へ出たら訳なくして電車が通過し、正直肝を冷やした。


DSCF6708よい子の皆さんはまねしては駄目よ

崖越え最高地点から木曽川を望む





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本日の気温24℃ 湿度98% 曇り空

歩くにはもう少し気温が低いくらいがちょうどいいが

曇り空と言うだけで充分だ

梅雨空の中あじさいが咲いていた

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この線路は JR高山本線

この鉄道標識は速度標だな 特急、準急、鈍行の3パターンかな




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9:50  地図  地下道を通りうとう峠に入っていきます

ここで峠道に入るのに際して不安があった 食料持ってなかった

ここまで来る間にコンビニは太田橋手間にあったファミマだけだった


DSCF6713その際にはまだ先にきっとあると信じ寄ってこなかった。

やっぱり行きすがら見付けたら必ず寄っておこう  教訓





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この地下道で国道を通過






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9:52  うとう峠越え開始

大丈夫かな 食料なしで・・・うとう峠の知識が無いぞ




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先週の碓氷峠で山ヒルの苦い思い出があるから草には最善の注意を払い

ながらの峠道。標高140mをこの際一気に行くぞ。

この付近は木曽川で削られた断崖絶壁であり、江戸時代は交通の難所で

あった。そのため、うとう峠が開設されたという。「うとう」とは「疎う」(気味の悪い)に由来するという。


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数日前に整備が入ったと思われるほど綺麗になっていた

確かに急坂の連続だが、まだまだ気力・体力は充実していた




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10:00 石畳に変わった

するとこの峠を歩いている方が数名いた

思わず“この峠どこまで続いてますか”


“もうすぐですよ”だって

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10:05  峠の反対側に出た  地図

ここに出て思ったのは、なんでこんなに開けているの????

目の前に団地はあるし 今までのギャップと大違い 嘘だろ~~ぅ


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ここから鵜沼宿までは標識がしっかり設置されていて迷うことは無かった






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往時ではここら一帯もうとう峠道だったのだろう

一気に下って行く道




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10:28 高札場  地図

ここからが鵜沼宿だ




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鵜沼宿






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10:32  鵜沼宿本陣跡に到着

日本橋から数えて52番目の宿場町





















歩いていこう旧中山道五十六次 伏見宿→太田宿

2014.6.21

『歩いていこう旧中山道五十六次』の続編で岐阜県御嶽宿へやって来た

7/5に高速道路料金が東日本大震災復興財源確保のため値上げされるうちに少しでも自宅から遠い宿を

を今のうちに歩いておきたかった

いままでに 日本橋深谷宿間、横川駅岩村田宿間と赤坂宿草津宿間と虫食い状態だがこれらは戦略的で

合ってやむを得ないところだ

そして今週末は、御嶽宿から赤坂宿間を歩こうとやって来た
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伏見宿には国道が走り抜けているため宿場町に風情は失われつつあるが、

それでも趣きある建物が2棟あり。ここは旧旅籠三吉屋の建物。

地図


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マンホール蓋考察

可児(かに)市

市の花サツキを前面に打ち出した作


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6/14碓氷峠を踏破した際 夕食にと寄った回転寿司系列店がここにもあった

安さを前面打ち出したお店。お世辞にも美味いと言えない。こんな寿司二度と

食べないぞ


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6:56  可茂公設市場  地図

東海道五十三次を歩いていた際 横浜中央市場内店舗に大盛りマグロ丼の店

があり道草で寄っていた。

ここにも食堂施設があるのか 探してみたが道路上からは見付けられず後にしてしまった


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JR太多線?初めて聞く名前

太多線(たいたせん)は、多治見駅から美濃加茂市の美濃太田駅に至るJR東海

の鉄道路線



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7:23  この先国道を右へ曲がらず真っ直ぐ進み数分、弘法大師のノボリはた

めく道を入っていくと階段下に弘法堂が見える。

旧中山道はこの脇を通って木曽川に降りていたのであった。


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7:27  弘法堂

地図  



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早速川岸へ降りてみたら往時の船着き場が今も残

っていた

遠くに見える橋は大田橋


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弘法堂境内に湧く名水

しっかり水筒に補給しました。でも蚊が多く充填するのに苦労した

それでは対岸に渡るため大田橋袂へ移動


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ここに今渡の渡し場跡碑が設置されていた。

地図 7:33




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大田橋を渡り終えるとき右手に何やら施設がある

日本ライン下り乗船場  地図

だが、景気悪化に加え 天竜川で起きた事故の影響から現在休止中だった


「日本ライン下り」姿消す 木曽川、13年に

2012/12/19 2:05  岐阜と愛知の県境、木曽川を船で下る「日本ライン下り」の運航が、来年休止される。運営する木曽川観光(愛知県犬山市)が18日、臨時の役員会を開いて決めた。近年は最盛期の10分の1以下に利用者数が落ち込んでいたうえ、浜松市で昨年起きた川下り船の転覆事故の影響もあり、休止する。再来年以降の運航については未定という。

 週内にも国土交通省中部運輸局に事業の休止届を提出する。日本ライン下りは、岐阜県美濃加茂市から愛知県犬山市にかけて約13キロを遊覧する事業。木曽川の急流と奇岩群の眺めを楽しめるとして、最盛期の1970年代には年間40万人を超える利用客があった。

 しかし景気悪化などもあり、ここ数年は年間3万人程度にとどまっていた。昨年8月に浜松市の天竜川で5人が死亡する転覆事故が発生したことも重なり、回復が見込めないと判断した。

 同社は別に「木曽川うかい」も手がけており、「業績が回復すれば(ライン下りの)早期再開もあり得る」という。


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木曽川を渡り美濃加茂市へ入った

足元タイルには 市の花あじさい、木曽川に泳ぐ鮎、市の木ムク、ブドウは

産地なのかな


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今度は対岸から弘法堂方面を望む






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少年野球チームが練習を始めていた

頑張れ美濃加茂少年野球チーム




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さあまもなく太田宿だ






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水塚

井戸があったが使えるか解らなかった。まず呼び水が入ってない、それを入

れないと使えないんだよ


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マンホール蓋考察

これは現在運休中となっている日本ライン下りが迫力ある構図で描かれていた

こんなに躍動感あるマンホール蓋は初めてだった  カラー版が見たい


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 暫く歩くと江戸側の枡形道

地図




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祐泉寺の講話

これは松尾芭蕉の有名な句。

「物いへば唇寒し秋の風」の前書きに、

「人の短をいふ事なかれ、己が長をとく事なかれ」とあるものです。


意味は。

人の短所を軽率に指摘してはならない。

自分の長所を誇らしげに、自慢してはならないということです。


人の短所について、無遠慮に指摘することは、相手への侮蔑になります。

従って相手も素直になれず、不快に思うでしょう。

これでは、たとえあなたの言っていることが正しくても、お互いに不和になるだけです。

言うときは時と場所と場合によるのです。

つまり一般的にTPOと言われているものです。


また、自分の長所もあまり語るべきではありません。

特に人に何かしてあげた時は、そのことをいつまでも意識しないことです。

何故なら、自分のしたことを他人に話し、褒めてもらいたいという欲求が生まれるからです。

おごり高ぶりは、このような意識から起こるものです。

そして、おごり高ぶる人は、もうすでに報いを受け取ってしまっています。


逆に人から助けてもらったことは、その感謝をいつまでも忘れないことです。

感謝を忘れない人は、より多くの恵みを得ることができるでしょう。

感謝をする人は、相手からも感謝されるからです。


毎回心が洗われます  感謝感謝ですね

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いよいよ太田宿に入ってきました

幹線道路からの開発を逃れたため往時の面影が残る街並みとなっています

ここは旧旅籠の小松屋さん。卯建の上がった素敵な建物 8:18  地図

                当時のまま建物が現存しており、現在は、お休み所として一般開放されている。
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太田宿界隈






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永楽通寶を看板にした呉服店は、永楽屋さん。

地図




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ここで辰巳屋さんの方と話が出来ました。

現在は肥料屋さんで生計を立てているそうです

ここで面白い話を聞けた。この先に脇本陣が現存しているが、商家などは、

庇の高さを本陣、脇本陣の順で低くしなければならないのです。

そんな見方で旧街並みを見たことが無かった

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地図  8:23

御代桜醸造は、元々太田宿で料理屋を営んでいたといわれており、明治26年

(1893)に酒造業を開始しました。


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 中山道太田宿は、木曽川水系の清水が湧く水源豊富な地であり、酒造りに

も適しているようです。

 御代桜醸造に残る蔵は、明治時代、脇本陣林家のものとして利用されていた

蔵を移築し、再利用されたものといわれています。

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現在も現存する脇本陣到着 地図 8:23

太田宿においては、林家がその役割を担っており、明治6年(1769)に建てられた母屋が現存し、現在も住居として利用されております。
尚、隣接する隠居家も共に国指定重要文化財に指定されており、一般開放しております。

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太田宿中山道会館  8:25

 太田宿中山道会館は、平成18年(2006)4月に太田宿の歴史を知る史料館として、その上で文化を育み、観光促進を図る拠点施設として、美濃加茂市役所が建設しました。


DSCF6697旧太田宿本陣門(市指定有形文化財)到着  8:26  地図

日本橋から数えて51番目の宿場町

 旧太田宿本陣門は、広大な敷地を誇る太田宿の本陣において唯一現存する史跡で、文久元年(1861)10月、皇女和宮の幕府への下向のために建てられたと伝えられます。
幕府大老井伊直弼、水戸の天狗党武田耕雲斎などの有力者が宿泊していたようです。

「中山道太田宿」は江戸(東京)日本橋から京(京都)三条大橋までを結ぶ江戸時代の五街道の一つ「中山道」69次のうち江戸から数えて51番目の宿場町で、飛騨へ向かう「飛騨街道」、関・郡上へ向かう「関街道」への分岐点を持つ場所として、また、平行して木曽川が流れており、交通・物流の要衝として機能しておりました。


衝撃ニュースが飛び込んできた

2014年(平成26年)6月24日 - 現職市長・藤井浩人が収賄容疑で逮捕。

このニュースは、美濃加茂市太田宿を歩いてから3日後のことで、もし歩いていなければ耳に留まらなか

ったが苦労した分だけ通過した町には思い入れが出来ていた。


歩いていこう旧中山道五十六次 御嶽宿→伏見宿

2014.6.21

『歩いていこう旧中山道五十六次』の続編で岐阜県御嵩宿へやって来た

7/5に高速道路料金が東日本大震災復興財源確保のため値上げされるうちに少しでも自宅から遠い宿を

を今のうちに歩いておきたかった

いままでに 日本橋深谷宿間、横川駅岩村田宿間と赤坂宿草津宿間と虫食い状態だがこれらは戦略的で

合ってやむを得ないところだ

そして今週末は、御嶽宿から赤坂宿間を歩こうとやって来た

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御嵩宿を出発地に決めたのも訳がある。大井宿(恵那市)からこの御嶽宿間

(31粁)を併走する鉄路が無い為に、将来この区間で一日の区切りにすると

予定されていた


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名鉄御嵩駅 5:15  地図

ここ駅前には、駅併設の無料駐車場がありそこに車を駐め歩き始めた




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御嵩宿は、日本橋から数えて49番目の宿場町

町名と駅名は御嵩であるが中山道の宿場名は御嶽と書き分ける

理由は調べきれなかった


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マンホール蓋考察

中央に町章、周囲に町の木 松をデザインしたマンホール




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5:31 鬼の首塚

鎌倉時代初期、鬼岩の岩窟に住み着いき乱暴狼藉を極めた「鬼の太郎」を、この地の地頭交告源吾盛康の家臣4名が、蟹薬師のお告げによって退治した。しかし、首を京へ運ぶ途中、急に首桶が重くなって運べなくなり、やむなくこの地に埋めたという。


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旧街道は右に逸れていく





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右に逸れると 中山道の看板があります  地図

この小さな看板があると無いとでは安心感が全然違う




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再び大通りに出たと思ったらまた旧道へ逸れていく

地図  5:54




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6:10  この先田んぼの畦道に入っていく






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いよいよ伏見宿に入る

駱駝 - 1824年(文政7年)8月6日、伏見宿松屋にやってきた。幕府献上品とし

てオランダ商人の手で輸入されたペルシャの駱駝であるが、幕府が辞退した

ため興行師の手に渡ったもので、江戸へ向けて中山道をたどる途中、伏見宿に3日ほど滞在し、多くの

見物客を集めたそうだが、そのラクダが消防小屋シャッターに描かれていた。

でも ここから日本橋に向けて歩いていったそうだが、他の宿場では一向に話題に上がらないのは何故

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6:15  伏見宿本陣跡に到着

日本橋から数えて50番目の宿場町







歩いていこう旧中山道五十六次 碓氷峠めがね橋で道草

2014.6.14

『歩いていこう旧中山道五十六次』なんですが 諸般の事情で虫食い状態になっていた

日本橋から深谷、松井田岩村田間と赤坂から草津まで歩いていた

この先 長久保宿の濱田屋さんに宿泊予約を入れている関係で 手前を是非片づけておきたかったのも

あるが、拙者が考える2大難所のことが気になってしょうが無い

そこで本日その一つの碓氷峠を先に実行に踏み切り、今碓氷峠から岩村田宿まで完歩終えたところ

ここからは出発地の横川駅まで戻りキャラバン靴からハンドルに持ちかえ、碓氷峠山中にある名所

めがね橋を見学後、2つめの難所和田峠付近まで行ってみることにした
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旧道碓氷峠道には何度も通過していたが、このめがね橋は見過ごしていた

地図  16:17

めがね橋は愛称で正式には、碓氷第三橋梁(うすいだいさんきょうりょう)といい、


BlogPaint群馬県安中市松井田町にある鉄道橋。


碓氷川に架かる煉瓦造りの4連アーチ橋で、碓氷峠の代表的な建造物。

国鉄信越本線横川駅 - 軽井沢駅間の橋梁の一つで、同区間がアプト式鉄道

時代に使われた。設計者は、1882年に鉄道作業局技
師長としてイギリスから

日本に招聘されたイギリス人技師のパウナルと古川晴一。


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碓氷第3橋梁は、ヘリテージング100選(ヘリテージングひゃくせん)とは、毎日

新聞社が創刊135年を記念して行った周年事業。日本全国からふさわしい近

代遺産を公募し、応募データに基づいて2006年(平成18年)10月29日
に選

考委員会が開かれ、100件の近代遺産がヘリテージング100選として選定された。

中山道沿線では、日本煉瓦製造(株)旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯 - 深谷市富岡製糸場(群馬県)、

読書発電所施設1構(読書発電所、桃介橋、柿其水路橋) - 南木曽町(読書発電所は国の重要文化財)、

関西電力(株)大井ダム - 恵那市、近江鉄道電気機関車群と鳥居本駅 - 彦根市が該当していた

また鉄道橋として思い出深いのは、兵庫県北部 現在は掛け替えてしまったが旧餘部鉄橋です



このめがね橋へはここから遊歩道が出来ていて鉄道橋の上まで登ることが出来た

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橋梁場には、既に線路は撤去されていて先ほど軽井沢駅でも抱いた

観光列車による碓氷峠復活を夢見るものとしては木っ端微塵にうちひしがれた

アプト式鉄道という世界でも珍しい鉄道だからこそ復活を期待したい


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アプト式鉄道構造

橋梁幅は、列車一両分しか無く 恐らく軽井沢方面に向かう下り線と思われる



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そして横川の関所近くで見た「アプトの道」が今解った

あそこからこの鉄道跡を歩く遊歩道のことだったんだ




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歩いていこう旧中山道五十

六次の旅はやっぱり自家用

車を使って良かった


こうして街道歩き後 名所、旧跡巡りが出来るから。

やっぱりこのスタイルは止められない




歩いていこう旧中山道五十六次 小田井宿→岩村田宿

2014.6.14

『歩いていこう旧中山道五十六次』なんですが 諸般の事情で虫食い状態になっていた

日本橋から深谷までと赤坂から草津まで歩いていた

この先 長久保宿の濱田屋さんに宿泊予約を入れている関係で 手前を是非片づけておきたかったのも

あるが、拙者が考える2大難所のことが気になってしょうが無い

そこでその一つ碓氷峠を先に熟そうと実行に踏み切り、今碓氷峠から軽井沢、小田井まで完歩終えたところ

だが今日は、岩村田宿まで歩く予定 ここまで来たら既に射程距離のあと4粁 日差しがきついが頑張らなくちゃ

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上の問屋跡

往時の面影を色濃く残された建造物

未公開


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12:47  小田井宿は小さな宿場町だが古民家が僅かながら残っており

往時の香り漂う宿場でもあった




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第42回信州御代田龍神まつりは平成26年7月26日(土)に開催。

 龍神まつり

今年で第42回を迎える信州御代田龍神まつり

全長45mの親龍と全長30mの舞姫が太鼓やドラの鳴り響く中、所狭しと舞い踊る姿は圧巻です。

20時45分頃から花火も打ち上げられます。

また、御代田町観光キャラクター「みよたん」も登場!!スタンプラリーも実施します。

駅前広場にて龍を担いだり、太鼓を叩いたりの体験ができるふれあいタイムを設けます。

希望者は17時10分に駅前広場に集合してください。参加者には記念品をプレゼント!

ご来場お待ちしております。


祭りはもうすぐだった

この迫力ある龍は見てみたいな

迫力があると思ったら『剱伎衆かむゐ』殺陣パフォーマンス集団が絡んでいたのを知ったら尚更のこと

見たくなった


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マンホール蓋考察

佐久下水道組合作  4つの大輪?コスモスをあしらった傑作




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美味そう ブロッコリーだ!  軽く茹でてマヨネーズ付けて食べるの美味い

んだよね。それを朝摘みで食べたらほっぺが落ちちゃうんだろうな




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13:21 上信越道陸橋までやって来た

ここで生徒とすれ違った時「こんにちは」と挨拶が・・・こちらも遅らせばながら

“こんにちは”

どこの学校の生徒かと思ったら 『佐久長聖中学』らしい さすが私立校だね  教育が行き届いている

佐久長聖中学校・高等学校(さくちょうせいちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、長野県佐久市岩村田にある私立中学校・高等学校。旧名、「佐久高等学校(さくこうとうがっこう)」。略称は「佐久長聖」もしくは「長聖」。
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系列の高校の運動部は、甲子園、駅伝の強豪校として名高い

学校敷地脇には、リンゴがなっていた

残念ながら種類までは解らなかった


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僅かながらリンゴ街道となっていた






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13:40  岩村田(いわむらだ)宿入り口に着いた

ここは、往時の宿場内が商店街に変貌して活気ある町になっていた

ここから電車に乗り横川に戻る予定には間違いないが 早く着きすぎた

岩村田駅→小諸→軽井沢→横川 とJR小海線・しなの鉄道・JRバスを乗り継ぐ¥1200-

岩村田駅発 14:18  15:15  17:02  (17:41) ()のみ新幹線に乗車

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14:18の電車に乗るまで商店街を散策するとした

マンホールでは無いが舗道上にあったタイル。

ここらに伝わる民話に『キツネ女房』がありそれをモチーフにしたらしい


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「頑張れ商店街川柳」の川

柳が沢山飾られていた




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サトちゃん見付けた

あれ左肩に怪我を負っている、いやアイシングかな

そうだ野球強豪校佐久長聖高戦で投げ合ったんだな


結果は?  顔見りゃわかるか 晴れやかな顔しているもんな



岩村田宿は、中山道と佐久甲州街道が交差する位置にあります。

当時の岩村田は商人町の性格をもった宿場町で旅籠は8軒だけ本陣・脇本陣がないのは、中山道で

は、高崎とここ以外には見られません。

現在、昔日の面影はないが、本街道の東に並行する荒宿に、”従是善光寺”の道標があり町並みにも

往時の面影が多少残っています。

本陣は無いがここを持って岩村田宿到着とします

日本橋から数えて22番目の宿場町

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JR岩村田駅

ここから横川に戻って家に帰る予定だったが まだ時間が早いため

この先の和田峠越えに備えて 下調べに行って見ることにした




歩いていこう旧中山道五十六次 追分宿→小田井宿

2014.6.14

『歩いていこう旧中山道五十六次』なんですが 諸般の事情で虫食い状態になっていた

日本橋から深谷までと赤坂から草津まで歩いていた

この先 長久保宿の濱田屋さんに宿泊予約を入れている関係で 手前を是非片づけておきたかったのも

あるが、拙者が考える2大難所のことが気になってしょうが無い

そこでその一つ碓氷峠を先に熟そうと実行に踏み切り、今碓氷峠から軽井沢、追分まで完歩終えたところ

だが今日は、岩村田宿まで歩く予定 あと20粁 頑張らなくちゃ

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追分宿の出口。ここには、旧茶屋つるがやさんが、往時の面影を色濃く残した

姿で今も残っている。  地図

11:33


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11:34  旧街道はR18に合流するが、すぐ先が『分去れ(わかされ)』と呼ばれ

た追分。

 右が越後へ至る北国街道。 直進が中山道との別れ地点。

                ここでは「追分」と言わず「分去れ」と言っていたなんて、男女の悲恋があった

                のかな。  (´;ω;`)

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ここを左折すると小田井宿に至る

この頃になると日差しが強く 初夏の趣・・・は、きっとドライブしている人の言葉

徘徊している身には、日陰にならないかなと祈るばかりだった



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暇をもてあましながら徘徊していると アトラクション出現。

日本橋から京までのミニチェア散策路があった

何でも私設と言うから頭が下がる  ご苦労様


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11:37  中山道69次資料館

浦和大宮間は初日だったが以外と30粁歩けたのには自分でも驚いた




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おお 浅間山だ  噴煙を何とかして表現して欲しかったな






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兄弟デュオ 狩人のヒット曲『あずさ2号』の事が書かれていた

コスモス街道か・・・涼風にコスモスが揺れるそんな中山道も歩いてみたいね

♬ 8時ちょうどのあずさ2号で旅立ちます・・・・♬

                ♬拙者は、再び歩き始めま~す♬

                無事三条大橋まで行けた。良かった良かった


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歩んでいるとサニーレタスが植えてあった

焼肉食べてぇ  腹減ってきた

東信地域は水稲よりも畑作が中心だった。特にレタス栽培で好業績を上げて

                いるらしい

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マンホール蓋考察

御代田町  町の花ヤマユリを中央にし、その下には、 浅間山の稜線かな?




暫く唯々歩くだけの時間を過ごす だがかえってその時間こそが刹那主義的な時を送れることに最近気

がついた。

ただし現在の時間が充実しているかと言えば・・?だが

何も考えずに 無になって歩ける時間でも合り それが意外にも充実しているときなのかも知れない

そんなたわい事を並べても何も無い宿場間の道は得てして辛抱の道には変わりは無かった

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12:20  しなの鉄道のアンダーパス

地図




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再び地上に出たら 栄町交差点を左折。






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すると右手に 文具などを売る 亀屋さんがある

店入り口には、屋号になったモニュメントが置かれていた

その姿には素通りできずおもわず パチリ


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今こうして亀を見ていると、爬虫類に属するが他人のようには思えない

亀は、堅い守りの象徴である一方で鈍重を揶揄する語として使われる。

また、歩みの遅さではなく着実さを肯定的に捉える場合には、実直さや勤勉さ

などを褒めるための比喩となる。

中山道500余粁の道のり、1歩1歩の積み重ねから三条大橋に辿り着けると願い思い抱きながら街道行

脚、それはまさしく亀のごとしの1歩でしか無かった

中国文化の影響下にあった地域では吉兆とされる亀 ここで出会ったのもなにかの縁。この先の吉兆を

期待してここを後にした。

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旧街道はいつしかマーガレット街道に変わっていた。

『マーガレット』から連想するのは 姉貴がよく読んでいた少女漫画誌かな

またこの花を使った恋占いがやっぱり有名

 花びら枚数はほとんどが奇数で、「好き」で始まれば最後は必ず「好き」で終えることが出来る

夢見る乙女にとって理想的な花でもあった

そこで拙者は、三条大橋に「着ける」「着けない」をやろうとしたが この顔で花占いしているところを他

人に見られたら 【道を汚している】としか見られないだろうと占いをやめた経緯があった

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この地域で行われたお祭り『龍神祭り』の写真が広報案内所に飾られていた

第42回信州御代田龍神まつりは平成26年7月26日(土)に開催。

 龍神まつり

今年で第42回を迎える信州御代田龍神まつり

全長45mの親龍と全長30mの舞姫が太鼓やドラの鳴り響く中、所狭しと舞い踊る姿は圧巻です。

20時45分頃から花火も打ち上げられます。

また、御代田町観光キャラクター「みよたん」も登場!!スタンプラリーも実施します。

駅前広場にて龍を担いだり、太鼓を叩いたりの体験ができるふれあいタイムを設けます。

希望者は17時10分に駅前広場に集合してください。参加者には記念品をプレゼント!

ご来場お待ちしております。


祭りはもうすぐだった

この迫力ある龍は見てみたいな

迫力があると思ったら『剱伎衆かむゐ』殺陣パフォーマンス集団が絡んでいたのを知ったら尚更のこと

見たくなった

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12:42

お昼時だから人影が無いのでは無い 前後を見渡しても誰ひとりとして歩いて

いる人などいない。まして中山道を歩いている人は宝くじに当たるような確率

かも知れない

だからこそ希に出会う同志の出会いはほんの一瞬かも知れないが 労をねぎらい道中安全を祈らずに

はいられない

誰かの出会わないかな


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12:43

いよいよ小田井(おたい)宿入り口だ




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12:47  小田井宿本陣跡に到着 

日本橋から数えて21番目の宿場町  姫君が多く泊まったため別名「姫の宿」

と呼ばれていた


現存している本陣は非常に珍しいが、現在も生活中のため公開はされていなかった


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南木曽町で土石流発生 旧中山道が通る町

2014.07.10

長野県南木曾町で土石流発生し大きな被害が出たそうです

心配だね  南木曽町にはこれから歩く予定の旧中山道が通っている

現地通過する際には、見舞金置いていこうかな

まずは、被害に遭われた方にお見舞い申し上げます

南木曽町には2つの宿場町があるが 幸いにして2つとも大きな被害は出ていないそうでなにより

でも中央線の鉄橋が流されて現地は大きな爪痕が残ったらしい

これから台風が間接近する

これ以上悲しむ人が出ませんように

歩いていこう旧中山道五十六次 沓掛宿→追分宿

2014.6.14

『歩いていこう旧中山道五十六次』なんですが 諸般の事情で虫食い状態になっていた

日本橋から深谷までと赤坂から草津まで歩いていた

この先 長久保宿の濱田屋さんに宿泊予約を入れている関係で 手前を是非片づけておきたかったのも

あるが、拙者が考える2大難所のことが気になってしょうが無い

そこでその一つ碓氷峠を先に熟そうと実行に踏み切り、今碓氷峠から軽井沢、沓掛まで完歩終えたところ

だが今日は、岩村田宿まで歩く予定 頑張らなくちゃ
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天気はと言うと、晴れているが雲が空に現れている割合からすれば気象用語

では『曇り』

さすがに軽井沢は涼しいと言うよりも肌寒かったが、ひたひたと標高が下がる

につれて肌に熱さを感じるようになってきた


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ココまでの歩いた距離は、まだ16粁と序の口。

心身と気力も充実。街道傍らに咲く花心も芽生え意気揚々と歩を進める。

10:36


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10:42  碓氷峠バイパスのI.C  地図

いつの間にか雲が無くなりピーカンとなっていたがまだまだ標高が高いため

それほど熱さを感じず快調に進む


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路肩に温度計があり写真撮ったが あれ消えているタイミングだったのは不

覚、確か 22℃と記憶している。やっぱり避暑地軽井沢はいいね

出来れば歩くのではなくテニスがいいね  やっぱり軽井沢にはテニスがお

                似合いだよね




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10:47  地図

旧街道は借宿集落へ進んでいく




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『軽井沢緑の景観』?



軽井沢『緑の景観賞』募集について

 

町では、平成26年度自然保護対策優良事業「軽井沢緑の景観賞」を募集しています。

 

この事業は、町の伝統とすぐれた自然を保持および自然環境の保全等に寄与することを目的に自然環境の保全並びに良好な景観の形成に積極的な取組みを行っている事業を認定し、広報等で広く周知することにより住民の自然保護に対する理解を深めていただくための事業です。

 

応募にあたっては、自薦、他薦は問いませんので、多数の方の応募をお待ちしております。

募集の期間

  • 平成26年5月1日(木)~8月29日(金)まで

応募の対象

  • 平成26年3月31日までに完成している事業
  • 自然環境の保全に考慮した住宅地、別荘地の造成、建物等の建築及び良好な景観の形成に積極的に取組んでいる事業。

応募方法

  • 応募用紙に必要事項を記入し、添付書類を添えて郵送または町役場生活環境課8番窓口にお出しください。

選考及び表彰

  • 自然保護対策優良事業認定制度要綱に基づき、町自然保護審議会において選考します。
  • 表彰事業の事業主および設計者(事業主の了解による)に認定証を贈呈します。

【応募にあたってのお願い】

  • 応募によりお預かりいたしました個人情報につきましては、本賞の審査および審査結果の連絡等にのみ使用し、目的外の使用は一切しません。ただし、事業名、事業主、設計者、所在地(区名)については公表します。
  • 応募用紙に添付された書類については返却しません。
  • 写真の著作権については、町自然保護審議会に属するものとして、自然環境の保全等の啓発活動に使用します。

 

平成25年度 優秀賞

平成25年度 優秀賞

25a-HP

25i-HP

 

平成25年度 特別賞

 

25m-HP


生活環境課 環境係  

TEL :

0267-45-8556

FAX : 

0267-46-3165
 

E-mail :

seikatsukankyou@town.karuizawa.nagano.jp



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『軽井沢緑の景観 特別賞』の住居  10:45  地図

個人宅なのでここまでにした

でも黄壁布屋?  調べたが解らなかった


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気温21℃  なんて清々しい日なんだろう  これで日差しがもう少し柔らか

く拙者に降り注げば満点な気候なのに!紫外線指数は結構強い

やばい お肌のために更にUVクリームを塗らなくちゃ


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ここは標高1003mもあるのかどおりで涼しいわけだ

標高が100m登ると気温は0.6℃下がるという

まさに爽快そのものの東信地域であった


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うわーガソリン高い  中東情勢の不安定から来た原油高

政府ももう少し対策練らないと庶民の怒りが爆発する?

それでも日本人は爆発しないか 


そうだみんな選挙行こうよ  投票する人いなかったら白票だっていいじゃ無いか  

無関心が一番いけないことだよ

それと選挙制度も直そうよ いいと思う人に1票 良くない人にも1票・・・なんてどうなか



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11:15  地図

ここを右に逸れれば追分宿




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しなの追分馬子唄道中』  HP

まもなく開催か 7/27(日)  このような地元密着のお祭りに最近妙に興味がある

まして中山道に関わりのあるお祭りなら尚更のことだ

                スケジュール確認しておこう

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宿場内に堀辰雄記念館があるからだろうか 『夢のはこ』と言う貸本が設置さ

れていたこの場所は 昇進橋 と言う橋の袂。昇進に縁の無い拙者には何とも

思わないが、サラリーマン全てが抱く名でもあった


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11:27  追分宿到着 日本橋から数えて20番目の宿場町






中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版)
岸本 豊(中山道69次資料館長)
信濃毎日新聞社
2011-10-28

世界温泉遺産で台湾の温泉が紹介された 

2014.7.9

昨夜放映された 『世界温泉遺産』 毎週火曜日 BS日テレ 21:00-21:59

昨晩は 台湾の特集だった

それも基隆、礁渓、九份の特集でとても懐かしく1時間の放送枠はあっという間に過ぎ去ってしまった

基隆では魚市場が映ったが拙者は行ってなかった

九份は日中だったがちゃんと訪問していた

礁渓は 湯囲溝公園公溝の湯が映った。懐かしいな



番組宛に送ったメッセージ

毎回楽しく拝見しております。今回は以前訪れたことがある礁渓温泉、九份ととても懐かしかったです。高額料理もいいのですが、庶民が食べている屋台料理などもっと紹介してください。タイに行った際には、香草のパクチーに手を焼きましたが、これなら日本人にも合う味付け料理を紹介してみるのも面白いのではありませんか。

世界の温泉地を巡っているのですが、温泉の入浴方法の違いを比べてみても面白いのではありませんか

歩いていこう旧中山道五十六次 軽井沢宿→沓掛宿

2014.6.14

『歩いていこう旧中山道五十六次』なんですが 諸般の事情で虫食い状態になっていた

日本橋から深谷までと赤坂から草津まで歩いていた

この先 長久保宿の濱田屋さんに宿泊予約を入れている関係で 手前を是非片づけておきたかったのも

あるが、拙者が考える2大難所のことが気になってしょうが無い

そこでその一つ碓氷峠を先に熟そうと実行に踏み切り山ヒルと姿の見えない化身との葛藤の峠道でも

あった

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街道沿いに不動屋さんがあり 老後のために別荘をリサーチ

南軽井沢 新築 3LDK 土地206坪 建物33坪

3370万円  んん~んちょうど良い物件だね


DSCF6566頭金を入れて置くかな 本日所持金8千円  これじゃ駄目か

レンタサイクル屋さん  実際街道を歩いていて 宿場内はまだ楽しめるところ

もあるが、宿場間は唯々歩いて歩いての時間潰しの時だった

そんなときは自転車がいいね

昔の人は、全てを歩き通したのかな

籠に乗ったり、馬に乗ったりしていたんじゃ無いかな

そんなことを考えていた通りの道すがらになるとはその時は思いもしなかった

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まだまだ軽井沢内は、素敵な別荘に出会う

苔むした別荘だ 綺麗だね。でもね宅内はカビで大変だったりして・・・と

メルヘンをぶち壊してしまった



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この風景見て ふと脳裏に蘇ったのはカナダのバンフの街並みだった

ここはホテル ロンギングハウス  9:47

出来ることならもう一度とは言わないが2度3度カナダへ行きたいね


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10:02 旧信越線(信濃鉄道)で旧街道は分断され

、踏切を渡りすぐの路地を右折すれば再び中山道

に通じた


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今も活火山として生き続けている浅間山。直近では2009年の噴火が記憶に

新しい。

「あさま」は火山を示す古語とされる。富士山の神を祀る神社が浅間神社(せんげんじんじゃ)と呼ばれるのも同様の理由であり、阿蘇山の「あそ」も同系のことばであると言われる。浅間山も多くの山々と同じく、古くから信仰の対象となっており、浅間神社(通常の浅間神社とは祭神が異なる)が鎮座している。

今日の浅間山は実に綺麗な稜線がおなごの色気を感じさせた

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鮎釣りに勤しむ太公望

拙者は、釣りなる趣味は無い。手が魚臭くなることが一番いやだ。じっとしてい

る性分じゃ無い・・・=貧乏性なのかな


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10:19  本陣跡は見過ごしてしまったが無事沓掛宿に到着

日本橋から数えて19番目の宿場町

この沓掛宿は、約60年前の街全部を焼き尽くすほどの大火に見舞われ

往時を伝えるものはほとんど残っていなかった

歩いていこう旧中山道五十六次 熊野神社で道草

2014.6.14

『歩いていこう旧中山道五十六次』の続きを歩いていた

中山道三大難所の一つ 碓氷峠越えを今終え

峠道の出入口と言えるところにある 見晴亭さんで 名物力餅を頂き胡桃餅に大絶賛。

お腹もいっぱいになり 気分上々だ  誠に代は満足じゃ

次も 道草リストに名を綴られている名所 熊野神社  地図

熊野神社はこの見晴亭さんから僅かな距離にあった

この神社は 境内の真ん中を県境が走る珍しい神社です

長野県域の神社名は、熊野皇大神社(くまのこうたいじんじゃ)と言い。長野県域神社を熊野神社という

2つの名前が存在し碓氷峠に位置する神社。

社殿は長野県と群馬県の両県にまたがっており、参道と本宮の中央が県境
にあたる。

そんな理由から是非立ち寄りどのように区分けされているかを見てみたかった
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8:26

この石段の上に本殿があるが、この赤点が県境





本殿正面の賽銭箱
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左側は信濃国 熊野皇大神社  右側は上野国 熊野神社

これは凄い 県境マニア必見の地だ




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この神社の歴史は古く 社史によれば、ヤマトタケルが東征の帰路で碓氷峠

に差し掛かった際、濃霧で道に迷った際一羽の八咫烏が梛の葉を咥えて道

案内をし、無事に頂上に着いた事を感謝して熊野の神を勧請したのが熊野

                皇大神社の由来だとされる。

八咫烏って聞いたことあるぞ、サッカー日本代表のシンボルでもあるがよく解らない

八咫烏(やたがらす、やたのからす)は
、日本神話において神武東征の際、高皇産霊尊によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされるカラス(烏)。一般的に三本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わっている。


八咫烏とサッカーとの関わりは

現代では、八咫烏は主に日本サッカー協会のシンボルマークおよび日本代表エンブレムの意匠として用いられている事で知られている。このシンボルマークは、大日本蹴球協会(日本サッカー協会の前身)創設に尽力した漢文学者・内野台嶺らの発案を基に、彫刻家・日名子実三のデザインにより、1931年(昭和6年)に採用されたものである(天武天王が熊野に通って蹴鞠をよくしたことにちなみ、よくボールをゴールに導くようにとの願いが込められているともいう


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信濃国域にあるご神木の科の木

樹齢800年だって・・・ 

信濃国は古事記には科野国と成っており、しなのの国の語源となっている樹種です。

                へぇぇ~~~

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サッカーワールドカップブラジル大会2014が昨日キックオフされた。日本の初戦は

明日、道中安全は言うまでも無いが、日本勝利を祈らずにはいられない

それにしても何というタイミングなのだろう

                これで日本の勝利は決まったな

                (試合結果は コートジボワール2-1日本)

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